栄光とすみれの条件 上
私の言葉にマイルズは何を思っただろう。
ぎこちない空気を裂いたのは草木を踏みしめる足音だ。重ねていたマイルズの手が、ピキリと凍りついたように強張った。
「チッ……」
マイルズが鋭い舌打ちとともに私を背後に隠し、その黒髪の隙間からアイスブルーの瞳を闇へと向け、再び低い殺気を放つ。
「──会場にいらっしゃらないと思いましたらこのような場所にいらしたのですね、センシア様」
「……ギルバート……!」
そこに立っていたのは焦茶色の髪の男。王室書記官であり実質的な兄王の懐刀だ。
マイルズの威嚇を気にした様子もなくこちらへと近づいてくる。
「陛下の術式を感知して参りました。こちらの者どもの後片付けはすでに手筈を整えております」
相変わらずの根回しだ。
そのままギルバートはマイルズをまるで認識していないかのように近づいてきて、彼の後ろにいる私へと手を差し伸ばした。
「センシア様、陛下がお呼びです。このような不浄な場所からは、早く離れましょう」
「──おい、ふざけんじゃねえぞ。こいつをどこに連れてくって?」
マイルズが威嚇するように目の前の男を鋭く睨みつけるが、ギルバートも負けじと冷徹な視線をマイルズに向ける。
う、まずい。この流れは。
「寝言を吐く毒蛇とは、これはまた珍しいものを見たものだ。陛下の温情と姫様のお望みでなければすぐにその首をくびり落とすというのに」
「……へぇえ。随分と品行方正なお考えだことで。その胸の章を見るに事務仕事の文官様だろうが。口ばかりは達者だな」
……ああもう。こうなると思ってた。思わず額に手を当てる。
兄さん絶対主義のギルバートと兄さんを暗殺しようとしたマイルズが出会って無事で済むわけがないのだ。
「荒事でしか全てを解決できぬ狼藉者に言われたくはないな。陛下もなぜこのような男を生かし続けているのか……」
「ま、まあまあ!ギルバートは私を呼びにきたんでしょ?兄様を待たせるわけにもいかないし早く行きましょうよ!」
慌ててふらつきながらも立ち上がると、ギルバートがそうですねと私に手を差し出す。その手に私の指先が触れる前に、マイルズの絞り出すような声が聞こえてきた。
「──センシア」
こんな声を出すのか、と思わず私は耳を疑った。
強い感情をこらえて、それでも必死にあふれ出しそうな震えた響き。
その声をそれ以上聞きたくなくて、必要以上に明るい表情を取り繕う。
「大丈夫よ。言ってるでしょ?兄様は私のことをこんな魔法で守ってくれる人なんだから。いじめられたり取って食われるなんてこともないわ」
背後のギルバートの視線が鋭くなった気もするがご愛嬌だ。
そのまま笑顔でマイルズをからかうように続ける。
「もしも心配だっていうなら、兄様と話した後であんたの部屋を訪ねてあげてもいいわよ?」
「姫様。そのような節操ない行為は──」
「……ああ、そうしてくれ」
ギルバートの非難を遮るように、マイルズが唇と吐息だけでそう答えた。普段らしからぬ返答と反応に、私の方も調子が崩れてしまう。
「っ、う。うん!……それじゃ、あとでね」
その言葉に息を吐き出しながら、マイルズがゆっくりと瞳を伏せる。待ちかねていたギルバートがため息と共に、早速先導するように歩き出した。
***
長い長い廊下はいつ歩いても終わりが読めない。
「さすがはセンシア様。アレの牙をずいぶんと抜いていらっしゃるのですね」
先導するギルバートの声が薄い感嘆で彩られる。
私はどう答えればいいか分からず、廊下の窓から木々の枝葉に視線を向けた。
「どうかしら。牙を抜かれて丸くなったって感覚はないけど……」
「そうですか。それは残念です」
静かな、淡々とした調子で返事がかえってくる。私はどうにも、この人のこういうところが……苦手だ。
「残念って、なんで?」
「それはもちろん、あなたがアレを心底打ちのめしてくださっていれば私も多少なりとも溜飲がさがるからですよ」
敵意のこもった口調だ。いえ、分かっていた。
「……別に兄さんは、あいつに殺されかけたことは何も気にしてないと思うわよ」
気にするくらいなら私のところに送り込んではこないだろう。百歩譲って送り込んできたとしても、あんな高いテンションの手紙を出さないでほしい。
「ええ。もちろんです。陛下はお強い。けれどもその御心を慮らぬ理由にはならないのですよ。ただでさえあの方はご自身を削って無理を成されている。結界に守護、あの男を縛る首輪……、陛下がどれほどの魔力を割き続けておいでか、貴女もご存じでしょう」
その言葉には反論の余地もない。
あの薬草園と私、その二つを護るために必要な力を、兄は未だ不安要素の残る国からではなくすべて自分自身から割いている。……いやというほど分かっていた。
「ですから、センシア姫」
かつん、と靴音が廊下に響き渡る。いつの間にか兄さんの私室は目視できる範囲に近づいていた。
「くれぐれもお気をつけください。間違ってもあの男に騙されて、利用されることのなきよう。──貴女は陛下に似て、一度内側に入れてしまうと優しくなりすぎる」
その言葉に私は何も返せなかった。
私を振り返ることなく、ドアをノックしたギルバートは中へと声をかける。
「サリヴァン様。センシア様をお連れいたしました」
返事がかえるよりも早くギルバートが自身の身を横にずらしながら扉を開けると──。
「ああ、センシア!俺の可愛いペネラティアの実!元気にしてたかい!?」
開いた扉の向こうから勢いよく兄さんが飛び出してきて私のことを抱きしめた。いえ、いつものことだけど。いつものことだけど!!
「……やっぱり落差が激しいわね」
簒奪王と呼ばれる男とは思えない。
テンション高く私を迎え入れた彼を見て、私は大きくため息をついた。




