舞踏会とアダマナス 下
楽団の旋律は次のワルツのはじまりへと移っていく。
マイルズの相変わらず優雅なリードに気おされるように、私たちはホールの中心へと滑り出した。
優雅な三拍子が耳に入らないほど、私の心臓は強く早く拍動していた。こんな場所でまたみっともなく転倒なんてしたくないんだけど!?!?
でもマイルズは私の不安を笑い飛ばすように口元を緩めている。その表情に私の目線が吸い寄せられるのとほぼ同時に、案の定足がもつれて無様にドレスの裾を踏みかけた──その瞬間。
「おっと。相変わらずうちの姫様はおてんばだな」
低いが耳元で囁かれると同時に、手袋越しにぐっと強い上向きの力がかかる。
流れるような重心の変化に私たちの距離はさらに近づき、それでいて足を踏むどころかつま先が触れることすらない。完璧なマイルズのリードに翻弄されながらも私はこれまでで一番自分の体が軽いような錯覚を覚えていた。
動きの軽さの一方で、私の思考はがんじがらめだ。何せこんな至近距離。下を見れば余計に足がもつれるし、だからと言って他のどこを見ればいいのか。結果として目の前にある彼のネクタイの結び目を凝視していれば、上から吹き出すような笑い声が聞こえてきた。
「っくく……。あんた、必死すぎだろ。せっかく最高のエスコートをしてんだ、堂々と上を見ろよ」
「っう、うるさいわね……っ!」
見上げればアイスブルーの瞳が悪戯っぽく細められる。至近距離の輝きに落ち着きかけていた心臓がまた早鐘をうちはじめた。
やがて、ホールの天井に溶けるような最後の旋律とともに、ワルツが終わる。
私の手を包み込んでいた大きな手のひらが一度だけ力を込められてから離れた瞬間、私の耳はようやく周囲の音を捉えるようになった。
大きなどよめきと唖然とした視線、それらは全て私たちに向けられていた。嘲笑なんてなく、若い貴族の何人かは感動したように拍手すらむけてくれている。
呆気に取られる私に、一人の貴族が歩み寄ってきて私へと手を差し出す。
「素晴らしいステップでした、センシア姫。よろしければ、次の曲は私と──」
「恐れ入ります、閣下」
だが私が口を開くよりも先に、マイルズがずっと私の前に割り込んだ。洗練された動きだけれど、声に硬質な拒絶が隠れている。
「あいにく姫様は少々お疲れの様子。これ以上の無理を強いるわけにはいきません。……夜風に当たって参ります。失礼」
そのままマイルズは私の手を取り、有無を言わせぬ手際で貴族たちの輪をすり抜けていく。
「ちょっと、マイルズ……!」
「静かに。……あいつらの相手なんざこれ以上願い下げだろ」
低く吐き捨てられた彼の本音。
普段よりも早足の彼に手を引かれながら、私たちは夜風が吹き抜ける中庭へと連れ立って逃げ出したのだった。
雲ひとつない夜空の下。
人気のない中庭へと降り立ってようやく私はマイルズへ不服を口にした。
「もう!たしかに転ばないで踊れたし、あの人たちを驚かせたのは良かったけど急にどうしたのよ!」
特に最後の半ば強引な連れ出し。ダンスの時の丁重なエスコートとは真逆の早足で、途中で転ばなかったのが奇跡的だ。
相変わらず繋がれたまま離される気配のない手。どこか落ち着かなくなるのは彼の真意が見えないからだろうか。
「どうって、何がだよ?」
「全部よ全部!急に踊ろうって言い出したり、踊り終わったらこんな中庭まで連れてきて!」
誰もいないことをいいことにこれまで我慢していた大声を出せば、マイルズも遠慮なく顔をしかめた。
「別に、あんただってあの貴族どもを見返してやれたのは気分よかっただろ?」
「……そう言われたら悪くはなかったけど。でもわざわざやる意味はないでしょ。別に何を言われたからって今さら構わないのに」
彼らの話の大半は事実だし、何を言われても痛くはない。
けれど私の言葉を聞いて、マイルズはアイスブルーの瞳を鋭くさせた。
「俺は構う」
「──…………」
「あんたがあんなロクデナシどもにバカにされるのも、兄貴に冷たい目で見られるのも、あんたがどこぞの馬の骨と踊ったってのも気にくわねぇ。……ま、そんときゃ向こうが恥をかいたのはざまぁみろって思うがな」
ここにいない貴族たちへの怒りと、それ以上にこちらに向けられる熱のあつさが身にまとわりつく。夜風の涼しさなんて一ミリも感じない。
「……なんで、あんたが構うのよ」
私のことなのに。
「そりゃ、あんたのことだからだよ」
真っ直ぐと向けられたその視線。それが熱源の正体だった。
「あんたが……、っ──!危ねぇ!!!!」
「え……、っ!きゃ!!」
突然マイルズに腕を勢いよく引かれ、体が勢いよく彼の背中へと庇われる。金属がぶつかり合う鋭い音が響き渡った。
殺気に満ちた空間。マイルズの脇から彼が向いている方を見れば二人の顔を隠した人物がこちらに刃を向けている。
「ちっ……どこぞの刺客か!?お姫様よ、俺から離れるんじゃねえぞ!」
マイルズがどこからともなくナイフを取り出して応戦の構えをする。
……だがそもそも、マイルズは暗殺者として死罪同然の身で私の元に来たのだ。
王宮という場で彼が誰かを傷つけてしまえば、たとえ正当防衛だとして罪のそしりは避けられない。
「マイルズ、ダメよ!私のことはいいから……っ!」
「っ!?バッ、なにを……!!」
マイルズの手を振り払い、無理やり体勢を崩すようにして彼の前へと踊りだそうとすれば、当然刺客たちはその隙を逃さない。マイルズの焦った声を背後に、刺客たちが掲げた刃が私の方へと向けられて──。
──その刃が私の肌に触れるより早く。
バチッ!!と、鼓膜を引き裂くような凄まじい電撃の音が響き渡った。
「────は?」
静けさを取り戻した中庭には、二人の人物が座り込み、二人の人物が転がっている。
座り込んでいるのは私と……マイルズ。そして転がっている刺客たちは全身黒焦げで、息をしているのがやっとのようだった。
「おい……姫さん?センシア、一体何が」
戸惑う彼の方をゆっくりと見ながら、私は懐から招待状を取り出す。その招待状は彼の襟下に隠された首輪の宝石のように、魔力に満ちた輝きを示していた。
「……言ったでしょ、兄さんは身内に優しいって。私が王宮に来ないといけない時には必ず、こうして護りをつけていてくれてるの」
薬草園の内部に忍び込む侵入者を防ぐ仕組みとほとんど同じ護り。
これがある限り、私が他者に傷つけられることはない。
いまだに信じられないといった顔で、マイルズが私の手首を握りしめてくる。
そんなに必死にならなくてもいいのにと、私は口元に無理やり弧を描いた。
「私は簒奪王サリヴァンの唯一の妹で、彼の弱点だもの。こうやって命を狙われることくらい、お互いに織り込み済みで、当たり前の日常なのよ」
震える彼の手に私の手を重ねれば、先ほどまであれほど大きかった彼の手が小さく震えていた。
「だからあんたがそんな風に、命がけで前に飛び出す必要なんてないの。……そんなこと、誰もあんたに命じたりしないんだから」




