舞踏会とアダマナス 上
豪奢な弦楽の調べと、耳が痛くなるほどの貴族たちの歓声。
王宮の舞踏会会場の片隅に立つ男の姿を改めて見て、胸の中で深く納得していた。
(……うん。やっぱりこの男、顔だけはそれなりどころじゃないレベルで整っているわね)
普段の泥まみれのラフな格好から一転、仕立ての良い礼服に身を包んだマイルズは完璧に高貴な使用人だ。服のランクが上がれば物語の王子様といわれても驚かない。
「あとはその不機嫌面が直れば満点なんでしょうけど。なんであんた、そんなに機嫌が悪そうなのよ」
兄様──簒奪王サリヴァンへの挨拶を終えて戻ってきた私は、開口一番そんな疑問を投げかけた。
「は?むしろあん……姫様がなんでそんな澄ました顔してんのかが俺には分からねえな。あの簒奪王、普段からあんな目でお前を見てるのか?」
その言葉に先ほどのやりとりが頭に浮かぶ。儀礼的な挨拶と笑みを浮かべた私に対し、兄王は一瞥すらもろくにせず簡潔な挨拶しか返してこなかった。
周囲の貴族たちすらもあまりの様子に、嫌味すら飛ばせずに言葉を失っていたほどだ。
「あんなの妹を見る目じゃねえ。自分に関係ないただの『置物』扱いみたいなもんだったろ。……チッ、胸糞悪い」
何故そんなにマイルズが兄さんを悪くいうのか分からない。だって私にとってあの視線は当たり前のものだったから。あまりそこに同情されるのも複雑で、だからわざと話を変えてやることにした。
「そうねぇ、あんたがさっき令嬢の皆さんにやってた扱いとは雲泥の差だわ」
「……は?見てたのかよ!?」
「あれだけ目立ってたら分かるわよ」
声こそ聞こえなかったが、私が兄さんへの挨拶列に並んで終えるまでの十分間で三組ほどの令嬢たちが声をかけに行くのが見えていた。
私はどれも頭に叩き込んでいたから彼女たちの家柄も一目で分かったが彼は知らないはず。だというのに南方の辺境伯の娘にはそちらの文化に相応しい敬礼を行い、王宮付近に住む上流貴族の令嬢にはワインを差し出し、宮廷に不慣れな下級貴族の娘にも安心させるような笑顔を振りまいていた。
おかげで一人残さず頬を染め、夢見心地のような顔で去っていっていたのだからとんでもない。普段の私への雑な対応や妙なぎくしゃくとは雲泥の差だった。
「向こうも一使用人にわざわざ家柄を名乗ったりするとは思えないのに、よくもまああんな百点満点の応対をできるわよね。特にワインとか、あのずらっと並んでる中から選ぶなんて」
「あ?そんなのドレスの柄や持ってる扇子の素材を見りゃおおよそ検討はつくだろ。ワインはあそこのカードの内容みりゃ種類も製造年月も分かるからな。無難なもんを選べばいい」
カードの内容を見れば……。
カードの内容?
「いえちょっと待って、あんた文字読めたの!?いえ、素材やら扇子で家柄が分かるってのも驚きだけど!!?」
暗殺者なのに!?という言葉はすんでのところで飲み込まれた。だがマイルズは裏の意図も理解した上で頭をかく。
「そりゃな。職業柄相手の見極めは最重要事項だし、こういう場所に仕事でくることだってある。最低限の教養くらいは叩き込まれてるさ」
その言葉にぐっと握り拳を作る。
言いたいことは理解できる。理解できるが……。
(じゃあ、この間の図鑑の時に言いなさいよ!!)
マイルズが図鑑を眺めている時に思わず身を乗り出して解説してしまった、この間のことを思い出す。
せめて図鑑を渡した時に一言でも言ってくれればあんなはしたないことはしなかったのに!
でもそんな追及をこのホールでできるはずもない。思わず口をぱくぱくと開閉させていれば、居心地の悪そうな顔をしたマイルズの方が先に口を開く。
「……っていうかさ、お姫様、あんた──」
同時に、ホール内の弦楽の曲調が変わる。穏やかな旋律からテンポの良いワルツへ。
「あ、ダンスの時間だわ。この辺りは人がけっこう通るからそっち行きましょ」
隅の方ではあるがサリヴァン王の謁見の場にやや近い。ホール中央で踊る人々が多くなると邪魔になるかもしれない。
あれ、でもマイルズってば今何か話しかけていたかしら?彼の方を見上げると眉間に皺を寄せながらわざとらしいお辞儀が返ってきた。
「はいはい……センシア姫の仰せの通りに」
「……なんか気味が悪いわね」
令嬢たちと同じ扱いをされるのも、それはそれで微妙だ。
***
ドレスや燕尾服を着た面々が中央で華やかなダンスを踊る傍ら、私はと言えばホールの窓にもたれかかって中庭を見るのに夢中だった。
「……おい姫さま。何ぼーっとしてんだよ」
マイルズがコソコソと尋ねてくるので小さな声で返す。
「ぼーっとしてるんじゃないの。アダマナスを見てるのよ。あれは珍しくうちで育てるのに適さない植物だから」
王宮のおいしい食事と綺麗なドレスで舞踏会に参加する目的の八割は達成していた。あとは適当に時間を過ごせばそれで終わり。それなら普段薬草園で見れないものを見たっていいだろう。
外は薄暗がりでよく見えないが、それでも目を凝らせば蕾がたくさん低木についているのが分かった。
「そうじゃねえよ、分かってんだろ」
「何が?」
「とぼけんな、聞こえてんだろ」
そう言ってマイルズがホールを見る。そちらに視線を向けずとも彼が言いたいことはわかっていた。何せ周囲からは隠すつもりのない陰口があちこちから聞こえてくるのだから。
『──おい、あれが例の薬草姫か?』
『そうそう。薬草園に追いやられたっていう』
『先ほどの陛下との挨拶も随分と冷淡なものだったぞ』
『役立たずなんだから仕方がないさ』
『取り入ったところで無駄か。ダンスくらいは誘おうかと思っていたが……』
『よせよせ、兄王に似ずダンス一つろくに踊れない元平民だ』
『踊ったところで恥をかかされて終わりだよ』
嘲笑と侮蔑の入り混じった響き。だが今更どうと思うこともない。軽く肩をすくめてみせた。
「別に。私が薬草園に引きこもってるのも、ダンスで恥をかかせたことがあるのも事実だし。好きに言わせておきなさいよ」
「は?あんた踊ったことあんのかよ。どこの馬の骨とだ」
気にするのはそこなの?
思わずおかしくて小さく吹き出す。
「っぷふ、最初か二回目かの時にね、兄様に取り入ろうとしたんでしょ。誘われて踊ったことがあるのよ。四人か五人と踊ったけど、三人の足を踏んで一人を巻き込んで思い切り転倒したら、次から誘われなくなったわ」
私としてはもはや完全な笑い話だ。そりゃあ向こうだって「それは誘うのはちょっと……」となるだろう。
「……チッ、要はテメェの技量不足を棚にあげてるってだけだろ」
「マイルズねぇ」
この場所で兄以外で一番私のドンくささを知っているのは彼だろうに。
それでも彼は不満げに私をじっと見下ろしたかと思えば、スッと背筋を伸ばしたまま唐突に膝を折った。
「え、どうしたの?マイルズ」
困惑する私に向けて、マイルズはこの夜会の誰よりも美しく洗練された所作で私へと恭しく手を差し出す。
「──ならば姫様。私めと一曲踊っていただけませんか」
「は、はぁ!? ちょっと、あんた何言って……!」
周囲の視線が一気にこちらへと向かってくる。先ほどマイルズに顔を赤らめていた令嬢たちが口元を隠しながら言葉を交わし合っているのが視界の端に入る。
そのどれにも一瞥すらくれないまま、マイルズのアイスブルーの瞳は真っ直ぐに私だけを射抜いていた。
「……心配しなくても、あんたにみっともない真似はさせねぇよ」
彼の唇が薄く動き、私にしか伝わらないような低い囁き声を届ける。
「ここにいる有象無象がはっと息をのむくらいには立派な姫様としてあんたを魅せてやる。……ほら、手ぇだしな」
いつもと同じ皮肉気な口調で、それでもいつもとは異なる甘いほほえみと差し伸べられた手。
「う……う、ん」
そのすべてに飲まれるような錯覚をおぼえながら、私は彼の掌に自分の手を重ねた。




