沢井奈の病状
「やっぱり沢井奈君のお見舞いに行った方がいいかなあ。」
マキが私に言う。
私とマキと沢井奈は同じ幼稚園からの友達で、いわゆる幼馴染である。
「そうね。休んでいるものね。」
「お母さんが沢井奈君が入院しているからお見舞いくらい行きなさいって言うのよ。」
マキのお母さんは沢井奈とマキをくっつけるのが夢だったようで、マキに沢井奈の許嫁になれなれとよく勧めていて、マキが反発して「そんなの嫌だ!」と言うことがよくあった。
そんな訳で私は三角関係にもなりたくなかったので距離感をどう取るか悩みながら生きてきたのである。
私もマキも沢井奈も「ミスリル」の下位パーティである「カッパー」に入るために頑張ってきた仲間である。
なので友人として二人とも付かず離れずで付き合ってきたのである。
「それじゃ両角や冨樫も呼ぶの?」
「お母さんは沢井奈君の病状は重いから大人数でお見舞いには行かない方がいいって。だから玲子ちゃんと二人で行こうよ。」
あの煙の魔人にやられた後、意識なく運ばれたのは見ていたが、いつもの沢井奈と重症という言葉がどうしても結びつかない。
「それなら二人で行った方がいいわね。」
池宮君はあの活躍のために注目を集めてしまっているが、あからさまに女の子を拒絶しているために彼にアタックしようという猛者はまだ現れていないみたいだ。
池宮君は今はあの同じパーティになった三人衆を鍛えることに全力投球しているみたいで、かわいそうに三人は毎日ヒーヒー言っている。
女の子については多分、ゴールデンウィーク明けからが勝負だろう。
池宮君のルックスが悪くないのは既にバレているみたいだし、早くツバをつけないと他の女の子に取られるかもしれない。
5月の2日に私とマキは沢井奈君の入院している病院にお見舞いに行くことにした。
「お見舞いのお花は鉢植えはダメで切り花にしなくっちゃね。」
駅前の花屋さんで花を買ってから病院の方に向かった。
面会時間は午後3時から7時までなので時間はある。
病院の受付で面会の旨を告げると病棟を教えてくれた。
エレベーターに乗って教えられた階のボタンを押す。
エレベーターを降りるとナースステーションがあったのでそこで面会の旨を伝えると、マスクと半透明の雨ガッパみたいなガウンを着るように言われた。
病棟の中に入るとピコピコいう電子音が騒音のように鳴り響いていた。部屋はカーテンでまじ切られており、看護師さんらしい人が忙しそうに患者の元に向かっていた。
そこを通り過ぎて、そこだけはドアのある個室の前に来た。
「ここは重症の患者さんですから騒がずお静かにお願いしますね。」
案内してくれた看護師さんは事務的にそう言うと扉を開けた。
ベッドには管があちこちについている人物が横たわっていた。そばの椅子には明らかにほとんど眠っていない様子の女性が座っていた。
沢井奈のお母さんである。
看護師さんは「面会の方が来られましたよ」と言うだけで愛想も素っ気もなく部屋を出ていってしまった。
沢井奈君のお母さんは無言でじっとこちらを見た。
何だか気まずい沈黙である。
私はその沈黙を破ろうとして「あの、沢井奈君のお見舞いに来ました。これ、お花です。」と沢井奈君のお母さんに話しかけた。
「ああ、そのお花はそこの台の上に置いておいてちょうだい。」
お母さんの声は冷たかった。
「野々宮さんと松枝さんよね。面会に来てくれてありがとう。でもね、もううちの健太郎は意識もないし自分で息ができないから人工呼吸器をつけているわ。」
私たちは頷くことしかできない。
「お医者様ももう回復の見込みはほぼないと言っているわ。だからお見舞いにはもう来ないでちょうだい。」
お母さんの声はまるで氷の刃のようだった。
私はやっとのことで声を出した。
「で、でも。」
「二人が来てくれたことは本当に嬉しいし、感謝しているのよ。でも健太郎はもう声も聞こえていないはずなの。せっかく来てくれたのにこんなことを言うのは嫌なのだけれどね。」
お母さんの声は涙混じりになっている。泣くことを必死に堪えているようだった。
私もかける言葉が見つからない。黙って頭を下げるしかなかった。マキも黙っていた。
「この子のためにお見舞いに来てくれたことはとても感謝しているのよ。でも、この子の心臓が止まるまで最後に看るのは私の仕事なの。母親のわがままなんだけれどね。」
「いえ、そんなことは…」
私も何か言おうとしたが言葉が続かなかった。
マキは泣いていた。泣きながらお母さんの両手を握りしめていた。お母さんももう涙を流して笑っていて泣き笑いの状態だった。
そんな中、少し浮腫んだ顔の沢井奈は全く無表情で動くこともなく、おそらく人工呼吸器の音なのだろう、シューシューという無機的な音が規則正しく聞こえてくるのだった。
私たちは程なく病室を辞した。
私たちが買ってきた花束は病室に飾ってくれたが、沢井奈がそれを見ることはなさそうだった。
病院を出て駅の方に向かいながら歩いていると不意にマキが私に言った。
「うちのママが健太郎君のお見舞いに行けと言ったのはこういうことだったのね。」
「どういうこと?」
「健太郎がもう助からないので婚約とか許嫁の話は無理だぞって確認してこいってことだったんだと思うわ。」
「まだ回復しないって決まった訳じゃないと思うわ。」
「よほどな奇跡がないと無理よ。そうじゃなければ健太郎のお母さんが私にお見舞いに来るなという訳ないわ。」
「はーっ、友達がこんなことになるなんてね。」
私は思い切りため息をついた。
「もしかして健太郎に惚れてた?」
「そ、そんなことないわよ。」
「別に今更隠さなくてもいいわよ。私は別にあいつのこと好きじゃなかったし。」
「だから違うって。同じ「カッパー」を目指していたライバルというだけよ。」
「ふーん。まあどちらでもいいわ。これでうちの親も健太郎の許嫁になれということは無くなるでしょう。」
何だかマキの鼻息が荒い。
どうも嫌な予感がする。
「これから私は池宮君を落とすわよ。絶対に恋人になってやる。」
「あ…」
マキがあの日に池宮君に抱きついていたのは一時の気の迷いであって欲しかったのに。
「それで、玲子も私が池宮君と付き合うのに協力してくれるよね。」
「………」
明らかにわざとらしく明るい声で言ったマキの言葉だったが、私は黙ったまま何の返事もすることができなかった。
マキは「沢井奈君の時は大人しく引き沙汰下がったじゃない。今度もおとなしく引き下がってよね。私のために尽くしてちょうだいよ。」と言う。
確かに私は沢井奈君の時にはマキに譲ることが多かったけれど、それは特に沢井奈君に魅力を感じなかったから。
マキと沢井奈君が二人で立っていても特に何とも思わなかった。むしろマキを応援したかった。
けれども池宮君については違うような気がする。
あの戦いの後、マキが池宮君に取り縋っているのを見た時には何故かむかっときて池宮君の反対側の腕を取ってしまった。
無我夢中でやっちゃったけれど、池宮君は振り解くこともせず、ちょっと困惑した表情をしていた。
あれってごく僅かだけれど、全く脈がないわけでもないと思う。
「池宮君、ゴールデンウイーク中はあの三人と特訓するって聞いているけれど、昨日今日のあの盛り上がりを見ていると抜け駆けする子が出てくるのは想定できるわね。」
「えっ?玲子は池宮君を諦めてくれるんだ。私のために全力を尽くしてね。」
「バカね。私は池宮君のこと好きだもの。」
「えっ?ここで好き宣言するの?じゃあライバルね。もうここで別れましょう。」
マキはさっさと私とは別れて罰の方に歩いて行ってしまった。




