平穏という名の不穏
新政府の発足から、3年の月日が流れた。
かつて世界を揺るがした激動の日々は遠ざかり、国は驚くほどの速さで平穏を取り戻しつつあった。
それを背後で支えたのは、皮肉にもあの呪われた遺産——仮想通貨『ルミナスコイン』だった。
主神であるルミナスが失脚したことで、コインの価値は暴落し、いずれ電子の藻屑と消えるだろう。俺も含め、誰もがそう予想していた。しかし、現実は違った。
ルミナスの破壊を直接その目で見ていない、被害地域とは縁もゆかりもない遠くの国々や安全圏の傍観者たちの間で、「悲劇の聖女」としての魔法少女信仰が未だに根強く残っていたのだ。
結果として、ルミナスコインの価格は暴落するどころか、かつてないほどの暴騰を記録した。
「神に見放された世界で、悪魔の金が街を救うか。本当に、どこまでも皮肉な世界だな」
俺は執務室の窓から、新しく生まれ変わった近代的な街並みを見下ろした。
トークンの大部分を握る我が新政府には、天文学的な差額益が転がり込み続けた。その潤沢な資金を破壊された街やインフラの修復に惜しみなく投入したことで、国内の復興は急ピッチで完了へと向かっていった。
だが、人々の暮らしが豊かになり、生活が完全に安定し始めると、人間の心理にはまた別の歪みが生まれ始める。
衣食住が満たされ、過去の恐怖が薄れると、民衆はもうルミナスに罵声を浴びせることなどどうでもよくなったのだ。
あの日、怒号と怨嗟に満ちていた中央広場は、いまや形骸化した「かつての戦跡」という名の観光地と化していた。人々はスマホを片手に磔台の前に集まり、まるで珍しい彫刻でも見るかのように記念撮影をして通り過ぎていく。
中には、かつての栄光を忘れられず、十字架の下で静かに跪き、ルミナスへ祈りを捧げる狂信的な人間すら現れ始めた。
だが、当のルミナスの瞳には、もうそんな光景は映っていない。
心の壊れた彼女は、向けられるのが罵声であれ祈りであれ、ただ虚空をみつめて、生ける屍のようにぶつぶつと意味のない言葉を零すだけだった。
そして、衣食足りて「正義感」を持て余した大衆の関心は、次なる標的へと向かう。
「いくら元・犯罪者とはいえ、3年もあんな姿で晒し者にするのは非人道的だ」
「今の新政府のやり方は行き過ぎている。これでは独裁ではないか」
安全な日常を手に入れた傍観者たちから、そんな勝手な声が上がり始め、インターネットや街頭で急速に拡散されていった。昨日まで俺たちを「救世主」と称えていたマスコミも、風向きを察してじわじわと新政府への批判を煽り始めている。
かつて、魔法少女の暴虐に目を瞑り、異を唱える者を「悪」として排除した大衆の愚かしさ。
彼らは何一つ変わっていない。喉元を過ぎれば熱さを忘れ、今度は自分たちを救った俺たちに向かって不満の牙を剥き始めたのだ。
不穏な空気が漂い始める国。
俺は小さく息を吐き、デスクの上の報告書を睨みつけた。世界を狂気から救い出したはずの俺たちの前に、今度は「平和に飽いた民衆の我が儘」という名の、新たな『悪』が立ちはだかろうとしていた。




