第8章 下方修正
壊れてしまった社畜の悲しい復讐劇
四半期決算の速報値が出た。
売上は前年同期比で大幅減。
大型案件の失敗が尾を引いている。
追加受注は取れず、既存顧客の更新率も落ちた。
理由は単純だった。
提案が弱い。
詰めが甘い。
熱がない。
だが会議では、誰もそう言わない。
「市況が悪い」
「競合が強い」
便利な言葉が並ぶ。
黒田は資料を握りしめる。
「次で取り返す」
その声に力はない。
本社から通達が来た。
来期予算、削減。
採用凍結。
昇給見送り。
一斉メールは淡々としていた。
社員のチャットは静まり返る。
若手の一人が小声で言う。
「ここ、やばくないですか」
誰も否定しない。
相沢は画面を閉じる。
感情は動かない。
予測通りだ。
黒田は追い込まれていた。
管理職会議から戻ると、机に突っ伏す。
「数字を出せと言われてもな…」
誰に言うでもない独り言。
部下に檄を飛ばす気力も減った。
怒鳴る回数が減る。
代わりに沈黙が増える。
組織の上に立つ人間が沈むと、
下はさらに静かになる。
ある日、黒田が相沢を呼んだ。
「正直に言え」
珍しく低い声だった。
「この部署、立て直せると思うか」
相沢は少し考える。
立て直す方法はある。
目標を現実的にし、評価を透明にし、
挑戦を守る。
だが、それを実行する人間がいない。
「難しいと思います」
黒田は目を閉じる。
「そうか」
否定しない。
怒らない。
それが、終わりの始まりだった。
相沢の胃痛は悪化していた。
空腹時に鋭く刺す。
薬は机の引き出しにあるが、飲み忘れる。
どうでもいい。
帰宅後、何もせずに天井を見る時間が増えた。
テレビはつけない。
音楽も流さない。
静寂が心地いい。
何も期待しなければ、
何も裏切られない。
改革案は形だけ残っている。
挑戦を評価する制度。
だが挑戦する者がいない。
高瀬は何度か現場に来たが、
次第に頻度が減った。
数字が回復しない以上、
優先順位は下がる。
組織は見放され始めている。
二度目の大型案件が動いた。
会社としては後がない。
「今回は全力でいくぞ」
黒田は言う。
誰も反論しない。
だが空気は重い。
相沢は八割で動く。
不足はない。
だが、誰かが十割を出さなければ成功しない。
誰も十割を出さない。
会議でリスクを指摘する声が小さい。
「まあ大丈夫でしょう」
またその言葉。
嫌な既視感。
結果は、部分的成功。
だが利益はほとんど残らない。
実質的な赤字。
会社は体力を削られ続ける。
黒田の評価が正式に下がった。
役職は据え置きだが、
次期昇格候補から外れる。
噂はすぐに広まる。
黒田はさらに口数が減る。
ある夜、飲み会でぽつりと言った。
「俺は間違ってたのかもしれん」
誰も答えない。
相沢もグラスを見つめるだけ。
黒田は続ける。
「もっとやらせれば伸びると思ってた」
沈黙。
相沢は心の中で思う。
やらせれば、ではない。
現実的な数字を見れば、だ。
だが口には出さない。
出す必要がない。
冬が近づく。
社内の空調が弱い。
節電のためだ。
薄いコートを着たまま仕事をする。
寒さは集中力を奪う。
細かなミスが増える。
その修正に時間がかかる。
効率は落ちる。
誰も声を上げない。
上げても無駄だと知っている。
ある晩、帰宅途中に相沢は立ち止まる。
視界が一瞬、暗くなる。
壁に手をつく。
息を整える。
鼓動が速い。
壊れているのは会社だけではない。
高瀬の言葉がまた浮かぶ。
だが、考えない。
ここまで来て、止まる意味はない。
会社は確実に弱っている。
売上減少。
人材流出。
士気低下。
予算削減。
計算通り。
自分の人生が削れていることも、
計算に入っている。
それでいい。
年末。
社長メッセージが配信された。
「来期は構造改革の年にする」
その言葉に、希望はない。
削減と再編の予告。
社内は静かだ。
怒りも、悲鳴もない。
ただ、温度が低い。
相沢はメールを閉じる。
キーボードを打つ。
音は規則正しい。
会社の心拍は弱っている。
だがまだ止まらない。
自分の心拍も、同じだ。
どちらが先に途切れるか。
それを見届ける。
それだけが、今の目的だった。
次回、第9章は4月5日 19時更新予定




