第5皿 誇りまみれの食堂と、小さな助っ人
「リゼットさん、本当に全部やるんですか?」
翌朝、ミナは食堂の入り口で立ち尽くしていた。
店内には、積もった埃や古い木箱、使われなくなった椅子が散乱している。窓は曇り、床には細かな木くずが落ちていた。
リゼットは腕まくりをして、箒を手にしている。
「もちろん。ここを食堂にするんだから、きれいにしないとね」
「でも、これ……一日で終わる量じゃないですよ」
「一日で全部終わらせなくてもいいの。少しずつやれば大丈夫」
そう言いながら、リゼットは窓を開けた。
冷たい風が吹き込み、舞い上がった埃が光の中に浮かぶ。
「うっ……!」
思わず咳き込んだリゼットを見て、ミナが笑った。
「料理しているときは、あんなに格好いいのに」
「格好いい?」
「はい。この前、お母さんにスープを作ってくれたときです」
リゼットは少し照れくさくなり、箒を動かす手に力を込めた。
「じゃあ、掃除でも格好いいところを見せないとね」
「ふふっ。頑張ってください」
そう言ったミナは、持ってきた布を広げた。
「私も手伝います」
「でも、家のことは大丈夫?」
「今日はお母さんの調子がいいんです。それに……私も、この食堂が開くところを見てみたいから」
ミナの言葉に、リゼットは微笑んだ。
「ありがとう。それじゃあ、窓と棚をお願いしてもいい?」
「はい!」
二人は手分けして掃除を始めた。
リゼットが床や厨房を片づけ、ミナが窓や棚を拭いていく。最初は埃まみれだった店内も、少しずつ本来の姿を取り戻していった。
昼過ぎには、ベルンも様子を見に来た。
「おい、床をそんなに濡らすな。木が傷む」
「すみません。すぐに拭きます」
「それから、そこの棚は壁から少し離せ。湿気がこもる」
「分かりました」
文句を言いながらも、ベルンは棚を動かすのを手伝ってくれた。
ミナが不思議そうに尋ねる。
「ベルンさん、このお店をまた開けるのが嬉しいんですか?」
「別に。わしは貸した場所がどうなろうと知ったことではない」
「でも、さっきからずっと手伝ってくれていますよね」
「……邪魔なところに物が置いてあるからだ」
ベルンはそれだけ言うと、奥の物置へ消えていった。
リゼットとミナは顔を見合わせ、そっと笑った。
夕方になる頃、客席の椅子は並び直され、テーブルの汚れも落ちていた。厨房の道具も使えるものと修理が必要なものに分けられ、食堂らしい姿が見え始めている。
「わあ……!」
ミナが店内を見回した。
「昨日まで、ここがこんな場所だったなんて思えません」
リゼットも、ゆっくりと店を見渡した。
古びた壁も、傷だらけのテーブルも、まだ直さなければならないところだらけだ。
けれど、窓から差し込む夕日が、磨いたテーブルを照らしている。
ここで誰かが食事をする。
温かな料理を囲み、今日あったことを話し、明日も頑張ろうと思う。
そんな光景を想像すると、胸の奥が少しだけ温かくなった。
「ミナ、今日は本当にありがとう」
「私、何も大したことはしていませんよ」
「そんなことないよ。誰かと一緒に働くのって、こんなに楽しいんだね」
その言葉に、ミナは目を丸くした。
リゼットは自分でも驚いていた。
王宮では、厨房の仕事は常に競争だった。失敗は許されず、評価を得るために誰もが必死だった。
けれど、今は違う。
一緒に掃除をして、冗談を言い合い、少しずつ店がきれいになっていく。
それだけのことが、こんなにも嬉しい。
「……明日も、手伝いに来ていいですか?」
ミナの問いに、リゼットは笑顔で頷いた。
「もちろん。だけど、無理はしないでね」
「はい!」
その夜、リゼットは母から受け継いだ料理帳を開いた。
古びた表紙をそっと撫でる。
そこには、幼い頃に母と作った料理の記録が残っていた。
難しい料理も、特別な材料も必要ない。
誰かのために作る、いつもの食事。
ページの隅に、母の字で小さな言葉が書かれていた。
――食べた人が、明日を迎える力をもらえますように。
リゼットは、その文字を指先でなぞった。
「お母さん。私、ここでやってみるね」
窓の外では、町の灯りが一つ、また一つと消えていく。
古びた食堂には、まだ看板もなければ、客もいない。
それでも、リゼットは初めて、この場所で迎える明日が楽しみだと思えた。




