【レポート3】八咫烏
本作はフィクションです。登場する人物・団体・組織・事件などは架空のものであり、実在するものとは関係ありません。
……と、いうことにしておきましょう。
出勤すると、いつもは静かな書陵部が、珍しく騒がしかった。
「近藤くん! 昨日の『VIVANT』見たかね?」
机に向かっていた烏山が、珍しく興奮した様子で声をかけてきた。
「えっ? ビバントですか?」
「そうそう! いやあ、あれは面白いねえ。組織の裏側に、あんな秘密が隠されているとはね!」
俺は思わず苦笑した。
いつも淡々と仕事をこなし、何を考えているのか分からないあの烏山さんが、まさかドラマに夢中になるとは。
「烏山さん、そういうドラマがお好きなんですか?」
「いやあ、ああいう秘密組織の話は面白いねえ。公安だって、昔は活動自体が謎だったんだよ」
「そうなんですか?」
「ああ。世間に知られていない活動なんて、いくらでもある。存在や活動が知られていなければ、調べようもないからね」
烏山は楽しそうに笑った。
その日の仕事中、俺は烏山さんの言葉を何度も思い返していた。
実は、佐々木の件があってから、俺の中にはずっと引っかかっているものがあった。あの一件には、まだ表に出ていない何かがあるのではないか。そんな疑念が、心のどこかに残っていたのだ。
もちろん、確かな証拠があるわけではない。考えすぎだと自分に言い聞かせてはいたが、烏山さんの話を聞いて、ふと気になった。
もし、本当に世間には知られていない秘密組織が存在するのだとしたら――。
俺はその日、家に帰ると、佐々木の件について何か手がかりがないかと思い、噂話や都市伝説にまつわる秘密組織について調べ始めた。
公安、秘密結社、古くから存在すると噂される謎の組織。インターネットには、真偽の定かでない情報がいくつも並んでいた。
もちろん、その大半は根拠のない噂話なのだろう。
画面をスクロールしていた俺の目に、あるキーワードが飛び込んできた。
【八咫烏】
八咫烏。日本神話に登場する三本足のカラスで、神武天皇が東征した際、道案内をしたと伝えられている。太陽の化身ともされ、導きの象徴として知られる存在だ。
だが、都市伝説の世界では、八咫烏にはもう一つの顔がある。
それは、表には出ない日本の秘密組織だという噂だった。政財界や歴史の裏側で暗躍し、国家の重要な秘密を守り続けているという。組織の実態や構成員については諸説あるものの、確かな証拠は見つかっていない。
もちろん、どこまでが神話で、どこからが後世に生まれた噂なのか、俺には分からなかった。
「八咫烏か……」
俺は検索結果をさらに読み進めた。
すると、ある説に目が留まった。
八咫烏は、単に国家の秘密を隠すための組織ではない。古代から受け継がれてきた、ある重大な秘密を守るために存在している――。
「重大な秘密って、何だよ……」
「まあ、所詮は証拠も何もない都市伝説だ」
俺はそうつぶやくと、パソコンの電源を落とした。
明日も仕事だ。こんな噂話に付き合って夜更かしするわけにもいかない。
俺はベッドに潜り込むと、八咫烏のことなどすっかり忘れ、眠りについた。
翌朝、俺はいつものように出勤した。
昨日、インターネットで調べた秘密組織のことが、頭の片隅に残っていた。だが、だからといって何かが変わるわけでもない。
職場では、いつもと変わらない一日が始まっていた。
俺は書陵部に保管されている資料を整理し、書棚に並んだ書類の順番を確認していく。古い資料を所定の場所に戻し、乱れた棚を整える。そんな作業を、いつものように淡々とこなしていった。
そんなとき、烏山さんが話しかけてきた。
「近藤くん、昨日の話なんだがね」
「昨日の話ですか?」
「ほら、秘密組織の話だよ。八咫烏という名前を聞いたことはあるかね?」
俺は手を止めた。
「八咫烏? ああ、昨日ネットで見ましたよ。でも、どうせ都市伝説でしょ?」
烏山さんは、俺の顔をじっと見つめた。
「そうか。君もそう思うかね」
「ええ。日本神話に出てくるカラスが、いつの間にか秘密組織になってるんですから。話が大きくなりすぎですよ」
「ははは、確かにそうだね」
烏山さんは笑った。しかし、その笑顔がふと消えた。
「ただね、近藤くん。仮に、昔そういう組織が本当に存在していたとしても、今も同じ形で残っているとは限らないんだよ」
「どういうことですか?」
「時代が変われば、組織の形も変わる。かつて独立して活動していた集団が、国の仕組みに組み込まれることだって考えられるだろう?」
「まあ、そうですね」
「そうなれば、組織としての名前も役割も変わってしまう。最後には名前だけが伝承として残り、実態は誰にも分からなくなる。そんなこともあるんじゃないかな」
俺は、昨日ネットで読んだ八咫烏の解説を思い出した。
「じゃあ、八咫烏も、そういう組織だった可能性があるってことですか?」
「さあ、どうだろうね。何しろ、確かな証拠がない話だから」
烏山さんは、少し考えるように間を置いた。
「まあ、これは私の仮説にすぎないんだがね。秘密というものは、何もかも隠そうとするから、かえって怪しまれることもあるんだよ」
「どういうことですか?」
「大半が作り話だと思われていれば、その中に紛れ込んだ真実まで、まとめて作り話として片づけられてしまう。秘密を守るには、すべてを隠すより、その一部をあえて表に出したほうが都合がいい場合もあるんじゃないかな」
「でも、それじゃあ、何が本当なのか分からなくなりませんか?」
「だからこそ、秘密を守れるのかもしれないね」
烏山さんは、少しだけ声を落とした。
「例えば、八咫烏という名前だけを世間に残しておくんだ。秘密組織だとか、国家の裏側で暗躍しているとかね。そんな噂が広まれば、誰もがその名前を知るようになる」
「でも、実態は分からない……」
「そう。名前だけは有名なのに、確かな証拠は何もない。人々は、そんな話を都市伝説として笑い飛ばすようになる。もし、その名前の裏側に本当に何かが隠されていたとしてもね」
俺は思わず、烏山さんの顔を見た。
「……烏山さん、それって、わざとそうしているということですか?」
「ははは。あくまで私の仮説だよ」
烏山さんは、いつもの穏やかな笑顔を浮かべた。
「何もかも隠す必要はない。人々が知っていると思い込んでいることほど、調べようとしないものだからね」
烏山さんは、手元の資料をまとめると、それを棚に戻しに歩き出した。
俺は、さっきの話を頭の中で整理しながら、再び書類の整理に取りかかった。
すると、数歩進んだところで、烏山さんがふと足を止めた。
そして、ゆっくりと振り返ると、いたずらっぽい笑みを浮かべて言った。
「そういえば、近藤くん……」
「はい?」
「もしかしたら、君も知らないうちに、八咫烏の一員になっているかもしれないね」
「……えっ?」
俺が聞き返すより早く、烏山さんは再び歩き出した。
秘密結社とは、独自の目的や思想、儀式などを持ち、活動の一部を外部に公開しない組織のことだ。フリーメイソンや、かつて実在したイルミナティなどが知られている。
日本では、神話に登場する八咫烏が、国家の秘密を守る謎の組織として都市伝説で語られることもある。ただし、古代から続く秘密組織としての実在を裏付ける確かな証拠は確認されていない。
もし、秘密をすべて隠すのではなく、一部だけを世間に知らしめたとしたら? 人々はそれを単なる噂話だと思い、本当の秘密を見過ごしてしまうかもしれない。
あなたが都市伝説だと思っている話にも、何かの断片が隠されているのだろうか。




