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「ーーお水は飲まれますか?」
散々泣いて、泣き喚いて、また目を真っ赤に腫らした私にルシエルさんはそう尋ねた。
水差しからグラスにそっと水を注ぐルシエルさんは無理に私から何かを聞き出そうとはしなかった。
何も聞かないが、けれどもそっと寄り添うように優しく微笑んで傍にいる。
その姿が本当に天使みたいで、治癒魔法の治療を終えて上半身を起こした私は言葉もなく視線をさまよわせた。
「……あ、の、すみません。私……見苦しいところばかり……」
「いいえ、どうか気に悩まれぬよう。何度も言いますが、あなたの今の状態は普通のことなのです。屈強な戦士も同じように怖がって泣き暮らすこともままあります。ただの女性であるあなたならばなおさらです。今の自分を見苦しいと責めないでください」
「いえ、あの……そう、ではなくて……私、リックのことで……」
柔らかい声音に私はついそう返していた。
ルシエルさんがきょとんと目を丸くするものだから、私はさらに言葉を続けないといけない気になって、慌ててこう言い繕う。
「……リック……あの、ルシエルさんは……あの事件の加害者のことをどこまで知っていますか?」
「申し訳ありません、わたしが知ることはあまり多くなくて……あの方がリックという名前で、騎士だということくらいです」
「…………リックは、その……私の……婚約者でした」
その言葉を胸から引きずり出すのには少しばかりつっかえた。
ルシエルさんは無言のまま私の言葉を聴き、続きを促してくれる。
だから私は少しずつ、つっかえながらもリックのことをこぼす。
祖父が結んだ私の婚約が破談になったこと。
その後にリックと出会い、恋人になった経緯。
結婚が決まり、彼と婚約状態だったこと。
結婚が決まってから束縛がひどくなっていって、違和感を感じていたこと。
それでも多分それはマリッジブルーなのだと、気のせいだとして違和感を見ないふりしていたこと。
そうしていたせいなのか、あの日急に何かがパチンと弾けたようにリックが狂気に落ちてしまったように見えたこと。
リックと出会って、彼と愛し合い、とても幸せだったのだ。
幸せだったはずなのに、どこをかけ違ってしまったのか。
好きだった人が急に豹変して、私と親しい人を害し、私を恨むように何度も刺されたことがショックで……どうしてあんなことになってしまったのか。
話すうちにまたボロボロと涙がこぼれ、ルシエルさんが気遣うようにハンカチを差し出してくれる。
私はそれを受け取って涙を拭いながら、それでもなお重石のように胸につっかえているものを吐き出す。
好きだった。好きだったはずなのだ、リックのことを。
それでも彼の束縛を重たく感じ、疎ましく思ってしまうことも確かにあった。
リックはそんな私を薄々と勘づいていて、だからこそあんな風になってしまったのではないか。
リックをあんな風に変えてしまったのは他でもない私なのではないかと思うと、それがたまらなく胸を締め付けるのだ。
もしもリックの想いをきちんと私が受け止められていたのなら。
もしも私が従順に、大人しくリックの言うことを聞いていたのなら。
リックは変わらず好青年で、幸せな生活を継続できたのではないか。
先輩をも巻き込んだあんな凶行を起こらなかったかもしれないのではないか。
「………私が……私のせいで……あんなことが起こったんじゃないかって……そればかり……」
「レティシアさん……」
泣き喚き、胸の内をぶち撒ける私を労るようにルシエルさんがそっと肩に触れた。
その手のあたたかさは伝わるけれど、私は顔を上げることができなかった。
それどころかそのあたたかさが怖かった。
私にはそんなあたたかさを受け取るほどの資格があるとは思えなくて。
「……どうかそのようにご自分を責めないでください」
優しい声音が寄り添うようにささやいた。
ルシエルさんが私の顔を覗き込むようにしているのは気配でわかっていて、私は顔をハンカチに埋めたまま首を横に振る。
「……レティシアさん、ひとつわたしのお話を聞いていただけますか?」
言葉を探すように、ルシエルさんが語りかけてくる。
「わたしには……お二人の間に何があり、どれほど深く結ばれた仲だというのは推測するしかできません。ですが、あなたが深くリックさんを想っていらっしゃるのは痛いほどに伝わってきます。だからこそあのような事件が起こってしまったことに、あなたは心を痛めている」
優しく寄り添う声は子守唄のようだった。
決して魔法ではないはずなのに、ゆっくりと私の心に沁み入るように彼の言葉が入ってくる。
「きっと、リックさんもあなたのことを深く想っていらっしゃったのでしょう。でも……ですが、それでもなお人はかけ違ってしまうことは確かにあるのです」
「かけ違う………」
「そう、わたしたちは神ではなく、何事をも見通し、相手の内側を覗き見てすべてを理解することなどできません。だからこそ過ちを犯し、時には相手の想いを見誤り、傷つけることもあるでしょう」
私はルシエルさんの言葉を黙って聞き入る。
「レティシアさん、我々は人間です。過ちを犯すことは当たり前なのです。それをまず、頭に置いて聞いてください。果たして、誤ったのはあなただけなのでしょうか?」
一拍の空白。
ルシエルさんの問いかけに答えられず、私は呼吸を詰める。
「ーーわたしにはそうは思えません。愛とは、関係性とは互いに作り上げるものでしょう。どちらかひとりが足掻いて成り立つものでは決してないのです。だからあなたがひとりで何もかもを抱え込み、何かを変えられたと思い悩んでいらっしゃるというのなら、それは傲慢なことだと思いますよ」
「ごう、まん……」
柔らかな声音が告げるにはあまりに強い言葉には、と顔を上げれば、春の空のような淡い水色の瞳が私を覗き込んでいた。
「レティシアさん。愛する方と別れ、悔しく思う気持ちも、傷ついて悲しく思う気持ちも無理に捨てる必要はありません。それはあなたがそれだけリックさんを愛した素敵な証です。でも、その気持ちを自分に向ける刃にはしないでください。あの事件はあなたのせいではなかった。あなただけのせいでは決してなかったのです」
ルシエルさんの声を聞いていると、やっぱりまた涙腺が緩んでしまった。
また啜り泣いてしまう私の肩をルシエルさんが優しくさすってくれる。
あたたかい温もりを拒む気持ちは、もうなかった。




