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「ご機嫌よう、お久しぶりですね、レティシアさん」
シシリーと話した数日後。
私はひと月半ぶりにアルビオン侯爵領から王都に戻ってきたルシエルさんと会った。
ルシエルさんはフローラさんにアルビオン侯爵の仕事をほとんど引き継ぎ終え、あと残すは書類上の名前くらいになったそう。
だから彼は王都に戻ってきて、爵位継承の書類を王宮に提出しにきたのだ。
書類の手続きが終われば、今度はスカーレット伯爵家も含めて改めて話し合いをして私たちの今後について取り決める。
ーー私たちの将来を定める日がもう、すぐそこまで来ている。
「もう書類の提出は終わったので、あとは手続きを待つだけになります。これが終わればようやくすべて終わります。レティシアさんもお疲れ様でした」
「……はい」
「今までお付き合いをいただき、本当にありがとうございます。よければすべてが終わったら旅行などいかがでしょう。感謝と労いを込めておもてなしをさせていただきたいのですが」
にこやかに言うルシエルさんに私は返答に詰まってしまった。
当たり前のようにすべてが終わった後の、その先の話をするルシエルさんに戸惑ってしまったのだ。
『ルシエルさんに告白をして返事をもらってきなさい』
先日のシシリーの言葉が蘇る。
そう。そうだ。シシリーの言うとおり、曖昧にしたままの部分をはっきりさせなければ先の話なんてままならない。
でもどうやって。何をどう言えば。
思えば私はこういうことに対していつも受け身だった。
トラヴィスに関してはお祖父様が勝手に決めてしまって、向こうが嫌な奴だったからと互いに歩み寄りもしなかった。
リックは向こうからアプローチしてきた。私はそれを受け止めるばかり。自分の方から気持ちを伝えてぶつかろうとしたことなんてほとんどなかった。
言わなきゃ。と焦りばかりが募るのに、どう伝えればいいのかわからなくて私はただモジモジと視線を落とすだけだった。
と、そんな私の目の前にルシエルさんが手を差し出す。
「お返事は今すぐでなくとも構いません。レティシアさんにも都合があるでしょう。今はお約束していた仕立て屋に参りましょう」
「ーーはい」
逃げ道を用意するようなルシエルさんの優しい物言いに私はただ頷くしかできず、彼の差し出された手を取った。
今日、私がルシエルさんと仕立て屋に赴くのは、フローラさんの結婚式で着るためのドレスを仕立てるためだ。
フローラさんの結婚式は今からひと月後。
その頃には書類上の手続きも終わり、フローラさんが新アルビオン侯爵として立つ。
彼女の結婚式は同時に新アルビオン侯爵のお披露目の場でもあり、私たちはその場に親族として立つ。
それがきっと、彼の婚約者として立つ本当に最後の仕事になるのだろう。
それが終われば契約の期限。話し合いを経てーー私たちはどうなるのか。私はどうしたいのか。
私をエスコートしてくれる隣のルシエルさんの顔をそっと盗み見る。
彼は私と結婚をする将来を望んでくれている。その先があるのだと信じて先の話もする。
私だって別にその未来を嫌だと思っているわけじゃない。
むしろ彼のことが好きで、そのまま一緒に歩いていけたらと思っている。
思っているのに……その先を歩くことに不安を感じ、とてもモヤモヤとしたものを抱え込んでしまっている。
そのモヤモヤが何なのかはシシリーとの話ではっきりと突きつけられた。
私は政略や契約の続きではなく、恋愛という結びつきで彼と結婚したいのだ。
それが贅沢な悩みだということも知っている。
何せ彼は私と夫婦として一緒に歩くことを望んでくれている。その心がどこにあって、私のことをどう思っているのかわからないだけで。
アルビオン侯爵家のためかもしれない。大切な兄の忘れ形見であるフローラさんのためかもしれない。
単純に大神殿に戻って奉仕する道に戻りたくない自分本位な考えかもしれない。
それでも彼は婚約者として、そして結婚をすれば夫としての体裁を保ち、私を大切にしてくれるだろう。
そうとわかるけれど。わかるからこそ、私は我儘になって彼の心が欲しくなってしまうのだ。
「ーーレティシアさん」
「っ!」
ふと名前を呼ばれて私は我に返る。
は、と顔を上げて、私はようやくここが約束していた仕立て屋の前でないことに気がついた。
吹き出す水が跳ねる音。
舗装された石レンガの道。
周りを囲む美しく整えられた花壇。
ここは仕立て屋の近くにある国立の噴水庭園だった。
考え事をしていたがために自分が何故ここに連れてこられたのかわからず、困惑に辺りを見回せば、ルシエルさんがくすりと笑んだ。
「道を逸れていたことに気が付かないほど、何かを考え込んでいましたね。何を考えていらっしゃったんですか?」
「それ、は……」
ルシエルさんの問いに私は言葉に詰まる。
あなたのことを考えていた、なんて白状するのは恥ずかしくて思わず視線を落とせば、ルシエルさんはますます喉を鳴らして笑って繋いでいた私の手を恭しく持ち上げた。
「わたしには言えないことでしょうか?」
「……… ……………」
重ねて問われても私は何も返せなかった。
これはルシエルさんがくれたチャンスだろうと思うのに、シシリーの言った通りに私は彼にぶつかる勇気が持てなくて二の足を踏む。
彼に自分の気持ちをぶつけ、自分をどう思っているのか問いただすのは怖かったのだ。
私を何とも思っていないのならば、彼は問いただした途端にあっさりとそれを口にするだろうから。
「……………ふふ、少し意地悪をしすぎたようですね」
押し黙る私へ、ふとルシエルさんはそう口にした。
彼の言葉の意味がわからずに私が視線を上げて彼を見れば、彼の顔がそっと近づいて私の唇に唇を触れさせた。
優しく、柔らかに吸い付いた唇は私の唇の感触をゆっくりと味わうように触れて、やがてゆっくりと離れる。
何が起こったのか、私は一瞬理解ができなかった。
「……将来のことを思い、わたしのことでいっぱいになっておりましたか?」
頭を真っ白にして固まった私の耳元に優しくルシエルさんが言葉を吹き込む。
「今日だけでなく、その前も、ずっと前からわたしのことを考えていてくれましたか? わたしの心がどこにあるのかと悩み、わたしとの将来をどうしたいのかと頭をいっぱいにしてくださいましたか?」
優しい声は甘くて、まるで毒のように私の頭の芯を痺れさせる。
どくどくと高鳴る心臓がうるさいほどに鳴ってしまう。
「そうだったならとても嬉しい。わたしは大好きな人にわたしのことだけを考えていてもらいたい人間なんです」
「ルシ、エルさん……」
今、何と言われた。
耳を疑うようなことを囁かれ、私はますます頭を真っ白にしてしまう。
「けれども悩みすぎてあなたが離れてしまうのはわたしの本意ではないので、今あなたに白状しましょう。わたしはあなたを愛しております、レティシアさん」
真っ白な頭に直接ルシエルさんの言葉が流し込まれるようだった。
「わたしを想ってくださるあなたの気持ちが快い。他者を慮り、誰かのために一生懸命になれるあなたの善性がいとおしい。あなたのすべてをわたしだけに向かせたいほど、あなたのことを愛しております」
私を見つめる薄水色の瞳が蕩けるように細められた。
私の手を取ったままの大きな手が私を逃すまいとそっと力を込める。
「わたしとこのまま結婚していただけませんか?」
「……… …………ルシエルさんは、とてもずるい人ですね」
真正面から私を見つめるルシエルさんへと返せた言葉はそんな可愛げのないものだった。
顔を真っ赤にして俯かせた私へ、ルシエルさんはただクスリと笑んだ。
「ええ、その通りです。あなたをどれだけわたしのことでいっぱいにできるか。そのためにタイミングをずっと計るくらいに、わたしは小狡い男ですよ」
「……もし、そんなあなたに幻滅して私が結婚をしたくないなんて駄々を捏ねたらどうするんですか」
意地悪な彼に意地悪をし返したくて、そんなことを問う。
すると彼はきょとんと目を丸くしてこう言った。
「それは困りますね。あなたがいなくてはわたしが命を投げ出そうと思った時に止めてくれる方がいなくなってしまいます」
「それは……」
ああ、この人は本当にずるい人だ。
そう言えば私が離れられないのだとわかっていてそう言っている。
この人はきっと本当にそうだからなおさらに。
私が観念して情けなく眉を八の字にして彼を見れば、彼はにっこりと笑んで改めて私の唇に触れるだけのキスをした。
「……わたしと結婚をしてくださいますね? レティシアさん」
「…………はい」
ルシエルさんが改めて問い、私は真っ赤になったまま頷いた。




