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「おはろー」
気のない挨拶に私は戸惑った。
フローラさんの後に家庭教師を受け持つ子の授業をした帰り道。
夕飯を食べて帰ろうと寄ったレストランにいたのはクルクルと巻いたサイドテールの髪にリボンと花飾りをたくさん挿し、足が剥き出しになるほどに短いスカートを履いたヨハンナ様だった。
「こんにちわ」
「ルゥくんの婚約者さん、今からご飯? そんならこっち座らない? ご飯、一緒に食べようよ」
声をかけられて困惑しながらも私がそっと会釈を返せば、彼女は自分の座るテーブルを軽く叩いて私を呼ぶ。
聖女とは思えないほどの気安さの彼女に私は戸惑ったが、断る理由も思いつかずに遠慮がちに彼女に呼ばれるがまま彼女と同じテーブルにつく。
「ボクが奢るから遠慮せず好きなもん食べてね」
「え……そんな、悪いです。自分の分は自分で支払います」
「いいのいいの、聖女って金持ってんのよ。浄財ってやつ。でも聖女が金持ってるってイメージ悪いじゃん? だからこれは喜捨よ、ボクに経済回させて」
遠慮するもメニューを差し出すヨハンナ様に押し切られ、私は戸惑いつつも彼女からメニューを受け取る。
彼女もまたメニューを広げ、楽しそうにメニューを選んでいる。
メニューを広げたまま私が密かに彼女を窺っていると、私の視線に気がついただろうヨハンナ様と目が合った。
「ボクはやっぱりオムライスにしようかな。それからキッシュ、たまごサラダ。デザートはフレンチトーストとプリン。キミは?」
「え……あ……それではペペロンチーノを」
「オッケー。デザートはいる? ケーキとかつけちゃう?」
おずおずと選んだものを告げた私にヨハンナ様はそんなことをおっしゃるので私は慌てて首を横に振った。
ヨハンナ様は「遠慮しなくていいのにぃ」と笑いながら店員を呼んで選んだメニューを注文する。
「さて、じゃあ改めて。ボク、ヨハンナ。気軽にヨハンナって呼んでくれると嬉しいな」
「でもヨハンナ様……」
「ヨハンナ。ボク、聖女といえど爵位もない平民なんだよ。キミは貴族のお嬢様でしょ?」
「いえ、私も貴族の家に生まれただけであって、貴族家に嫁がなかったので平民になる予定なんです」
「じゃあなおさら。平民同士なら格式ばった口調だって必要ないってね。というか、ボクがこんな馴れ馴れしい口調じゃん? だから丁寧に接されると逆に気になっちゃって。ネ?」
そこまで言われると敬語で話すのは逆に無礼だろう。
私は「わかったわ」と苦笑を返した。
「では私も自己紹介を。レティシア・スカーレットよ。今は家庭教師をしているの」
「レティシアだね、よろしく。じゃあ早速。ルゥくんからある程度事情は聞いてるんだけど、それでもちょっと心配でさ。ルゥくんって、どう?」
「どう、とは?」
「レティシアから見てルゥくんってどう? あいつ、外面だけはいいもんだから最初はいいんだけど、婚約した後で“あれ?”って思うこととか“思ってたんと違う!”とか出てくると思ってて」
「い、いえ、そんなことは全然ない、けども……」
ヨハンナ様ーーヨハンナが心配するようなことは本当にない。
ルシエルさんは優しいし、婚約者として私のことも気にかけてくれる。
確かにこちらの気持ちに気づいていて弄ぶように気を持たせるようなことをする意地悪なところは少しあるけれど、それだって私が嫌がるような無理なことは決してない。許容の範囲だ。
だが、けれども。
言い淀んでしまった私にヨハンナは「やっぱりぃ」とため息をついた。
「ルゥくんって乙女心……というかそもそもの人の機微を理解できても共感は一切しないサイコ野郎なところあるからさぁ。善人ぶりたがっても中身がそもそも悪魔だからな、あれ」
もしかしてヨハンナはルシエルさんが嫌いなのではないかと思うほどにあまりにも辛辣な物言いだ。
彼女のあまりの言いように戸惑って固まっていれば、彼女はもう一度深いため息を落としてこう言った。
「いやホント、ルゥくんってね、好き嫌いがはっきりしてるっていうか……根っからの狂信者なのね。盲信しているのは神様じゃなくてお兄様なんだけど」
「兄を盲信……」
「そ。筋金入りのブラコンで兄だけが大事、それ以外はどうでもいいってタイプ。そのお兄様が人の心を慮れる善人だったのが救いよね。だからルゥくんも大好きなお兄様の判断基準に則って善人を尊び、弱きを労り、博く愛そうとする。まあ本人も真似しかできていない自覚はあるんだろうけど」
ヨハンナの話に私はルシエルさんの言葉を、“兄をそれを願った”という言葉を思い出していた。
フローラさんの感情に寄り添ったからではなく、兄ならば寄り添うと思ったからという言葉に感じた違和感は彼が「フローラさんをどうでもいいと思っているように思えた」からに他ならない。
だからヨハンナの話は腑に落ちてしまった。
彼の行動はただ本当に亡くなった兄を思っての行動だったのだ。
「だからお兄様が亡くなったって話が飛び込んできた時はとにかく大変だったよ。たまたま一番にそのニュース聞いたのがボクとソロネのおっちゃん……結界の聖人だったんだけど、ルゥくんの耳に入らないように急いで緘口令敷いてさ。何せルゥくんの耳に入ったら三戒破りしてまでお兄様生き返らせようとするに決まってるからね」
「………! 生き返らせる……」
ヨハンナの言葉に私は息を呑んだ。
ヨハンナ様は先に運ばれてきたお冷を口にし、深くため息をつく。
「ルゥくんってば治癒の聖人だった男よ。やろうと思えばそれくらいできちゃう男なんよ。だからルゥくんに情報シャットアウトしてる間にこっちでお兄様の遺体掘り出して隠したりしてね。まあ、知らない間にお父さんの遺体が消えてるなんてことになってる姪御ちゃんには本当申し訳ないことをすることになって……まあ、そんな負い目があるからルゥくんの無茶通して守護のための聖石融通したり、大神殿が姪御ちゃんのお友達の身柄を引き受けたりしたんだけども」
知らない話に私は唖然と固まる。
ヨハンナは固まる私に構わず続ける。
「ともかく大神殿としては世界最高峰の治癒術を使える男を失うわけにはいかない。ボクらも同僚が亡くなるのをみすみす見過ごすわけにはいかなくて。お兄様の遺体を隠した後にようやくルゥくんの耳にお兄様の訃報を入れた時は怖かったねえ。ちょっと言葉では言い表せないくらい」
ルシエルさんがネグロ子爵やトラヴィスを追い詰めた時の様子を見ていなければ想像がつきにくい場面だ。
その時のルシエルさんもあんな感じだったのだろうか。
「浄化の聖人と殴り合って、筆頭聖女様からもこんこんと説教されて、何とか宥められたはいいんだけど……今度は残された姪御ちゃんを守りたいからって還俗しちゃって。でもそれって本当にそうだと思う?」
「……… ……………」
私は答えられない。
ルシエルさんが復讐のために力を振るおうとした場面を実際に見たからだ。
押し黙って視線を落とした私を見て、ヨハンナは苦笑をした。
「ボクが懸念しているのはルゥくんが死にたがってるんじゃないかってこと。お兄様がこっちの世界に還ってこれないなら、自分が赴けばいいってね。“お前の兄は弟が自らの命を投げ出して喜ぶのか”っていう筆頭聖女様の説教が効いて無為に命を投げ出す真似はしないと思うけれど、彼は自殺した後でお兄様が怒って悲しんで、でもその後に“そういう理由なら仕方ないなぁ……”って受け入れてもらえるような理由をずっと探してる気がするんよ」
そうヨハンナが言った時、食事を携えた店員が私たちのテーブルにやってきた。
私たちに「お待たせいたしました」と告げ、テーブルに食事を並べられるのを見て、ヨハンナは目を輝かせた。
「おっと、辛気臭い話は終わり終わり。ボク、こんな話がしたかったわけじゃないんだよ。ルゥくんがいかに朴念仁で人の心を弄ぶひどいやつって愚痴で盛り上がりたかっただけなんよ」
そうしてヨハンナはスプーンを手に取って明るく言う。
彼女の笑顔に私もまた笑顔を返すが、内心は今まで何となく感じることのできなかったルシエルさんの危うさを知って、心配で仕方なかった。




