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ヨハンナ様はマチルダ嬢の出家手続きが終わったことを知らせるためだけにルシエルさんの元を訪れていたらしい。
その報告を終えた彼女は「じゃあボク仕事あるから」とさっさと帰ってしまわれた。
ルシエルさんと残された私もルシエルさんと一緒にマチルダ嬢のことを聞けたため、所用はなくなったと言っていいのだが。
なんとなく帰りがたくてモジモジしているとルシエルさんがお茶に誘ってくれた。
「ーー………………」
その誘いに乗らせてもらったはいいが、私は何をどう切り出せばいいのかわからずにルシエルさんの様子をためらいがちに窺うことしかできない。
ルシエルさんの態度はいつものままだ。
いつかのように砂糖壺から自分のティーカップにいくつも角砂糖を落としている。
「フローラはマルクスさんと観劇に出かけているんです」
ふと居心地の悪い沈黙を裂いて、口を開いたのはルシエルさんの方だった。
「フローラがあまりにもマチルダ・ネグロのために根詰めて裁判事例をひっくり返すものだから、マルクスさんは見かねて気晴らしに連れ出してくださったんでしょうね」
ルシエルさんの話に、その様子が目に浮かぶようだった。
仲良しだった幼馴染のために一生懸命になっていたフローラさんのことを思うとヨハンナ様が知らせてくださった話には改めてホッとする。
「帰ってきて事態が好転していたとわかったらあの子はどんな反応をするのでしょうね。喜びは当然してくれるのでしょうが、またわたしはあの子に叱られそうです」
「え……?」
「“そんな方法があるなら最初から言ってよ、叔父様!”って」
砂糖のたっぷりと入ったお茶に口付けながら、ルシエルさんがそう言った。
その言葉に私はほんの少し考えて、確かにと頷いてしまった。
「フローラさんにもお話されなかったのですね。お話しされていたらその叱責は回避できたと思うんですが……」
「ぬか喜びはさせたくありませんでしたからね。わたしのしたことはほとんど目のない賭けでしたから」
「目のない賭け……」
「実のところ、聖力の洗礼を授けたところで一般の方が聖力に目覚める確率はほとんどないんです」
ルシエルさんによると聖力というものはすべての人間が持っているものではあるものの、それを治癒や浄化等として発現できるほどの量を持つ人はそう多くはないそうだ。
多量の聖力を持つものから他者に洗礼という形で注ぐことはできたとしても、それでも目覚める確率はほとんど低い。
小さなコップにたくさんの水を注いでもすぐにあふれてこぼれてしまうように、聖力を受け取る人の器が相応でなければ聖力を力として発現できないのだ。
それでも無理をして注げば器の方が壊れてしまう。
今回、ルシエルさんがマチルダ嬢に無理に聖力を注ぎ込んで、それは高熱という形で現れた。
それだけの苦痛があっても彼女が聖力を発現できない可能性の方が高かったらしい。
「…………正直、少し驚きました」
ふと私が口にした言葉にルシエルさんは不思議そうに首を傾いだ。
「前にお話しした時、ルシエルさんはマチルダ嬢のことは“どうでもいい”とおっしゃってましたから。もしかしたら骨折り損になるかもしれない手間をかけて、加護の聖女ヨハンナ様にまで掛け合って彼女のことを救ってくれるだなんて思いもしませんでした」
私がそう告げればルシエルさんは「ああ」と微笑んだ。
「大した心変わりがあったわけではありませんよ。わたしは今も変わらずマチルダ・ネグロのことはどうでもいいのです。けれどもわたしがしたことでフローラの気持ちが救われるのならば、そうするべきだと思ったのです。兄もきっとそれを願ったでしょうから」
ルシエルさんの言葉に私は何と言葉を返すべきか迷ってしまった。
フローラさんのためではなく、兄のため。
それでもマチルダ嬢の命は救われ、ルシエルさんはフローラさんの気持ちを救ったのだろう。
けれども私は兄のため、と口にする彼の危うさを感じて彼の行為を肯定することができなかった。
そのくせ「フローラさんのためではなくお兄様のためなんですね」という嫌味のような言葉も吐くわけにもいかず、言葉に詰まったまま目の前のルシエルさんを見つめ返した。
ルシエルさんは私の気持ちを察しているのか、いないのか。ただいつもの微笑みを返すばかりだった。




