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「……………ルシエルさんは……あの時ネグロ子爵を討てなかったことを、悔やんでおりますか」
私はためらいがちにそう問いかける。
そこまで深い憎しみを抱いているのならば、あの時私が止めて、止まってしまったことを後悔しているのではないか。
心配する私に、ルシエルさんが振り返って杞憂だとばかりに微笑んだ。
「いいえ。レティシアさんが止めてくださって本当に感謝をしております。あの時も言ったでしょう、あなたが止めてくださったから兄の言いつけを破らずに済んだのだと」
本当かと疑うように私は彼の顔を見つめる。
ルシエルさんの表情はいつものように穏やかで優しい天使の顔と変わらなかった。
「レティシアさんは言ってくださいましたね。わたしの手は誰かの命を奪うものではなく、救うためにあってほしいと。兄もね、あなたと同じことを言ったんです」
「お兄様が……」
「ええ。あなたと同じように命を奪おうとする力を使ったわたしの両手を握り締めて、あなたと同じことを訴えた」
ルシエルさんが昔に思いを馳せるように遠くを見る。
それはミカエラ・アルビオンとルシエルさんの父親が病でこの世を去った直後に起きた事件だった。
前ネグロ子爵ーー今のネグロ子爵の父親は今のネグロ子爵と同じ野望を抱き、兄である二人の父親が亡くなれば唯一の障害となるミカエラ・アルビオンを亡き者にしようとした。
前ネグロ子爵は彼の十も年下である幼い弟であるルシエルさんにずっと目をつけていたのだ。
幼いが故に婚約者も決まっていない彼の後見人に収まり、やがては自分の娘を当てがってアルビオン侯爵家そのものをも乗っ取るために。
けれどもそれは上手くいかなかった。
他でもない、ルシエルさんの手で阻止されたのだ。
毒を盛られた兄を必死になって救おうとしたルシエルさんは治癒術を発動させた。
それのみならず、ルシエルさんは目覚めさせた強大な聖力の使い方を本能的に察しており、その力を下手人に向けた。
兄を害した前ネグロ子爵の命を奪おうとしたのだ。
「大好きな兄を奪おうとした男を許せず、地獄の苦しみを見せようとしたわたしの手を握り、“そんなことをしては駄目だ”と諭したのは他でもない、兄でした。兄は己の命を奪おうとする男を許し、何も知らなかった彼の家族を気遣い、兄はこの一件をなかったことにしたのです」
その時にきちんと前ネグロ子爵を告発してネグロ子爵家を処断して断絶させていれば、今日の事件に繋がらなかったかもしれないのはあまりにも悲しいものだ。
けれどもミカエラ・アルビオンはその時に前ネグロ子爵を断罪することができなかったのだろう。
その時は何も知らなかったネグロ子爵家の人々まで処断できなかった甘さもある。
けれどもそれ以上に強大な聖力を目覚めさせたルシエルさんが使おうとした力を世間に漏らしたくなかったから、なのだろう。
強大すぎる聖力を秘め、その力を凶器にしようとした子供が世間からどう見られるかなんて火を見るよりも明らかだ。
ルシエルさんもそのことを察しているのか、自分の手のひらを見下ろして眉尻を下げた。
「そうしてわたしは力の使い方を学ぶために大神殿に預けられることになったのです。大神殿に旅立つ前夜、わたしは兄と約束をさせられました。わたしの手は人の命を奪うのではなく生かすために……優しい使い方をしてほしいと」
「優しい使い方を……」
ふとルシエルさんの足が止まる。
つられて私も足を止めれば、ルシエルさんが私を振り返って真っ直ぐと私を見据えた。
彼の真っ直ぐと見つめる瞳に緊張して背筋を正した時、彼はこう口を開いた。
「レティシアさん……お願いをしてもよろしいでしょうか」
「……な、何でしょうか」
「あなたの鼓動を聴かせてほしいのです」
「私の、鼓動……」
「はい。わたしが兄の言いつけを守り、命を生かすために繋ぎ止めた音を聴かせてください。わたしは兄を裏切らなかった……わたしは兄との約束を守ったのだと、その証をどうか……聴かせてほしい」
彼の言葉に私は怯んで戸惑ったけれど、ルシエルさんに向けておずおずと両手を広げて彼の頭を胸に抱きしめる。
ルシエルさんは私の胸に大人しく抱かれ、固く目を閉じて私の鼓動に耳をすませた。
ドク、ドク、と鳴る鼓動は少し早いだろうか。
私の緊張に構わずにルシエルさんはジッとしている。
私は声をかけるのも憚れて、ただカチンコチンに固まったままルシエルさんの頭を抱き続ける。
「……………兄様……」
やがてルシエルさんがぽつりと小さく呟いた。
その声はずっと迷子のまま家に帰れない子供のような響きをしていて、私の胸はギュウと締め付けられた。
彼の兄が亡くなって、彼は今初めて内側に押し込めた悲しみを溢れさせているのではないかと思えたのだ。
だからほんの少し無礼かもしれないと遠慮をしながらも、私は胸に抱えたルシエルさんの頭をそっと撫でる。
ぱた、と胸元にあたたかい滴がこぼれ落ちるのを感じた。
それからしばらく、私は声もなく涙を落とすルシエルさんの頭を抱えたまま撫で続けた。




