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「ーー………っ!」


 その背中が見えなくなれば、もう二度と会えなくなる気がした。


 私は嫌な感覚の急かすまま、私もまた馬車を飛び降りた。

 私に何ができるわけではないけれどもルシエルさんをひとりにしてはいけないと思ったのだ。

 全力で駆ける馬車から飛び降りたことで地面に転がることになったが、そんな痛みに構っている暇はない。

 野盗はもうルシエルさんの目の前まで迫っている。


「ルシエルさん!」


 私が叫べば彼はハッと私を振り返り、困惑に顔をしかめた。

 その瞬間、ルシエルさんの目の前に迫った野盗が馬上から鋭い刃をルシエルさんに突きつけた。


「ルシエルさん……!」


 私は悲鳴を上げるが、ルシエルさんは走り寄ろうとする私を制した後に静かに投降するように両手を挙げた。


「……まったく穏やかではないですね。か弱い婦女子も乗っていた馬車ですのに、あのような物騒なアプローチを仕掛けられるとは」

「ルシエル・アルビオンだな。俺たちと一緒に来てもらおう」


 飄々と軽口を叩くルシエルさんに野盗は一切取り合わず、それだけを告げる。

 端的な言葉にルシエルさんが私へと視線を向けた。


「レティシアさんには一切手を出さないと誓ってくださるなら」

「女は殺せと言われている」

「なるほど。それは困りました」


 剣を突きつけられていてもなお、ルシエルさんはいつも通りだった。

 穏やかな声音は世間話でもしているようで、剣を突きつける野盗もルシエルさんの様子の不可解さに眉間にシワを寄せた。

 ルシエルさんは構わずこう続ける。


「どうやら少し痛い目に遭っていただく必要があるようです」

「は………っーー!?」


 野盗がルシエルさんの言葉を聞き返すよりも前にルシエルさんが挙げた手のひらから眩い閃光を放っていた。

 その閃光に馬が驚き、前足を跳ね上げて背に乗った野盗を落とす。


 そうして背中から地面に叩きつけられた野盗の顎をルシエルさんが容赦なく蹴り飛ばし、昏倒させる。

 後ろで同じように馬から叩き落とされてまごつく野盗たちにルシエルさんが手をかざしたかと思うと、光の輪が彼らをすぐさままとめて拘束した。


「っ、クソ……!」


 運良く光の輪から逃れた野盗が矢を放つ。

 けれども狙いも何もない矢はそれて飛び、ルシエルさんはそのまま真っ直ぐとその野盗に突っ込むと、その鼻面に掌底を叩き込んだ。


 あっという間の出来事に私は何が起こったかわからずに呆然とする。


「レティシアさん、大丈夫でしたか? 無茶をなさいますね」

「え、あ……」

「さあ、怪我を診せてください。治癒魔法を施します」


 呆然としている間に野盗の制圧を終えたルシエルさんが私の元へと駆け寄ってきた。

 彼は私の手を取ると治癒魔法を発動させた。

 あたたかい光が馬車を飛び降りた時について擦りむいた手のひらを癒し、傷を綺麗さっぱりと治してくれる。


「他に傷はありますか?」


 問われ、私は思わず自分の膝を見下ろした。

 つられてルシエルさんも私の膝へと視線を向ける。

 土で汚れたデイドレスにほんのわずかに血が滲んでいる。


「申し訳ありませんが、スカートを持ち上げていただいても?」


 ルシエルさんが跪き、そう言って私を見上げた。

 私はためらったが、彼の視線に押し負けてそっとスカートの裾を膝丈まで持ち上げる。

 すると地面に擦って真っ赤になった膝が露わになった。


「失礼しますね」


 ルシエルさんがそう言って私の膝に手をかざす。

 治癒魔法のあたたかな光を膝に受けながら、私はルシエルさんの前で足を露わにしている恥ずかしさから居心地が悪くてムズムズとした。


「ーーわたしは“逃げおおせてください”と言ったのに」


 治療の最中、ルシエルさんがふとそう言葉をこぼす。


「どうして逃げてくださらなかったのですか?」

「す、すみません、ルシエルさんがどうしても心配になって……」


 ルシエルさんの言葉に私は叱られている子供のような気持ちで言い訳をした。


 実際、私がルシエルさんを案じてルシエルさんを追いかけたとしてもできることなど何もなかった。

 あの時はあのまま馬車に乗ったまま逃げ切り、言われた通りに警邏へと訴えて応援を呼ぶのが正しい選択だったろう。

 ひとりで野盗を制圧せしめたルシエルさんを目の当たりにすればなおさらに足手纏いになる私は彼を追いかける必要なんて本当になかった。

 あの時は気が動転してどうかしていたと思うのに、心のどこかではそれでもルシエルさんを追ったことは間違っていないと思う自分もいた。


「……仕方のない方ですね」


 視線を背ける私へルシエルさんが呆れたように微笑んだ。

 本当に聞き分けのない子供になってしまった気分だ。

 この人に迷惑をかけたくないと思うのに、迷惑ばかりかけていることに申し訳ない気持ちでいっぱいだった。


「さあ、治療は終わりました。もう大丈夫ですよ」


 ルシエルさんがそう言って立ち上がり、私はようやく持ち上げていたスカートの裾を下ろす。


「それでは彼らからお話を伺いましょうか」


 そしてルシエルさんが光の輪で縛りつけた野盗たちを振り返る。

 彼らはその視線にびくりと体を竦ませた。

 ルシエルさんは彼らに構わず、昏倒して倒れ伏している野盗を手際よく縛り上げながらこう告げる。


「さてこの通り、わたしは見た目と違って優しい方ではありません。これからあなた方にいくつか質問をしますので、正直にお答えくださいね。でないとーー」


 そこでルシエルさんは意味深に言葉を切り、微笑んだ。

 それだけで野盗たちは震え上がり、何度も頷いた。

 素直にすべてを白状すると震える野盗にルシエルさんはにっこりと微笑みを返した。


「ありがとうございます。わたしとてか弱い婦女子の前でおぞましい拷問などしたくなかったので、素直になっていただけるのは大変助かります」


 果たしてその言葉は脅しなのか。


 ーーおそらくは脅しなどではないのだろう。この人は虫も殺せないという顔で拷問というおぞましい行為も平気で行えるような人のような気がした。


 この人の本当の姿はどこにあるのだろう……

 いつも通りの穏やかな顔のまま、野盗へと尋問をするルシエルさんの背中を私はただ見つめることしかできない。

 近づこうとしても遠ざかる蜃気楼を見ているような、そんな気分だった。

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