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その後、予定が押されていると言い合うふたりを引き離して予定通りに代官として働くネグロ子爵家の仕事の監査するために帳簿を確認したり、ここ最近の事業計画書のチェックを行なった。
結果から言うとそれらには何ら問題もなかった。ネグロ子爵の受け答えもしっかりしたものだ。
元から問題はなかったのか、問題を隠されているのか。そこまでは一見しただけでは判断はつかないが、それでも今日の私たちの視察に合わせて周到に準備をしてきたことは間違いなかった。
ただ唯一、トラヴィスとの商談を除いては。
ネグロ子爵は今日のトラヴィスの来訪を農耕用魔導具の件だと言った。
だからその魔導具の資料を見せてもらおうとしたのだ。
けれどもトラヴィスがそれを拒否した。「お前らなんかに見せる資料などない」と言って、何の魔導具かと概要も聞かせてくれない。
元から自分の感情で動く男だ。
私への嫌がらせだけで彼がそう言うこと自体は何にもおかしくはない、のだが。
ルシエルさんが侯爵として監査のために開示を求めてもトラヴィスはおろかネグロ子爵もどうにも要領を得ず、「今は資料が手元にないので改めてお送りします」と答えるばかり。
ーー本来、元々私たちとトラヴィスが鉢合わせるのは彼らにとって想定外であり、都合が悪いことだったのだろうと思う。
おそらく瘴気溜まりで迂回をしてもっと遅くにネグロ子爵家に着いていたらトラヴィスと鉢合わせることなどなかったのだろう。
ネグロ子爵とトラヴィスの間には、私たちに勘付かれたくない何かがある。
それもおそらく瘴気に関することで。
「ーーそうですね、レティシアさんの見解の通りでしょう」
ネグロ子爵家からの帰り道。
馬車に揺られる中で私の話を聞き終えたルシエルさんが大きく頷いた。
「おそらくわたしが浄化した瘴気溜まりは彼らが人為的に作り出したものでしょう。だからこそネグロ子爵はわたしたちの到着に大いに驚き、わたしたちに悟られたくない客人を隠すタイミングを逸してしまった。これはネグロ子爵が謀をしていたならばそれを暴く大きな一歩となるでしょう」
「ええ」
ネグロ子爵は瘴気溜まりを生み出せるほどの瘴気を操る何かを得ていること。
おそらくそれはブラック伯爵家がもたらしたもの。
そうなってくると俄然、前アルビオン侯爵夫妻の死は本当に事故か怪しくなってくる。ーー否、もうほぼ十中八九彼らが謀って暗殺をしたのだろうと思う。
だからこそ訴訟まで起こしてそれをスカーレット伯爵家になすりつけるために必死なのだ。
アルビオン侯爵邸に帰ったら父や兄に向けて手紙をしたためなければならない。
「その一方で、向こうにも知られてしまったことがあります」
「はい?」
と、手紙にしたためる内容をどうまとめようかと考え込もうとした私をルシエルさんの声が引き戻した。
「わたしがいる限り、瘴気を使った暗殺や小細工は通用しないということです」
その言葉に私はハッと息を呑んだ。
ルシエルさんはいつもの穏やかさで淡々と続ける。
「彼らが次に仕掛けてくるならば次は瘴気と魔獣を使った迂遠で不確実な方法ではなく、もっと直接的な手段を用いてくるはずです」
彼の言葉にぞわりと背筋が竦み、思わず胸元を握りしめた。
直接的な手段、で真っ先に脳裏を過ったのがあの雨の日にリックに剣を突き立てられたことだった。
と、同時に不意に外で馬が高くいななき、馬車がガタンと大きく揺れて急激にスピードを上げた。
「な、何……!?」
「申し訳ありません、侯爵様! 野盗です!」
私の声に御者が必死な声で答える。
は、と馬車の外を見れば矢が射かけられているのが見えた。
「ーー思ったよりも早く仕掛けてきましたね。向こうも相当焦っているようです」
窓の外で射かけられる矢を見て、ルシエルさんが軽く両手を持ち上げた。
彼が静かに祈れば馬車の周りを薄く光輝くものが包んだ。
「矢避けの結界を張りました。これで矢には当たらず、幾分時間は稼げますが………」
そうしてルシエルさんが馬車の後ろを確認する。
馬に乗った野盗は矢が当たらなくても威嚇するように矢を放って私たちを追い立て、徐々に距離を詰めていた。
このままではまずい。
私は顔を真っ青にしながらもどうするべきか考える。
けれども私たちが取れる行動など何もなくて、せいぜい警邏に見つけてもらうことを祈るばかりだ。
「レティシアさん」
頭をぐるぐると巡らせるばかりの私はふとルシエルさんに声をかけられてハッと彼を見つめた。
「よく聞いてください。これからわたしが彼らを食い止めます。あなたはその間に逃げおおせ、警邏へと届け出てください」
「え……っ」
「大丈夫です、心配は無用ですよ。前にも言ったでしょう、高位の治癒術師が最も必要とされる場所は戦場なのだと。これでも身を守る術は心得ております」
穏やかないつもの声音だったが、私は戸惑うことしかできなかった。
何故だか妙にこの人を行かせてはいけないという気がした。
「いいですか、しっかりと逃げてくださいね」
けれども私が止めるよりも前に彼は馬車の扉を開いてそのまま飛び降りてしまった。
「ルシエルさん!」
私は彼に向かって呼びかけるが、彼は私が乗った馬車を振り返りもせずに野盗へと立ちはだかっていた。
進む馬車に取り残された私が見つめるその背中が少しずつ遠ざかる。




