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「レティシアさん、わたしとデートをしていただけませんか」
などとルシエルさんに言われた時には心臓が口から飛び出るのではないかと思うほどにドキリとした。
好きな人からデートに誘われて動揺しないはずがない。
動揺しながらもなんとか彼の言葉に頷いて、装いを散々悩み、アルビオン侯爵家の侍女に整えてもらっていざ彼に誘われたデートへと臨んだのだが、
「ーールシエルさんってよく性格が悪いと言われませんか」
「ふふ、前にも言ったでしょう。聖人・聖女と祀り上げられるものは性格が悪くなると」
私の言葉を涼やかな顔で受け流し、ルシエルさんが微笑んだ。
まさか視察とは。
確かにふたりで出かけてはいるが、恋人同士のデートのような甘さとはかけ離れたもの。
どちらかといえば政略結婚の相手を領内に顔見せし自領を私に見せる、仕事のような感じだ。
確かにフローラさんの誕生日パーティーの後、しばらくアルビオン侯爵領に滞在し、領内を見回る視察は予定に入れていたけれども。
言い方ひとつで乙女心を弄ばれたような気がして少し悔しい。
何かやり返してやれないものかと頭を悩ませるが、目の前の穏やかな表情を突き崩すための手段が何ひとつ思い浮かばない。ますます悔しくなる。
「……レティシアさん、アルビオン侯爵領はいかがですか」
ぐぬぬと唸る私に、ルシエルさんが話題を変えるようにそう問いかけた。
その問いに私は今日見て回った街や村のことを思い返す。
「とても穏やかで活気のある領だと思いました」
人々はみな親切で明るく、領内は豊かで平和そのものだった。
領民は領主であるアルビオン侯爵家に対して良い感情を抱いており、前アルビオン侯爵夫妻が亡くなったことを惜しみ、ひとり残されたフローラさんを心配する声をよく聞いた。
アルビオン侯爵家が代々自領に心を砕き、善政を敷いてきたのだろうことがよく伺える。
ここはとても良い、豊かな領だ。
私の感想にルシエルさんはニコニコと微笑んだままこう口を開いた。
「王室事務官だったあなたに太鼓判を押していただけると安心いたしますね。父や兄がしてきたことは間違ってはいなかったと思えます」
「ええ。アルビオン侯爵家の方々はとても領民を大切にしてこられたんですね」
「“領民が笑顔でいられる領が豊かな領だ”が父の口癖だったと兄から聞いています。兄もその理念を大事にしていると」
「素敵な言葉ですね」
ルシエルさんの言葉に相槌を打ちながら、私はミカエラ・アルビオンのことを考えた。
ルシエルさんから聞く話も、領民から聞く話もミカエラ・アルビオンに対して悪いものはなかった。
彼は愛情深く、穏やかな善人で、領主としても優秀な人だ。と誰もが口を揃えて言った。
私が王室事務官として勤めていた頃もアルビオン侯爵の噂は悪いものを聞かなかった。
穏やかで優しい、美貌の侯爵はとても愛妻家であんな人に愛されたい! と噂好きの侍女たちが時折話のタネに騒いでいた。
領の経営も良好そのもので大きなトラブルがあったこともほとんど聞かない。
人の口に上ったとしてもせいぜい日照りや河川の氾濫で不作になってアルビオン侯爵領産の作物が高騰したくらいのもの。
だというのに。
「レティシアさん?」
ドロレス夫人の話していた“ミカエラ・アルビオンには手を出すな”という言葉の意味を考えてボーッとしているとルシエルさんが不思議そうに呼びかけてきて私はハッと我に返った。
「すみません、少し考え事を」
「考え事?」
「ええと、その……フローラさんの誕生日パーティーでドロレス夫人とお話しする機会があってーー」
と、私は彼女から聞いた話をルシエルさんへと伝えた。前ネグロ子爵が亡くなる前にしきりに“ミカエラ・アルビオンには手を出すな”と言っていたという話を。
ルシエルさんは私の話を静かに聞き、やがて私が話し終わると「そうでしたか」と頷いた。
「ミカエラ様はとても優しく穏やかな方だったようですが、怒ると怖い方だったのでしょうか?」
「まさか、とんでもない」
私の問いにルシエルさんはあり得ないバカ話を聞いたように軽く笑って手を振った。
「兄は甘いくらいに優しい人でしたよ。前にわたしがイタズラをして兄を困らせた話をしたでしょう? その時の叱り方だって目を合わせて真摯に叱りつけるんです。わたしのしたことで誰が困り、どうしなくてはならなかったか。怒鳴りつけることもほとんどない。身内だけではありません、あの兄はあまねく全てに慈悲を授けられるような……天使のような人でした」
ルシエルさんは私を見つめ、微笑みながら言い切った。
真っ直ぐに断言するルシエルさんの言葉に私は咄嗟に言葉を返せないでいれば、ふと突然馬車が止まった。
何事だろうか。
私たちは顔を見合わせると馬車の外を覗く。
馬車の外では御者が行く手を阻む憲兵と何事かを話していた。
「いかがなさいましたか」
「ああ、申し訳ありません、侯爵様」
ルシエルさんがそう声をかければ、憲兵から話を聞いていた御者が振り返る。
「どうやらこの先に瘴気溜まりができていて、迂回をしてほしいと」
「瘴気溜まりですって?」
ルシエルさんが聞き返した言葉はスカーレット伯爵領内ならば聞き慣れた単語ではあったが、なんだか妙な胸騒ぎがして私は薬指に嵌めていた指輪の内側を親指でなぞっていた。
魔石を産出しないアルビオン侯爵領内では珍しい災害ではあるものの、決して起こらないわけではない。
魔石を動力源にする魔導具の不調。
魔獣を寄せ付けないために結界を張った結果、弾いた瘴気がそこに溜まるようになってしまった。
土地が弱って腐食した。
瘴気溜まりが起こる原因は多岐に渡り、それこそ何故起きたのかもわからずじまいのものも多くある。
今回のケースもそのはずだろうが、奇妙な胸騒ぎにどうにも落ち着かなかった。
「このまま迂回してよろしいでしょうか?」
「ーーいえ、このまま瘴気溜まりの元まで向かってください」
「え!?」
ルシエルさんの言葉に御者が驚く。
「でも侯爵様、瘴気溜まりですよ」
「ええ、そのようですね。だからこそ向かうのですよ。わたしの前職をお忘れですか?」
問い返す御者にルシエルさんが穏やかに言った。
その言葉に御者は「あっ」と声を上げて、憲兵の方へと向く。
ルシエルさんも馬車の窓から顔を出し、憲兵に向かってこう声をかけた。
「瘴気溜まりはわたしが浄化いたします。案内をお願いできますか」
ルシエルさんの言葉に憲兵が敬礼を取り、馬を取りに慌てて駆けていく。
その後ろ姿を見送り、ルシエルさんが改めて席に座り直して私を見た。
「レティシアさん、少し寄り道をいたしますがご容赦を。あなたに危険が及ばぬように気は配りますので」
「いえ……大丈夫です。ルシエルさんが瘴気を払ってくださると聞いてなんだかホッといたしました」
私がそう告げると、ルシエルさんが「おや」と目を丸くした。
でも実際にそうなのだ。瘴気溜まりと聞いて落ち着かなかった気持ちは今は不思議と落ち着いている。
「ーーなるほど、それは良かった。それでは参りましょうか、レティシアさん」
ルシエルさんがそう微笑んだ。
私はもう一度親指で薬指の指輪を撫でる。
薬指の指輪にある薄水色の石は変わらぬ澄んだ輝きをほのかに照り返していた。




