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 ドロレス夫人は語る。

 フローラと同じ年頃で生まれたマチルダは幼い頃はフローラと姉妹のように仲良く育ってきた。

 けれども少し成長して物事がわかるような年頃になると気の置けない仲だった身近な友達は自分よりも遥かに上の存在だったことを知った。


 身分。頭の出来。それから何より家庭環境。

 アルビオン侯爵家は絵に描いたような理想的な家庭だった。

 アルビオン前侯爵夫妻はとても仲が良く、互いを思いやり尊敬し合う父母であり、当然のように娘を愛して健やかに育んでいた。


 ネグロ子爵家は違う。

 父は母を、家庭を省みることはない。

 家庭ではまるで王様のように振る舞う父親の機嫌がすべて物を言い、その次に偉いのが父の母である姑だった。

 母は下女かと思うくらいに扱いがひどく、罵倒されるのはもちろん。雑用を押し付けられるのは日常茶飯事。

 そんな母親の姿を見て育てば権力のある父や姑におもねり、彼らの気質に染まるのは当然とも言えた。


「私がいけないんです。母親としてきちんとした姿を見せてあげられなかったから。弱いものは踏みつけにされる姿を見せ、権力がなければ踏みつけにされると思わせてしまったから……身近にいるのに自分とは違う幸せな世界に生きるフローラ様に悪感情を抱くようになってしまった」

「…… ……………」


 私は無言でドロレス夫人の背中をさする。

 縮こまる背中は疲れ切って十も老け込んでしまったようだった。


「でもフローラ様を陥れるようなことだけはしてはいけない。そんなことはただ虚しいだけですし、倫理的にも貴族のルール的にも許されることでもない。それに……」

「それに?」


 私が問い返せば、彼女はハッと自分が続けようとした言葉を飲み込んだ。

 私を戸惑うように見返し、それから言うべきか言うまいかを悩むような素振りを見せ、やがてこう口を開いた。


「……………義父が生前に言っていたのです。“ミカエラ・アルビオンには決して手を出すな”と」

「“ミカエラ・アルビオンには決して手を出すな”……」


 ミカエラ・アルビオンとはルシエルさんの兄でありフローラさんの父……前アルビオン侯爵のことだ。

 思いがけない言葉を私が繰り返せば、ドロレス夫人は深くため息をつき、自身の胸元を握りしめた。


「……義父は元々夫によく似た、物おじをしない豪胆な方でした。ですが十八年前に体を壊して以来、すっかり弱くなってしまって。その頃介護をする私に向かって“ミカエラ・アルビオンには決して手を出すな”と繰り返し訴えられました。その時の義父の様子はあまりにも偏執的で、まるで怯えているような……そんな様子だったものですから」

「お二人の間に何かあったのでしょうか?」

「わかりません。義父もただ怯えてその言葉を繰り返すばかりで……弱ってからはあっという間に儚くなってしまいましたから」


 大の男が、それも物おじしないほどの男が怯えて弱りきるほどの何かとは何なのだろう。

 けれども前ネグロ子爵の介護をしていたというドロレス夫人もわからない以上、私にはとんと想像もつかない。


「ただ……ミカエラ様がお亡くなりになりましたが、ミカエラ様の愛娘であるフローラ様にも手を出してはいけないと……義父の忠告を無視することは恐ろしい予感がして……」


 そこまで言って、ドロレス夫人は私に向かって深く頭を下げた。


「……長々と申し訳ありません、レティシア様。私もそろそろマチルダを……家族の監督に戻ろうと思います。お気遣いをありがとうございます」

「いえ、私こそ引き止めてしまってごめんなさい。こちらこそありがとうございます、あなたとお話ができてよかった」


 私がそう応えればドロレス夫人は陰のある微笑みを返し、マチルダ嬢を追うように部屋を後にする。

 ひとり残された私もまたパーティー会場に戻るべきなのだろう。


「………“ミカエラ・アルビオンに手を出すな”」


 ドロレス夫人が言っていた言葉をふと繰り返す。

 何故だか妙に気になる言葉だった。

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