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と、その時だった。
「おやおや、一度平民に落ちた卑しい女の顔をこんなめでたい席に見るなんてな」
まるで周りにも聞かせるような声量でひとりの男が声をかけてきた。
その顔を見て私は思わず顔をしかめる。
「ふたりとも、ごめんなさい。私の方が面倒くさい男に声をかけられたわ」
不躾に語りかけてきた男に怪訝そうに顔をしかめるフローラさんとマルクスさんに私はひそやかに告げ、改めて嫌味に声をかけてきた男へと向き直る。
「男を立てられもしない卑しい女らしく下賎な豚と添い遂げれば良いものを。さすがに平民の現実は厳しくて音を上げ男でも漁りにきたか、レティシア」
「ごきげんよう、ブラック伯爵令息。もはや四年も前に私たちの縁は切れて他人の関係となっております。どうか私のことはスカーレット伯爵令嬢とお呼びください」
勝手に名前を呼んでんじゃねえよ。
と言外に含ませて、私は完璧なカーテシーでもって彼を迎えた。
この不愉快な言葉をかけてきた面倒くさい男はトラヴィス・ブラック伯爵令息。
かつて私の祖父が勝手に結んできた私の最初の婚約者であり、私が四年前に平手打ちをかまして婚約破棄になった男。
「年増になっても令嬢とか……」
私の言葉にトラヴィスが返してきたのは失笑だ。
「ずいぶんな恥晒しだよなあ。そりゃ平民だってお前みたいな女は嫌に決まってる。あーあー、可哀想に。どうせ鼻持ちならないお前の態度にやりきれなくなって手が出たんだろ? それで結局お前が生き残って、向こうは死刑とか」
その言葉に私は思わずぴくりと反応してしまう。
ルシエルさんに治療してもらったはずの心臓がドクリと不穏に騒ぎ、あの時の雨の冷たさを不意に思い出してしまった。
「いっそあの時死んでた方が良かったんじゃないか、お前。だってこのままじゃ生き恥晒したままの行かず後家だもんな」
トラヴィスの不謹慎な言葉にフローラさんがまなじりを吊りあげて声を上げようとしたのを私が制す。
ハッとするフローラさんが私を見つめるのを感じながら、私はまっすぐと立ってトラヴィスを見据えた。
「ご心配ありがとうございます、ブラック伯爵令息。ですが私は自分の身の振り方は考えておりますので、どうぞお構いなく。ところでブラック伯爵令息の奥様はどちらに? せっかくですもの、挨拶くらいさせていただきたいわ」
私が不敵に笑ってそう告げた途端、彼の顔色が変わった。
どうやら予想通り、彼は私と婚約破棄してから独り身のようだ。
まあ、ブラック伯爵家は元々伯爵家の中でも子爵家に近い家格であり、細々と魔導具を作って生計を立てるばかりで金もない。むしろ伯爵家というプライドを守ろうと身を飾るために借金すらあった。
それだけでもまともな家は縁づこうと近づかないが、彼らは自分たちを過大評価して選り好みまでする。
四年経ってもその性根が変わっていないようだから嫁など来るはずがないと踏んでいたが、まさしくその通りだったようだ。
「ふ………フンっ! 俺はお前と違って伯爵になる男だ。女のように消費期限があるわけでもなし、焦らずともそのうちいい女が嫁いでくるさ」
「あらあら……ではブラック伯爵令息に良いご縁がありますようお祈りしておりますね」
私の当てつけに彼は顔を真っ赤に染めた。
けれども私はもう彼を見ることなく、踵を返す。
フローラさんとマルクスさんを促し、この場を後にしようとして、
「おい、待てよ。そんな女についていったってどうせ賢しらぶってるだけで大したことなんて学べないぞ」
トラヴィスが不躾に声をかけたのはフローラさんだった。
「家庭教師ってのはもっとちゃんとした奴を選んだ方がいいぜ。二度も結婚を失敗した女なんて縁起が悪すぎる。そんな出しゃばり女から教えを受けたところで男に愛想を尽かされるだけだぞ」
「そうですか。自分よりも身分が上のものに挨拶もなく不躾に声をかけてくるような方の助言ほど当てにならないものはないと思いますけれども」
トラヴィスの言葉にフローラさんがピシャリと冷たく返した。
トラヴィスがまたサッと怒りで顔を赤らめたが、相手が侯爵令嬢であることを思い出したように奥歯を噛む。
「ちっ……もうあんな女の毒が回ってんのかよ。可愛くねえな。そのうちその女みてえに男に愛想尽かされたって知らねえぞ」
「ははは、ご心配なく。次期女侯爵にふさわしい、今の毅然とした態度に痺れて惚れ直したところなので」
トラヴィスの捨て台詞にマルクスさんが追撃した。
顔を真っ赤にしてギリギリと睨みつけるトラヴィスの視線からフローラさんを隠すようにマルクスさんが彼女の肩を抱き、二人は私の後に続く。
残ったのは顔を怒りで顔を真っ赤にしたままのトラヴィス。
そして周囲のトラヴィスに対する失笑だけだった。




