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 私こと、レティシアは伯爵家の生まれで祖父が勝手に縁を結んだ婚約者がいた。


 その婚約者がまたひどい男だったのだ。

 領地をまとめる領主になる自覚もなく、あちこちフラフラと遊びまわり、お金はあるだけ使っては実家にせびり、そちらが無理なら私に、私の実家へとせびりにきた。

 そのくせ私のことを見下し、事あるごとに「淑やかさがない」「可愛げがない」「お前と結婚するなんて不幸でしかない」と高圧的に罵った。


 私もこんな婚約は嫌でしかなかったが、偏屈な祖父が「お前のために結んだものなのに」「私の顔を潰すのか」と言って承知しなかったのだ。


 幸いなのは祖父を除いた家族が私の味方であったことだろうか。

 婚約者の物言いや仕打ちに共に憤慨し、何とか婚約を白紙撤回できないものかと一緒に頭を悩ませてくれた。

 けれども当時、当主に居座っていた祖父の権限は強く、向こうの当主も私を逃したら後がないと察していたのか婚約の白紙撤回に頷くことはなかったのだ。

 だからといって婚約破棄をするには相手の素行も決定的なものはなく、私は五年という月日を彼の婚約者として過ごすことになってしまった。


 風向きが変わったのは貴族学院の卒業式の日。

 私はあまりに頼りない婚約者を見ていられなくて経営科を専攻し首席で卒業した。

 貴族学院の素行や成績を見て、このまま貴族夫人として埋もれようとする私を惜しんだ教師が私にひとつ推薦状をくれたのだ。


 それが王室事務官の推薦状。


 初め、私はそれを固辞するつもりだった。

 婚約者のことは好きではないが彼と結婚する流れは変えられず、彼のせいで苦労する領民が憐れであったからだ。


 あとは意地だ。

 今では馬鹿だと思うが、この時の私はここで逃げたらこれまで耐えてきた五年間という月日が無駄になるような、罵詈雑言を浴びせる婚約者や姑を前に逃げることになるような気がしてしまっていて、彼の元に嫁いで戦い抜いてやろうという気概に溢れていた。


 それを無にしたのは当然のようにその婚約者だった。

 彼はただでさえ私が経営科に進んだことを「自分の面子が潰された」と言って苦々しく思っていたところに、女だてらに首席を取った私が王室事務官として推薦されたと聞いて激昂したのだ。


 そしてその勢いのまま、卒業パーティーという公の場で私のことを張り飛ばしたのだ。


 あの張り手は本当に痛かった。

 男性の加減のない本気の張り手は私の体をあっという間に吹き飛ばし、私は地面に倒れ込んだ。

 鼻の奥の血管も切れたのか鼻血まで垂れた。

 あまりの珍事にざわめく周囲に構わず、倒れた私に向かって彼はこう吼えた。


『お前は男を立てるってことを知らないとんでもない女だな!』と。


 その後に続く言葉はまあ、要するに八つ当たりだ。

 成績の振るわない自分よりも圧倒的な成績を残す私を許せない。

 女のくせに王室事務官の推薦状をもらったことが生意気で腹立たしい。

 強気に毎度言い返す私が気に食わない。

 もっと男を立てろ。女なら従順に言うことを聞け。

 お前みたいな女は娶られるだけでもありがたいと思え。


 そんな情けないことをつらつらと述べる男に、私は張られた瞬間に呆けていた頭が一気に怒りの炎で真っ赤になった。

 そして、その怒りのままに婚約者に反撃したのだ。


『ケツの穴の小さいこと言ってんじゃねえ!』


 あの瞬間、一瞬時が止まったんじゃないかというくらいの静けさが満ちた。


 婚約者は横っ面を張られたことに呆然とし、目を見開いたまま私を見返していた。


『自分より高成績を取るな? ふざけんな、それなら真面目に勉強して私のことを乗り越えりゃいいでしょう! 男を立てろ? なんの努力もせず、女に立ててもらえなきゃ威張ることもできないなんて情けない男のどこを立てろって言うのよ! 誰があんたなんかに娶ってもらいたいって言った! あんたみたいな男はこっちだって願い下げ!』


 そんな男へ私は指を突きつけ、怒涛の勢いで詰め寄った。


『お互いに望まないんだから婚約は破棄でいいわね!』


 と、まあ、こうして私は婚約者に啖呵を切り、呆然とする彼を置いてさっさとその場を後にしたのである。


 なお、家に帰り着いてことの次第を報告して祖父が怒り狂い、頰を真っ赤に腫らした私に手を上げそうになって家族総出で取り押さえたのは余談である。


「あの時のレティシアは本当にかっこよかったんだから。鼻血をこう……親指でぐいと拭って、言い返されて呆然とする婚約者なんか目もくれずに」

「シシリー」


 同じ卒業パーティーに参加していたシシリーを私が嗜めるように呼ぶと、彼女はテヘヘと笑って口をつぐんだ。

 同級生だった彼女もまた私と同じく王室事務官の推薦を受け、私の同僚として働いている。


「そ、そんなことして……レティシアさんは大丈夫だったんですか……?」


 先ほどまで泣いていたはずのマルーシャが私のあんまりな話に唖然と固まっている。

 そんなマルーシャにシシリーはニヤリと笑んで、私のことを肘でつついた。


「まあ、あの後すったもんだあったけど婚約は無事に白紙。で、その後この子は新しい恋を掴み取ったのよ」

「シシリー」

「いいじゃない。王室事務官になった後に出会った彼。猛烈にアタックされてさあ」

「騎士のリックね。結構な男前捕まえたわよね、レティシアってばこのこの〜」


 シシリーのノリに侍女たちも乗ってみんなが私を囃し立てる。

 私はそんな彼女たちに曖昧に笑い返すことしかできなかった。

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