17
「今日の展示、あなたはどれが一番印象に残ったかしら?」
美術館の展示を一通り見て回ってひと段落した時、私はフローラさんにそう問いかけた。
私の唐突な問いに彼女はほんの少し目を丸くした。
「どれ……って」
「どれでもいいの、あなたが一番印象に残ったものを教えてほしい」
重ねて私が告げれば、彼女はしばらく悩むように沈黙し、やがてこう口を開いた。
「第一展示場の……」
「うん」
「ユピテル・マローネの『光の庭にて』、です」
フローラさんの告げた展示は数メートルはある大きな額縁に収められた絵画だった。
春の女神と天使が戯れる華々しい絵画で、女神たちの美しさもさることながら、辺り一面に散る春らしい色とりどりの花や湧水の光景も幻想的で華やぐ気持ちになる絵画だ。
「それはどうして?」
私はさらに問う。
フローラさんはほんの少し言葉を探すように考え込んだが、それもわずかな間のこと。
「……空が」
「空?」
「どこまでも突き抜けるような晴れ渡った青空がとても綺麗でしたので」
「フローラさん、あなたは空が好きなの?」
私の問いに彼女は沈黙を返した。
意図せず自身を開示してしまったことに気がついて、守りの姿勢に入った様子だった。
警戒に毛針を逆立てるヤマアラシみたいな彼女に私は苦笑をして、こう口を開く。
「私も好きよ、空。私はね、夏の時期の一番濃くて雲の白さとのコントラストが一番くっきりしている空が好き」
そう告げれば彼女は怪訝に眉をひそめる。
「星空も好きね。冬の時期、寒いけれども空気が澄み切ってたくさんの星が輝いているのがとても綺麗で、ロマンティックで。フローラさんは星に纏わる話は詳しいかしら? 昔の人は星を見上げ、色んな物語を綴ったり、運命を託したりしたものでね。星の話も面白い話がたくさんあるわ」
ひとりで話を続ける私にフローラさんは困惑するように見返した。
沈黙を続ける彼女に私は微笑み、美術館に併設されたカフェテラスの前で足を止めた。
「歩き回って疲れちゃったかしら。ちょっと休憩しましょう」
そうして私は彼女を連れてカフェテラスに踏み入れる。
美術館の中にあるカフェテラスは美術館の中のように静かで、ゆったりとした時間が流れていた。
私はメニューを開いてフローラさんに勧める。
彼女は私に差し出されたメニューをおずおずと受け取ると、それをじっと眺めた。
「好きなものを頼んで」
私はそう告げるけれど、彼女は遠慮するのか紅茶しか頼まなかった。
私は季節のケーキを紅茶セットにしてふた組注文した。
フローラさんは私が勝手にケーキセットにしたことに戸惑ったようだが、何も言わなかった。
私たちの注文を取った店員はほどなく私たちの注文した品を持ってきた。
「今ね、王家の直轄領ではオレンジが豊作なの」
季節のケーキはオレンジパウンドケーキだった。
オレンジピールを盛り込み、爽やかな酸味で味を引き締めたパウンドケーキはほどよい甘さで食べやすいものだ。
「だから王立美術館に併設されたここでも今、オレンジを使ったケーキを出しているのね」
そう告げるとフローラさんは虚を衝かれたように目を丸くした。
よもやここで授業めいたことを言われると思わなかったようだ。
「でも今、貴婦人たちの茶会で流行っているのはレモンの方ね。どうしてかわかる?」
「え…っと……」
「ふふ、少し意地悪な質問だったわね。レモンが流行っているのはシアン公爵夫人が仕掛け人なの。自領のレモンを懐妊したばかりの隣国の王妃殿下に献上して、彼女に気に入ってもらって付加価値をつけたの。隣国の王妃殿下が気に入ったものなら良いものに違いないって、みんなシアン公爵領産のレモンを使ったお菓子やお茶を使うようになったの。もちろんシアン公爵領のレモンの質が高いから流行ったというのもあるけれど、知ってもらわなければ買ってもらえないもの」
私の説明にフローラさんは改めて目の前のケーキを見た。
こんなところに世情を知る教材があるとは思わなかったのだろう。
「社交が時々戦場と揶揄されるのはこういうことが由縁ね。流行りというものも紐解くと実は誰かが意図的に作り出したものだったりするの。それを見抜くにしろ、仕掛けるにしろ、まずは色んなことを人と話してたくさんの味方を作ると有利になる。シアン公爵夫人が隣国の王妃殿下が懐妊したといち早く知ったように」
私の言葉にフローラさんは口を噤んだまま目の前のケーキを見つめ続ける。
「知識はもちろん大事。でもそれを使うための判断材料になる情報も同じくらい大事だと思う。フローラさん、今日の私の授業はどうだったかしら?」
そう問えば、彼女はようやく私の方を見た。
私は彼女の薄水色の瞳を見返し、微笑みかける。
「少しでも私の話したことがあなたの身になって、私と話すことは楽しかったなと思ってくれたら嬉しいわ」
私は授業をそう締めくくる。
無理に今、彼女に次の授業をどうするかとは問わなかった。
けれども三日後。
彼女から次の授業の日程を相談する手紙が届いて、私はひとりでガッツポーズを取るのだった。




