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「ーー……すみません、私、また醜態を……」
「いいえ、大丈夫ですよ。あれは怖かったでしょう。ましてやあなたは恐ろしい事件に遭った直後なのですから当然です」
ルシエルさんの馬車ーーアルビオン侯爵家の馬車の中でようやく落ち着きを取り戻した私が俯きがちに彼に謝れば、彼は変わらない微笑みで応えてくれた。
その微笑みがどことなく痛くて、居心地悪い気持ちになって、私は縮こまる。
恐縮する私にルシエルさんが苦笑する声が聴こえ、
「……あれからお体の方はいかがですか、レティシアさん」
さりげなく話題を変える様子に、私はそっと彼の顔を伺う。
「あ……はい。時々痛む時もありますが、薬で何とかなる範囲で、もう普通に日常生活を送ることはできています」
「そうですか。それは良かった」
私の返答にルシエルさんは穏やかに微笑みかけてくる。
「予後が順調のようでほっとしました。ルクス先生に引き継いで正解でしたね。彼はわたしよりも薬の知識が深く経験も豊富でしたから、レティシアさんに最適な治療を施してくださると信じておりました。煎じる薬が苦いことだけは玉に瑕ですが」
「……苦くて飲みにくいのも薬として必須条件なのだそうですよ。必要以上に飲まないように」
「それもひとつの道理でしょうが……わたしは蜂蜜のように甘い方が好ましいですね。苦いものはどうにも……ピーマンもダメなくらいなのに」
「なんだか……意外ですね」
「そうですか? わたし、子供舌なんですよ。苦いのもダメ、辛いのもダメ、甘いものが大好き。ふふ、わたしの甘党は行き過ぎだと姪からは叱られてばかりいますが」
そうして彼は穏やかなトーンでどこそこのケーキが美味しかったといった話や、カフェテラスでいただいたコーヒーにたっぷりと砂糖とミルクを入れ過ぎて店員にギョッとされた話をしてくれる。
私は彼の話に相槌を打ちながら、少しずつ気持ちが落ち着いてくるのを感じる。
中身のない軽い世間話だが、それがとても心地良かった。
あの時に焼きついてしまった非日常はここになく、脅かされない平和な時間がここにあるのだと意識させてくれた。
と、やがて緩やかに走っていた馬車が静かに停まる。
窓の外を見れば私の実家の邸の前だ。
もう着いてしまったらしい。なんだかあっという間の時間だった。
「どうぞ」
ルシエルさんが先に降り、私をエスコートするために手を差し出す。
私はその手のひらにおずおずと自分の手を重ね、重なった手のひらの温度を意識した。
あたたかくて大きい。
私を支える手のひらに心臓が跳ね、溢れそうになった何かの感情に慌てて蓋をするように自分を律した。
「ルシエルさ……いえ、アルビオン侯爵、本日は助けていただきありがとうございました」
「いいえ。何度も言うようですがお気になさらず。隣人を助けることこそ我が務め……というと堅いですね。でもわたしはわたしのしたことで誰かが笑顔になったり元気になってくださることが本当に喜ばしいのです。ですからどうぞ、レティシアさんは健やかに笑ってお過ごしください」
そうやって微笑むルシエルさんの言葉が嬉しい反面、ほんの少しチリリとした痛みがあった。
多分、彼にとっては誰が相手でもそうなのだろうと思ってしまったから。
そんな感情を抱いた自分が恥ずかしくて、厭らしく思う。
「ああ、そうだ」
ひそかに僻みっぽい自分への自己嫌悪を噛み締めていれば、ルシエルさんは自分のポケットを探り、小物入れのような小さな缶を取り出した。
小さな女児が好きそうな可愛らしいカラフルなデザインの缶をルシエルさんが開ける。するとそこには色とりどりの可愛らしい包み紙に包まれたコロンとした飴玉が入っている。
「どうぞ、お手を」
ルシエルさんに言われるがままに手を差し出せば、ルシエルさんは私の手のひらに缶の中に入っていた飴玉をひとつ落とした。
「わたしの好物をお裾分けします。幸せの味がいたしますよ」
「あ……ありがとうございます」
「どうかあなたが嫌だった出来事を忘れられますように」
ルシエルさんは私に渡した飴玉に祈りを込めるように軽やかに告げる。
「それでは、わたしはこれで。レティシアさんに神の恩寵がありますよう」
「あ……はい。本日は本当にありがとうございました」
そうしてルシエルさんは微笑んで会釈をするから私も慌てて頭を下げた。
ルシエルさんがアルビオン侯爵家の馬車に乗り込み、去っていく。
私はそれをいつまでも見送り、彼に手渡された飴玉をきゅ、と胸に握りしめた。
トクトク。彼に治してもらった心臓が静かに早足に駆けていた。




