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断罪された侯爵令嬢は、戦場で完成した。なお中身はおっさんである  作者: 月白ふゆ


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第45話 横に立つまで

 王都へ戻った時には、空の色がすでに夜へ傾きかけていた。


 馬車の車輪が石畳へ戻る音がする。土の道を進んでいた時よりも硬く、規則的で、どこか現実へ引き戻されるような響きだった。


 王都の門を抜ければ、人の数も音の種類も一気に増える。露店を片づける声、酒場へ向かう男たちの笑い声、荷車の軋み、遠くから聞こえる鐘。ファルケン領の森砦跡でグリフォンと向き合っていた時間が、急に少し遠いもののように感じられた。


 だが、終わってはいない。


 ナタリアは馬車の中で、膝の上に置いた依頼票の控えを一度見た。


 討伐は終わった。

 現地への指示も出した。

 素材処理の区分も決めた。


 だが、ギルドへ戻って報告書を出すまでは、仕事として閉じていない。


 レオナは隣で少し首を回していた。戦闘で大きな怪我はしていないが、グリフォンの爪を何度か受け流したせいで、肩と腕には疲労が残っているはずだった。


 ポンタは馬車の床で丸くなっている。

 ただ、眠ってはいない。


 時々、耳だけ動く。


「肉は忘れておらぬな」


 馬車の揺れの中で、ポンタが急に言った。

 ナタリアは依頼票から目を上げない。


「忘れてないわ」


「ならよい」


「まだ届いてもいないけれど」


「約束は約束じゃ」


 レオナが窓の外を見たまま笑った。


「今日の締めがそれなの?」


「肉は大事じゃ」


「グリフォン、あまり美味しくないんじゃなかったの?」


「美味いとは言っておらぬ」


「じゃあ、なぜそこまで欲しがるのよ」


「肉は肉じゃ」


 ナタリアは小さく息を吐いた。


「その理屈、強いわね」


「主も分かっておる」


「分かってはいないわ。分類として否定しづらいだけよ」


「それを分かっていると言うのじゃ」


 レオナは声を立てずに肩を揺らした。


 馬車は王都ギルドの前で止まった。



 日が落ちかけた時間帯のギルドは、朝とは違う熱を持っている。依頼から戻った冒険者たちが報酬の精算を待ち、酒場側からは早くも酒と肉の匂いが漂っていた。負傷者の手当てをする者、今日の獲物を誇る者、失敗を苦く吐き出す者。そういうざわめきの中へ、ナタリアたちは入っていく。


 扉を押し開けた瞬間、いくつかの視線が集まった。

 Aランクになってから、そういう視線は増えた。


 だが今日は、それだけではない。


 グリフォン上位個体の依頼が出ていたことを知る者は、ギルド内に何人もいる。帰ってきた三人と一頭を見て、結果を読もうとしているのだろう。


 ミリアは受付の奥からすぐに顔を上げた。


「お帰りなさいませ」


「戻ったわ」


「ご無事で何よりです」


 その声には、受付としての落ち着きと、個人的な安堵が混じっていた。


 バルドは奥の机から顔を出した。


「終わったか」


「終わったわ」


「討ったか」


「ええ」


 それだけで、周囲の空気が少し動いた。


 誰かが小さく息を呑む。


 だが、ナタリアはその反応を広げない。受付へ近づき、依頼票の控えと現地代官の署名、ロイドの証言記録を机へ置いた。


「報告書を書くわ」


 ミリアが一瞬だけ目を瞬かせる。


「今からですか」


「記憶が鮮明なうちに書く方が早いわ」


 レオナが横で肩を落とした。


「先に食事じゃないの?」


「報告が先」


 床でポンタが顔を上げる。


「肉は?」


「報告が先」


「主は順番に厳しいの」


「順番を間違えると後で手間が増えるのよ」


 ミリアはすぐに紙とインクを用意した。


 ナタリアは受付横の記録机へ向かう。椅子へ腰を下ろすと、手袋を外し、紙を引き寄せた。


 レオナはその隣へ立ったまま、少し呆れた顔で見ている。


「本当にすぐ書くのね」


「あとで思い出しながら書く方が面倒でしょう」


「あなた、疲れてないの?」


「疲れているわ」


「じゃあ休めばいいのに」


「疲れているから、余計な後回しを増やしたくないの」


 レオナはそこで小さく笑った。


「理屈としては分かるけど、実行するのはあなたくらいよ」


 ナタリアは返事をせず、筆を取った。


 報告書は、ただ「討伐完了」と書けばよいものではない。


 今回の依頼は、Aランクとしての判断も含まれていた。


 だから、まず状況から書く。


 ファルケン領外縁、森砦跡周辺にて家畜被害。

 初期被害は羊二頭。死骸なし。

 次に山羊一頭。首と脚部一部のみ発見。

 現地Cランクパーティ確認時、グリフォン系上位個体と接触。重傷一、軽傷二。撤退判断は妥当。


 ナタリアの筆は止まらない。


 砦跡上部に巣材あり。

 個体は単なる通過ではなく、狩場および営巣地として周辺を認識し始めていた可能性が高い。

 追い払いの場合、再来の可能性大。

 そのため討伐を選択。


 バルドがいつの間にか横へ来ていた。


 邪魔はしない。


 だが、書かれていく文字を上から読んでいる。


 ナタリアは続ける。


 戦闘時、個体は偵察行動、降下攻撃、風圧による攪乱、嘴への魔力集中を確認。

 飛行継続能力を削ぐため翼部を優先損傷。

 討伐完了後、首部を討伐証明対象として確認。

 魔力核、風切羽、鉤爪、嘴、翼膜良品を高位素材として回収対象。

 肉および損傷素材の一部は現地補填分。

 廃棄部位、血を吸った巣材、傷み羽根、内臓部は焼却処分指示。


 さらに続く。


 砦跡周辺三日封鎖。

 放牧範囲一時縮小。

 見張りは二人一組。

 処分場所は風下、水場近辺不可。

 一週間後に再確認推奨。


 最後に、現地Cランクパーティの撤退判断について書いた。


 接触初期時点で個体識別困難。

 上位個体相手に戦闘継続していれば死者が出た可能性が高い。

 撤退および報告を優先した判断は妥当。


 そこまで書き終え、ナタリアは筆を置いた。


 インクが乾くのを待つ間、バルドは黙って報告書を読んでいた。


 読み終えてから、低く笑う。


「討伐報告ってより、現場管理報告だな」


「討っただけでは戻せないでしょう」


「そうだな」


 バルドは報告書の端を指で軽く叩いた。


「Aの報告書だ」


 その言い方には、皮肉ではない重みがあった。


 ナタリアは肩を少し回す。


「それなら結構」


 ミリアが横から覗き込み、丁寧に頷いた。


「現地への追加連絡はこちらで処理します。再確認依頼も、一週間後に組めるよう仮登録しておきます」


「お願い」


「素材の方も確認しますね」


 ミリアは別の紙を出した。


「グリフォン上位個体の素材記録です。現地からの一次報告とロイドさんの立ち会い記録が届き次第、正式処理になります」


 紙面には素材名が並んでいた。


 魔力核。

 風切羽。

 鉤爪。

 嘴。

 翼膜良品。

 毛皮一部。

 肉。

 損傷素材。

 廃棄部位。


 レオナが横から覗く。


「こうして見ると、やっぱり高位魔物って素材の塊ね」


「危険も塊だけれど」


「まあね」


 ミリアが確認する。


「全て売却されますか?」


 ナタリアは即答しなかった。


 紙面を見たまま、少し考える。


「現金化する分と、預ける分を分けるわ」


 バルドが片眉を上げた。


「堅いな」


「高位素材は、金に替えるより使った方が高い場合があるでしょう」


「分かってるじゃねえか」


「売るなら後でも売れるもの」


「それもそうだ」


 ミリアは筆を持ち直す。


「では、仮で区分します。魔力核は?」


「ギルド預かり。フォルティウスの調整に使えるか確認したいわ」


 ミリアが頷く。


「風切羽は?」


「半分預かり。残りは売却候補。ただし価格を見てから」


「鉤爪と嘴は?」


「良品を一組ずつ残して、残りは売却。加工先の候補も見せて」


「翼膜は?」


 ミリアがそこで少しだけレオナを見た。


「翼膜と風切羽は、レオナさんの外套や軽防具にも使えます」


 レオナが目を瞬かせる。


「私の?」


 ナタリアは当然のように答えた。


「横に立つなら、装備も横に合わせる必要があるでしょう」


 レオナは一拍置いてから、軽く額へ手を当てた。


「そういうこと、さらっと言うのやめない?」


「必要なことを言っただけよ」


「だから、その必要なことをさらっと言うのよ」


「言い方を変えればよかった?」


「たぶん変わらないわね」


 バルドが小さく笑う。


「いい判断だ。Bになったなら、装備も一段上げた方がいい」


 レオナは少し困ったように肩を竦めた。


「急にB扱いが増えたわね」


「実際Bだろ」


「そうなんだけど」


 ナタリアはレオナを見る。


「嫌?」


「嫌じゃないわ」


 レオナは少しだけ視線を逸らした。


「ただ、慣れないだけ」


 その声は軽かったが、完全な冗談ではなかった。


 ポンタが床から顔を上げる。


「妾の装備は?」


「首輪?」


 ナタリアが即答すると、ポンタの耳がぴんと立った。


「断固拒否じゃ」


「似合うかもしれないわよ」


「妾を犬扱いするでない」


「犬ではないものね」


「当然じゃ」


 レオナが笑いを堪えきれずに吹き出した。


「ポンタちゃん、肉の次は装備なのね」


「戦う者には相応の扱いが必要じゃ」


「首輪は嫌なのに?」


「首輪は違う」


 ミリアも口元を押さえている。


 素材の区分はそのまま決まった。


 魔力核はギルド預かり。

 風切羽の半分も預かり。

 翼膜の良品はレオナ装備候補として保留。

 鉤爪と嘴は一部加工候補、一部売却。

 毛皮とその他の使いやすい部分は換金。

 現地補填分はそのまま処理。

 ポンタ用の肉は少量確保。


 最後の項目をミリアが真面目に記録した時、レオナはまた笑った。


「本当に記録に残るのね、ポンタちゃん用」


「依頼処理でしょう」


 ナタリアが答える。


「主は分かっておる」


 ポンタは満足そうだった。


「分かってはいないわ。あとで騒がれると面倒なだけよ」


「それでも肉は来る」


「そこは否定しないわ」


 報告と素材処理が終わる頃には、ギルドの中は完全に夜の空気になっていた。


 酒場側からは笑い声が強くなり、受付の混雑も少し落ち着いている。依頼の報酬精算は仮で済み、素材の正式査定は翌日以降に回ることになった。


 ミリアが最後に確認する。


「今日はこのままお帰りですか?」


「ええ」


 ナタリアが答えると、レオナが横から言った。


「軽く飲まない?」


「ギルドで?」


「宿でもいいわ」


 ナタリアは少しだけ考えた。


 ポンタがこちらを見る。


「肉は?」


「宿で聞くわ」


「なら宿じゃ」


 レオナが呆れたように笑う。


「決定権、ポンタちゃんに寄ってない?」


「寄せたつもりはないのだけれど」


「でも今、完全に肉で決まったわよね」


「気のせいよ」


 バルドが奥から声を投げた。


「明日は来られるか」


「午前中には」


「素材の正式査定を回す。あと、加工屋の候補も出しておく」


「助かるわ」


「Aになったんだ。金の使い方も考えろ」


「考えているわ」


「そういう顔だな」


 ギルドを出ると、王都の夜気が肌に触れた。


 戦闘後の疲労、報告書を書き終えた後の少し鈍い頭、素材処理まで済ませた安心感。そういうものが、夜の空気で少しずつほぐれていく。


 石樽亭へ戻ると、女将は三人と一頭を見て、すぐに眉を上げた。


「遅かったね」


「報告を書いていたの」


「だろうと思ったよ」


 女将はポンタを見る。


「で、その顔は何だい」


「肉じゃ」


「本当に持ち帰ったのかい」


 女将がナタリアを見る。


 ナタリアは少しだけ肩を竦めた。


「約束してしまったので」


「主は約束を守る」


 ポンタが誇らしげに言う。


 レオナが隣で吹き出した。


「肉の約束で誇らしげにしないで」


「重要な約束じゃ」


「重要の基準が肉なのよね」


 女将は呆れながらも、厨房へ顔を向けた。


「高位魔物の肉なんて、うちで雑に焼けるもんじゃないよ。少しだけなら火を通してやるけど、変な味でも文句言うんじゃないよ」


「文句は言わぬ」


「本当かい?」


「肉は肉じゃ」


「ああ、そういう子だったね」


 女将は苦笑して、奥へ引っ込んだ。


 席に着くと、すぐに温かい料理が出てきた。煮込み、焼いた肉、黒パン、香草を散らした野菜。ナタリアには軽い酒、レオナには少し強めの酒が置かれる。


 ポンタには、別皿で小さく切った肉が出た。


 グリフォンの肉ではない。


 まずは宿の肉だった。


「本命は後じゃ」


「今あるものを食べなさい」


「食べる」


 ポンタは素直に肉へ向かった。


 レオナは杯を持ち上げ、一口飲む。


「ようやく終わった感じがするわ」


「報告が終わったから?」


「それもあるけど、宿に戻ったからかしらね」


「あなたも馴染んできたのね」


「そうかも」


 レオナは少しだけ笑った。


 ナタリアは軽く酒を含む。


 疲労した身体へ、熱が静かに落ちていく。強い酒ではない。けれど、仕事を終えたあとにはこれくらいでちょうどいい。


 しばらくは、今日の戦闘や素材の話を軽くした。


 風切羽がいくらになるか。

 翼膜で外套を作るなら、どの程度軽くできるか。

 鉤爪を短剣にするのは実用的か。

 魔力核をフォルティウスの調整に使うなら、王都のどの職人がいいか。


 レオナはその話を聞きながら、時々自分の肩や胸元へ手をやった。


 ナタリアはその動きを見逃さない。


「気になる?」


「何が?」


「装備」


 レオナは少しだけ苦笑した。


「まあね。今まで、身体に合うものを選べたことがあまりないから」


「でしょうね」


「でしょうねって、さらっと言うわね」


「見れば分かるもの」


 レオナは杯を置いた。


「今日は、やっぱり少し静かだったわね」


 ナタリアが言うと、レオナは目を細めた。


「そういうの、見逃してくれないのね」


「見えたものは仕方ないわ」


「便利な言い方」


「事実よ」


 レオナは少し黙った。


 酒場のざわめきが、二人の周りに薄く流れている。女将の声、皿の音、ポンタが肉を噛む音。どれも遠くはないのに、その席だけ少し内側へ沈んでいるようだった。


 レオナは杯の縁を指でなぞった。


「私、男爵家の三女なのよ」


「そう」


 ナタリアは驚かなかった。


 レオナが少しだけ眉を上げる。


「驚かないの?」


「貴族出身だとは思っていたわ」


「でしょうね」


 レオナは苦笑する。


「隠してたつもりもないけど、言うほどでもなかったのよ」


「男爵家の三女」


「そう」


 レオナは杯の中身を見た。


「家を継ぐわけじゃない。政略的にすごく価値があるわけでもない。嫁ぎ先が決まるまで、それなりに大人しくしていればいい。そんな感じ」


「あなたが?」


「無理があるでしょう?」


「ええ」


「即答ね」


「見れば分かるもの」


 レオナは少しだけ声を立てて笑った。


「男爵家の三女なんて、家にいても置き場所に困るのよ」


「嫁ぎ先が決まるまで大人しくしていればいい、って顔をされる」


「でも、私は大人しく飾られてるには、少し大きすぎたのよね」


 ナタリアは一瞬だけ黙った。


「少し?」


 レオナが目を細める。


「そこ?」


 ナタリアの視線が、ほんの少しだけ下へ落ちた。


「その胸で?」


 レオナは一拍置いて、吹き出した。


「あなた、そういうところ本当に噛むわよね」


「淑女の噛み癖でしょう」


「便利に使いすぎじゃない?」


「使えるものは使うわ」


 そこでナタリアは、少しだけ真面目な顔に戻った。


「でも、冗談抜きで面倒だったでしょう」


「何が?」


「令嬢としては目立つ。騎士としては装備が合いにくい。胸当てが浮けば刃を受けた時に逃げが悪いし、締めすぎれば呼吸が浅くなる。動けば揺れる。視線も集まる」


 レオナの笑みが、少しだけ薄くなった。


「……そこまで見る?」


「見るわよ。戦う身体でしょう」


 ナタリアは淡々と続ける。


「昔から、身体に合わない装備ほど面倒なものはないと思っているだけよ」


 レオナが、今度はナタリアの胸元へ視線を落とした。


「あなたも?」


「自分もそれより大きいから分かるのよ」


 レオナは少し間を置いてから、肩を震わせた。


「そこでさらっと勝ってくるの、やめてくれない?」


「勝負ではないわ」


「今のは勝ちに来た言い方だったわよ」


「事実確認よ」


「あなたの事実確認、時々とんでもないわね」


 ナタリアは何もなかったように酒を口へ運んだ。


 レオナは笑っていたが、その笑いには少しだけ別の色が混じっていた。


 からかわれたから笑ったのではない。


 見られたから笑ったのだ。


 胸の大きさも、体格も、剣の扱いも、装備の不都合も。

 レオナ自身が長く持て余してきたものを、ナタリアはただの女らしさとしてではなく、戦う身体の問題として見た。


 それが、妙に楽だった。


 レオナは少しだけ杯を傾ける。


「学園を出てから、騎士団に入ったの」


「家に残らず?」


「残っても、嫁ぎ先を待つだけだったもの」


「剣で立つ方を選んだ」


「そう」


 レオナの目が少し遠くなる。


 石樽亭の食堂にいるはずなのに、彼女の声だけが少し前の時間へ戻っていく。


「最初は、悪くないと思ったわ」


 騎士団に入った頃、レオナはまだ自分の身体と剣の置き場を信じていた。


 男爵家の三女として家にいるより、剣を持って立つ方が自然だと思った。


 稽古は嫌いではなかった。

 型を覚えるのも、体を鍛えるのも、命令系統の中で動くのも、最初はむしろ分かりやすかった。


 ただ、すぐに分かった。


 騎士団は、剣だけでできている場所ではない。


 家格。

 上官。

 派閥。

 男の目。

 女の目。

 どこまで前へ出るか。

 どこまで控えるか。


 そういうものが、剣よりも先に来る時がある。


「女にしては強い、って何度も言われたわ」


 レオナは笑う。


 だが、その笑いは明るくなかった。


「褒め言葉のつもりなんでしょうけどね」


「分かるわ」


「でしょうね」


「それで?」


「前に出すには目立つ。後ろに置くには強すぎる。男爵家の三女だから、上の方の面子に混ぜるには軽い。でも、現場では便利」


「扱いづらいわね」


「そう。扱いづらい女だったのよ」


 レオナは自分でそう言った。


 騎士団には、悪人ばかりがいたわけではない。


 きちんと教えてくれる者もいた。

 女だからと侮らず、剣の筋を見てくれる老騎士もいた。

 装備の不具合に気づいて、胸当ての締め方を少し変えてくれた女性騎士もいた。


 だから、全部が嫌だったわけではない。


 ただ、場所が合わなかった。


 レオナの背丈も、胸も、剣も、口も、判断も。

 少しずつ、騎士団の用意した場所からはみ出していた。


「二年半くらいいたわ」


 レオナは言う。


「思ったより長いのね」


「私も最初は、続けるつもりだったのよ」


 転機は、ある護衛任務だった。


 地方視察に出た小貴族の一行を護衛する仕事。

 大きな任務ではない。

 騎士団の中でも若手や下位の者が回されるような、ありふれた仕事だった。


 だが、道が崩れていた。


 雨で足場が緩み、荷車が細い道で詰まった。

 そこへ小型魔物の群れが寄った。


 数は多くない。

 落ち着いて配置を変えれば退けられた。


 けれど、上官の判断が遅れた。


 前を守るか。

 荷を捨てるか。

 貴族本人を逃がすか。

 その判断の間に、後方が崩れかけた。


 レオナは動いた。


 命令を待たず、後方の二人を下げ、荷車の片側を切り離し、道を塞いでいた木材を斬った。

 魔物の侵入路を一つ潰し、負傷者を出さずに済ませた。


 結果だけ見れば、正しかった。


 だが、その場を仕切っていた上官の面子は潰れた。


「命令を軽んじた、と言われたわ」


 レオナは静かに言った。


「被害は減った。でも、そういう話じゃなかった」


 ナタリアは黙って聞いている。


「その時に分かったの」


「正しい判断でも、誰が言ったかで潰されることがある」


 レオナは杯の中身を揺らした。


「そんなこと、貴族の家にいれば知っていたはずなのにね」


「現場で見ると違うわ」


「そう。違った」


 それで、退団した。


 逃げたのではない。


 泣いて飛び出したのでもない。


 しばらく考えた。

 残って上を目指す道もあった。

 別の隊へ移る話もあった。


 だが、レオナは見切った。


 騎士団の看板で剣を振るより、自分の名前で依頼を受ける方がまだ息がしやすい。


「それで冒険者に?」


「ええ」


「すぐ馴染んだ?」


「まさか」


 レオナは笑った。


「騎士崩れの女よ」


 冒険者になってからも、楽ではなかった。


 騎士団を辞めた女。

 男爵家の三女。

 長身で、胸が大きく、顔も目立つ。

 剣は使えるが、どこか騎士の癖が残っている。


 そういう女は、冒険者の中でも目立った。


 守ってやると言われたこともある。

 前衛に立てと便利に使われかけたこともある。

 逆に、女が目立つと面倒だと嫌がられたこともある。


 レオナは一つずつ断った。


 剣で黙らせることもあった。


 笑って流すこともあった。


 必要なら組み、合わなければ離れた。


 半年ほど、そうして依頼をこなした。


 Dランクとして立てるようにはなった。


 だが、まだ場所はなかった。


「前に押し出されるか、後ろに置かれるか」


 レオナは呟く。


「どっちも嫌だった」


「横がなかったのね」


「そう」


 ナタリアの言葉に、レオナは少しだけ笑った。


「それで、あなたと初めて組んだ」


 ナタリアは思い出す。


 隣街への小規模輸送護衛。

 元騎士の女。

 長身で、鍛えた体のまま女でいる人間特有の厚み。

 立ち方に型が残っていて、けれど儀礼用の堅さは薄い。


 あの時、ナタリアはレオナを見て、現場で戦う女だと思った。


 レオナもまた、ナタリアを見ていた。


 話している顔で荷と退路を見ている令嬢。

 人を斬る判断が異様に早い女。

 崩れる場所を先に見る女。


 そして、レオナを便利な前衛とも、騎士崩れとも、飾りとも見なかった。


 必要な位置に置いた。


 ただ、それだけだった。


「私、誰かの後ろに置かれるのも、前に押し出されるのも、どっちも嫌だったのよ」


 レオナは静かに言った。


「でも、あなたの横は不思議と楽なの」


 ナタリアは少しだけ考えるように瞬きをした。


「横にいるなら、横の仕事をしてくれればいいわ」


 レオナは声を出して笑った。


「ほんと、あなたってそういう返しよね」


「変だった?」


「変じゃないわ」


 レオナは杯を持ち上げる。


「だから楽なのよ」


 少しだけ、沈黙が落ちた。


 今度の沈黙は重くなかった。


 ポンタが皿の肉を食べ終え、顔を上げる。


「話は終わったか」


 レオナが振り向く。


「ポンタちゃん、聞いてたの?」


「肉を食いながら聞いておった」


「どんな器用さよ」


「妾は器用じゃ」


「そこは否定しないけど」


 ナタリアはポンタの皿を見た。


「グリフォンの肉はまだよ」


「待っておる」


「本当に食べるのね」


「肉は肉じゃ」


 レオナが笑ってから、ふと思い出したように言った。


「そういえば、うちの四女があなたのことをよく話してたわ」


「四女?」


「妹。今、学院にいるの。あなたを“ナタリアお姉様”って呼んでた一人」


 ナタリアは少し考えた。


 学園の外縁で会った下位貴族の少女たち。

 図書室で重い本を抱えていた子。

 礼法で視線の置き方に迷っていた子。

 男爵家の四女。


「顔を見れば分かると思うわ」


「でしょうね」


「あなたの妹なら、少し大きいの?」


 レオナが目を細める。


「そこ?」


「参考までに」


「胸の参考を何に使うのよ」


「装備と人生設計」


「混ぜないでくれる?」


 レオナは呆れたように笑ってから、少し肩をすくめた。


「まあ、あの子もそれなりにあるわよ。私ほどじゃないけど」


「モテる?」


「モテてるようよ。男爵家の四女なのに、縁談はよく来るもの」


「男爵家の四女で?」


「そう。普通なら、そこまで選べる立場でもないんだけどね」


「本人は?」


「あの子はまだ決めてないようだけど」


 レオナは杯の中身を少し揺らした。


「私と違って、家にいてもちゃんと場所があるのかもしれないわね」


 ナタリアはレオナを見る。


「羨ましい?」


 レオナは少し考えた。


「少し」


 素直な声だった。


「でも、あの子にはあの子の面倒があるんでしょうね」


「胸があると、縁談が増えるの?」


 レオナは吹き出しかけた。


「あなた、そこ本当に拾うわね」


「因果関係の確認よ」


「たぶん、顔と家と性格と胸、全部よ」


「分析が雑ね」


「酔ってるのよ」


「それなら仕方ないわね」


「仕方ないの?」


「酔った人間の分析に精度を求めても無駄でしょう」


「あなた、そういうところほんと容赦ないわ」


 レオナは笑いながら杯を置いた。


 その顔は、過去を語る前より少しだけ軽くなっていた。


 ナタリアはそれを見て、何も言わなかった。


 慰める必要はない。


 救う必要もない。


 レオナは自分で騎士団を出た。

 自分で冒険者になった。

 半年、一人で剣を振った。


 そして今、ナタリアの横にいる。


 拾われたわけではない。

 救われたわけでもない。

 ただ、自分の足で立てる横の場所を見つけただけだ。


 ポンタが満足そうに口元を舐めた。


「横に立つなら、飯も横で食うものじゃ」


 ナタリアは即座に返す。


「それは違うと思うわ」


 レオナが笑った。


「でも、今日はそれでいいわ」


 石樽亭の夜は、いつも通りに続いている。


 皿の音。

 女将の声。

 遠くの客の笑い声。

 ポンタが肉を待つ気配。


 その中で、レオナは杯をもう一度持ち上げた。


「横に立つまで、ずいぶんかかったわ」


 ナタリアも杯を持つ。


「今、立っているなら十分でしょう」


「ほんと、あなたらしい」


「褒め言葉として受け取るわ」


「ええ。褒めてる」


 二つの杯が、軽く触れた。


 救済の音ではなかった。


 同情の音でもない。


 ただ、同じ場所に立つ者同士が、今日の仕事を終えた音だった。

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