第46話 横に立つための装備
翌朝の王都ギルドは、いつもより少しだけ人の流れが厚かった。
朝の依頼掲示板の前には、FやEの冒険者が集まり、受付には低ランク依頼の確認待ちができている。酒場側には、まだ朝食の残り香が漂っていた。焼いたパン、薄いスープ、昨日の酒の匂い。そういうものが混ざった、いかにもギルドらしい朝だった。
ただ、奥の査定机だけは少し空気が違う。
普段なら、持ち込まれた素材が順に並べられ、査定担当が淡々と記録をつけるだけの場所だ。だが今日は、布を敷かれた長机の上に、明らかに普通の獲物ではないものが置かれていた。
グリフォン上位個体の風切羽。
鉤爪。
嘴。
状態の良い翼膜。
毛皮の一部。
そして、封をされた小箱に収められた魔力核。
ナタリアは机の前に立ち、それらを順に見ていた。
隣にはレオナ。
足元にはポンタ。
ポンタは朝から妙に姿勢がいい。肉の件があるからだろう。
ミリアが記録板を手に、素材の状態を確認している。
「現地からの追加記録も届きました」 「廃棄部位と巣材は焼却処理済み」 「処分場所は風下、水場から離した位置」 「見張りは二人一組で継続中とのことです」
「早いわね」
「ナタリアさんの指示が明確でしたので、現地でも動きやすかったようです」
「なら結構」
ナタリアは頷き、机上の素材へ視線を戻した。
「査定は?」
「仮査定ですが、かなり高額になります」
ミリアは紙をめくる。
「魔力核は単体で高価です」 「風切羽も状態が良く、魔道具素材、矢羽、対風装備への加工に向きます」 「鉤爪と嘴は武器素材、触媒、装飾具にも使えます」 「翼膜は傷みが少ない部分なら、軽防具や外套に使えます」
レオナが少しだけ眉を上げた。
「これ、全部売ったらしばらく遊べるんじゃない?」
「遊ぶために取った素材ではないわ」
ナタリアは即答した。
レオナは笑う。
「言うと思った」
「現金化する分と、預ける分を分ける」
ミリアはすぐに筆を構えた。
「では改めて」 「魔力核は?」
「ギルド預かり」 「フォルティウスの調整候補にするわ」
「風切羽は?」
「半分預かり」 「半分は売却候補」 「ただし加工先の見積もりを聞いてから」
「鉤爪と嘴は?」
「良品を一組ずつ残して、残りは売却」 「加工用途は後で確認」
「翼膜は?」
ミリアはそこで少しだけレオナを見る。
「レオナさんの外套、または軽防具への使用候補ですね」
レオナはまだ少し慣れない顔をする。
「本当に私に使うのね」
「横に立つなら、装備も横に合わせる必要があるでしょう」
ナタリアが当然のように言うと、レオナは肩をすくめた。
「それ、昨日から続いてるけど、言われるたびに少し変な感じがするわ」
「慣れなさい」
「簡単に言うわね」
「慣れるしかないもの」
ポンタが机の下から顔を出す。
「妾の分は?」
「肉と魔力の濃い部位を確保しているわ」
「核は?」
ナタリアはポンタを見下ろした。
「食べられるの?」
「食える」
「欲しい?」
ポンタは一瞬だけ黙った。
その沈黙は、肉を前にした時のものではなかった。考えている顔だった。
「今回はよい」
「珍しいわね」
「主の剣に使うのじゃろう」
ナタリアは少しだけ目を細めた。
「……気を遣ったの?」
「妾は賢い」
「そういう言い方をすると台無しよ」
レオナが横で笑う。
「ポンタちゃん、意外と考えてるのね」
「意外とは何じゃ」
「肉しか考えてないのかと」
「肉は大事じゃ」
「ほら」
ナタリアはポンタの毛並みを見た。
拾った時よりずっと艶が戻っている。目も澄み、歩き方も軽い。だが、全盛期かと言えば違うのだろう。先日の咆哮でさえ、ポンタはまだ本調子ではないと言っていた。
「あなた、ただ食べたいだけではないわね」
「今さらか」
「回復に要るの?」
「魔力の濃い肉は、身体に戻りやすい」
「今はどの程度なの」
「六割ほどじゃな」
レオナが目を丸くした。
「六割であれなの?」
ポンタは当然のように胸を張った。
「妾を何だと思っておる」
「ポンタ」
ナタリアが答えると、ポンタは不満そうに耳を伏せた。
「名前の話ではない」
「フェンリル寄りの何か、とは思っているわ」
「寄りではない」
「ならそのうち、きちんと説明しなさい」
「肉が足りたら考える」
「説明まで肉払いなの?」
レオナが呆れたように言う。
ミリアは記録しながら、少しだけ笑みを堪えていた。
「では、ポンタさん用には肉と魔力残りの濃い部位を確保」 「魔力核は使用せず、フォルティウス調整候補として保留、でよろしいですね」
「ええ」
「承知しました」
高位素材が並ぶ机には、自然と人が寄ってくる。
それは野次馬というより、上位冒険者の習性に近かった。希少な素材は、装備や魔道具や今後の依頼に直結する。見るだけでも情報になる。
酒場側から、まず大柄な男が近づいてきた。
グレン・バルク。
Aランクの古参冒険者で、大盾と大剣を使う重戦士だ。四十を越えているはずだが、背中も首も太く、立つだけで壁のような圧がある。
初めて見る顔ではない。王都ギルドにいれば、嫌でも覚える。ナタリアも何度か短い言葉を交わしたことがあった。
「よう、ナタリア」 「派手な羽根を持って帰ったな」
「派手にしたつもりはないわ」
「グリフォンを持ち帰ってそれは通らねえ」
グレンは風切羽を見て、低く唸った。
「上位個体だな」 「羽根の魔力残りが濃い」
「分かるのね」
「何度かやってる」 「嫌な相手だ」 「飛ぶ、逃げる、戻る」
「同じ評価ね」
「だから討つだけじゃ足りねえ」
グレンは報告書の写しへ目を落とした。
「巣材と廃棄部位まで処理させたのは悪くねえ」 「放置すると次が寄る」
「そう判断したわ」
「Aの顔になってきたな」
ナタリアは少しだけ眉を動かした。
「顔の問題なの?」
「そういう言い方だ」
その後ろから、今度は女が来た。
ヘルガ・ロウ。
Bランク上位の女性前衛で、斧槍を使う。年は三十前後。がっしりした肩と腰を持ち、笑う時も戦場の匂いが抜けない。レオナとは以前から顔見知りらしく、彼女を見るなり呆れたように言った。
「レオナ、やっと鎧を直す気になったか」
「やっとって何よ」
「前から言ってただろ」 「その胸と肩で既製品は無理だって」
「また胸?」
「大事な話だよ」
ヘルガは遠慮なくレオナの胸当てを見る。
「肩で受けるには少し詰まってる」 「胸を逃がそうとして腰が甘い」 「腰を締めると呼吸が浅い」 「今までよくそれで回してたね」
レオナは額に手を当てた。
「今日、朝からこの話ばかりなんだけど」
ナタリアが言う。
「重要だからでしょう」
「あなたまで乗らないで」
ヘルガはナタリアを見て、にやりと笑った。
「分かってる顔だね」
「自分も身体に合わない装備の面倒さは分かるもの」
「だろうね」
「そこ、納得しないでくれる?」
レオナが抗議すると、ヘルガは軽く笑った。
「いい機会だ」 「グリフォンの翼膜があるなら、ちゃんと作れ」 「Bになったんだろ」
「なったわよ」
「なら、既製品を誤魔化して着る段階じゃない」
その言葉に、レオナは少しだけ黙った。
胸の話、装備の話、身体の話。
軽口に聞こえるのに、言っていることは全部現実だった。
さらに、棚の方から細い声がした。
「その魔力核、売らない方がいいわ」
小柄な女が立っていた。
セシリア。
Aランク魔術師。
身長はかなり低い。ナタリアやレオナの横に立つと、頭一つどころではなく小さく見える。だが、存在感は薄くない。体格は小さいのに、胸元から腹部にかけて魔力の密度が妙に濃い。小柄な身体に収まり切らない魔力を、無理やり均して循環させているような印象がある。
ナタリアは以前から、何度か受付や酒場で短い会話をしたことがあった。地味依頼ばかり受けていた頃も、セシリアは時折こちらの報告書を読んでいた。
初対面ではない。
だが、同じ机で魔力核を挟んで話すのは初めてだった。
「なぜ?」
ナタリアが訊くと、セシリアは小箱の封を見た。
「風の通りが強い」 「剣に合わせるなら使える」 「ただし、雑に入れると剣の癖が変わる」
「詳しいのね」
「素材を見るのは好きなの」
「それだけ?」
「魔術師だから」
淡々としている。
小さいが、言葉に遠慮はない。
セシリアはナタリアを見る。
「火水雷風を全部使ったのね」
「報告書を読んだの?」
「読めば分かるわ」 「風で読んで、雷で止めて、火で嫌わせて、水で崩した」
「合っているわ」
「使い分けは悪くない」
「褒めているの?」
「半分」
「残りは?」
「水を置くのが少し早い」
ナタリアは少しだけ目を細めた。
「……そこを噛むのね」
「噛んでいないわ」 「気になっただけ」
レオナが小さく笑った。
「その返し、十分噛んでるわよ」
セシリアは首を傾げた。
「私は詰まりを取っているだけ」
「それを噛み癖って言うのよ」
ポンタが下から顔を出す。
「噛むのは妾の役目じゃ」
「あなたは物理でしょう」
ナタリアが返すと、セシリアは初めて少しだけ口元を動かした。
「いい名前ね、淑女の噛み癖」
「あなたも気に入る側なのね」
「噛み方が分かりやすいもの」
その会話を聞いていたガレスが、少し離れたところから近づいてきた。
ガレスはCランク上位の冒険者だ。地味だが堅実で、王都ギルドの実働層として信頼されている。最近は少し顔を合わせる機会が減っていたが、完全に埋もれていたわけではない。
彼は風切羽を見て、素直に息を吐いた。
「上位素材ってのは、やっぱり空気が違うな」
「見ておけばいいわ」 「もうすぐ必要になるでしょう」
ナタリアが何でもないように言うと、ガレスは一瞬だけ黙った。
「……誰から聞いた」
「見れば分かるわ」
「それ、時々雑に強いな」
バルドが奥から顔を出した。
「ガレス、お前も見とけ」 「もうじきBの査定にかける」
ガレスが顔をしかめる。
「まだ決まったわけじゃ」
「決めるのはこっちだ」
「雑だな」
「実績は足りてきてる」 「あとは事故らねえかだ」
レオナが笑う。
「追ってくればいいじゃない」
「簡単に言う」
ガレスは苦笑した。
ナタリアは素材から目を離さずに言う。
「でも、来るのでしょう」
ガレスは少し黙り、それから小さく息を吐いた。
「行くさ」
その短い返事に、妙な力みはなかった。
AやBが集まる机の横で、C上位の男が自分の次の壁を見ている。
王都ギルドの層が、そこにあった。
ナタリアたちは突出した例外ではない。
上がいる。
横がいる。
追ってくる者もいる。
その中に、淑女の噛み癖が入り始めている。
バルドは素材記録をまとめると、腕を組んだ。
「レオナの装備を作るなら、普通の鍛冶屋に持ち込むな」
「そんなに駄目?」
レオナが訊く。
「胸と肩を見られる職人じゃねえと失敗する」
「また胸」
「大事だと言っただろ」
ヘルガが横から言う。
バルドは紙に工房名を書いた。
「ダリアに行け」
「ダリア・クラフト?」
ミリアが確認するように言う。
「王都西通りの防具職人です」 「女性冒険者の装備調整に強い方ですね」
ヘルガが頷いた。
「口は悪いけど腕はいい」 「胸を潰す装備を作らない」
「それ、褒め言葉なの?」
「命を預けるなら十分な褒め言葉よ」
レオナは諦めたように笑った。
「分かったわ」 「行きましょう」
素材の一部をギルド預かりのまま、翼膜と風切羽の加工相談用の証明書を持って、ナタリアたちは工房へ向かった。
王都西通りは、金属音の多い通りだった。
鍛冶屋、防具屋、革職人、馬具屋。店先には革の匂いと熱い鉄の匂いが混じっている。ギルド周辺とはまた違う、働くための音が満ちていた。
ダリア・クラフトの工房は、その中でも奥まった場所にあった。
扉を開けると、革と油と磨かれた金属の匂いがする。壁には胸当て、肩当て、手甲、外套留め、革帯が並んでいた。一般的な女性用の飾り鎧ではなく、実際に戦うための装備が多い。
奥から出てきた女は、四十前後に見えた。
短く切った髪。
太い指。
鋭い目。
ダリアはレオナを見るなり、挨拶より先に言った。
「既製品を直しただけじゃ無理だね」
レオナは一瞬だけ口を開けた。
「いきなり?」
「見れば分かる」
ダリアは遠慮なくレオナの肩、胸、腰、足の置き方を見た。
「胸を潰して固定する作りじゃ駄目だ」 「呼吸が浅くなる」 「肩を固めれば剣が鈍る」 「腰で支えないと上が揺れる」 「上を締めれば腕が死ぬ」 「この体で前に立つなら、支える場所と逃がす場所を分ける」
ナタリアは頷いた。
「同感ね」
レオナが二人を見た。
「あなたたち、私の胸を前にして会議しないでくれる?」
「装備の話だよ」
「装備の話よ」
二人がほぼ同時に返した。
レオナは額に手を当てた。
「二人して同じ顔しないで」
ダリアはまったく気にせず、証明書と素材リストを見る。
「グリフォンの翼膜と風切羽か」 「いいもの持ってきたね」
「軽外套に使えるかしら」
ナタリアが訊く。
「使える」 「むしろ向いてる」 「風圧を逃がす」 「跳躍時の姿勢を崩しにくくする」 「飛行魔物相手に体を持っていかれにくくする」 「前衛なら、重い鎧より生きる場面がある」
「胸当ては?」
「作り直しに近い調整だね」 「今の土台は使えるが、上をそのまま締めるな」 「胸を潰して固定するんじゃなく、重さを下と背に逃がす」 「肩は空ける」 「剣筋を見る」
ダリアはレオナへ向き直る。
「剣を抜きな」
「ここで?」
「ここで」
レオナはナタリアを見た。
ナタリアは何でもない顔をしている。
「抜けば?」
「あなたまで」
レオナは仕方なく剣を抜いた。
工房の床には、動きを見るための広い空間がある。レオナは軽く構え、何度か踏み込み、斬り返し、受け流しの動きを見せた。
ダリアは黙って見ている。
ナタリアも見る。
ポンタは隅で座り込んでいるが、耳は動いている。
「右肩は開ける」
ダリアが言う。
「胸を逃がす分、背中側で支える」 「腰帯は太くする」 「外套は軽く、ただし風を受けすぎないように切る」 「見た目は諦めな」
レオナが顔をしかめる。
「そこは少し諦めたくないんだけど」
「なら見た目も調整する」 「だが優先は生きることだ」
「それはそうね」
ナタリアが翼膜の証明書を出す。
「完成までどのくらい?」
「採寸と仮合わせで数日」 「素材加工まで入れればもう少し」 「急ぎで雑にやるなら断る」
「雑にする気はないわ」
「なら受ける」
ダリアはそこで初めて、ナタリアの腰のフォルティウスを見た。
「そっちは?」
「今回は診断だけ」
「グリフォンの核を使う気か」
「候補として」
ダリアは少しだけ考えた。
「剣の方は、うちより魔道具師か魔剣調整師だ」 「だが、雑に核を入れるのはやめておけ」 「風の通りが広がる代わりに、剣の癖が変わる」
「セシリアにも同じことを言われたわ」
「あの小さい魔術師か」 「なら聞いておけ」 「あれは素材を見る目がある」
「そうするわ」
ナタリアはフォルティウスの柄へ軽く触れた。
「剣の癖が変わるなら、一度持ち帰って考える」
「いい判断だ」
ダリアは短く言った。
それから足元のポンタを見る。
「で、こっちは?」
「従魔」
「首輪か?」
「断固拒否じゃ」
ポンタが即座に答えた。
ダリアは一瞬だけ目を丸くし、それから笑った。
「喋るのかい」
「妾は喋る」
「なら識別用の飾り紐くらいは?」
ナタリアが提案すると、ポンタは少し考えた。
「肉を吊るすなら考える」
「吊るさないわ」
「では不要じゃ」
ダリアは肩を揺らして笑った。
「面白い連中だね」
「よく言われるわ」
レオナの採寸は思ったより長くかかった。
肩幅、胸囲、背の長さ、腕の可動域、腰の位置、踏み込みの癖。ダリアは迷いなく測り、必要な箇所ではレオナを動かし、止め、また測る。
レオナは最初こそ軽口を叩いていたが、途中から少し静かになった。
採寸が終わり、素材預けの記録に署名すると、外は昼を少し過ぎていた。
工房を出たところで、ナタリアはレオナを見た。
「嫌だった?」
レオナは首を横に振った。
「逆」
「逆?」
「今まで、私が装備に合わせるのが普通だったから」
レオナは自分の胸元に軽く手を置いた。
「装備の方を私に合わせるって、変な感じ」
ナタリアは淡々と言う。
「横に立つなら当然でしょう」
レオナは笑った。
「またそれ?」
「何度でも言うわ」
「本当に言いそうね」
「必要なら」
ポンタが足元で鼻を鳴らす。
「妾の飾り紐は無しじゃ」
「まだ言ってるの?」
「大事なことじゃ」
レオナは笑いながら歩き出した。
ギルドへ戻る頃には、昼の騒がしさが少し落ち着いていた。
素材査定の机は片づけられ、風切羽も翼膜も、もうそこにはない。グリフォン上位個体の残したものは、売られるもの、預けられるもの、加工されるもの、食われるものに分けられ、それぞれ別の場所へ動き始めている。
ただの討伐品ではなくなった。
ナタリアの剣を調整するかもしれない核。
レオナの外套や軽防具になるかもしれない翼膜。
ポンタの身体を少しずつ戻すための肉。
そして、今後の活動資金になる素材。
昨日倒した一体が、今日にはもう、次の仕事の準備へ変わっていた。
「変な感じね」
レオナがぽつりと言った。
「何が?」
「魔物を倒したら終わり、じゃないところ」
彼女は自分の胸元を軽く指で押さえた。さっきまでダリアに容赦なく見られ、測られ、装備の構造を語られた場所だ。
「倒したものが、今度は私の装備になるかもしれない」 「しかも、私に合わせて」
「嫌?」
「逆って言ったでしょう」
「そうだったわね」
ナタリアがそう返すと、レオナは少し笑った。
「まだ変な感じはするけど、悪くないわ」
「なら結構」
「あなた、ほんとそれで済ませるのね」
「済むものは済ませるわ」
ポンタが足元で鼻を鳴らした。
「妾の肉も忘れるでないぞ」
「忘れていないわ」
「主は約束を守る」
「肉の約束で信用を積まないで」
レオナが呆れたように笑う。
その笑いを聞きながら、ナタリアはギルドの奥へ視線を向けた。
グレンはもう酒場側へ戻っている。ヘルガは別の冒険者と装備の話をしていた。ガレスは素材机のあった場所をまだ少し見ていたが、やがて何かを決めたように掲示板の方へ歩いていく。
セシリアは小箱の置かれていた机の端を指で軽く叩き、こちらへ一度だけ視線を向けた。
言葉はない。
けれど、魔力核とフォルティウスの話は、たぶんこれで終わらない。
ナタリアはそう感じた。
王都ギルドには、上がいる。
横がいる。
追ってくる者もいる。
自分たちは、その中へ入り始めたばかりだ。
「装備が仕上がるまで、大物は避けるべきね」
ナタリアが言うと、レオナは目を細めた。
「あなたからその言葉が出ると、逆に何か来そうで嫌ね」
「来るかどうかと、受けるかどうかは別よ」
「それ、受ける前提の人の言い方よ」
「見るだけならできるでしょう」
「ほら」
レオナが笑い、ポンタが耳を動かす。
その時、奥の机で書類をめくっていたバルドが顔を上げた。
「ナタリア」
「何かしら」
「急ぎじゃねえ」
その前置きだけで、少し嫌な予感がした。
バルドは一枚の紙を机の端へ置いた。まだ正式な依頼票ではない。調査記録に近い、薄い紙だった。
「装備が上がるまで大物は入れねえ」 「だが、Aには見ておいてほしい話が一つある」
ナタリアは紙へ視線を落とした。
王都近郊の魔力異常。
古い地下水路。
微弱な毒性反応。
討伐依頼ではない。
少なくとも、今はまだ。
ナタリアは紙面を追い、静かに息を吐いた。
「面倒そうね」
「だから急ぎじゃねえと言った」
「急ぎではないけれど、放置していいとも言っていない」
バルドは笑わなかった。
「そういう話だ」
ナタリアは紙を戻した。
「分かったわ」
レオナが横から覗き込む。
「次は地下?」
「まだ見るだけよ」
「あなたの“見るだけ”って、だいたい見るだけで終わらないのよね」
ポンタが低く鼻を鳴らした。
「毒の匂いなら妾が見る」
「まだ行くとは言っていないわ」
「いずれ行く顔じゃ」
ナタリアは答えなかった。
ただ、机の上の紙をもう一度だけ見た。
装備はまだ仕上がっていない。
剣の調整も、レオナの外套も、ポンタの回復も途中だ。
それでも、次の気配だけはもう届いている。
ナタリアは静かに紙から目を離した。
「まずは、整えるところからね」
そう言って、彼女はレオナとポンタを連れて、ギルドの喧騒の中へ戻った。




