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断罪された侯爵令嬢は、戦場で完成した。なお中身はおっさんである  作者: 月白ふゆ


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第38話 押し寄せる

 夜明け前から、ハルヴェインはもう起きていた。


 いや、正確には眠れていなかったのだろう。

 街全体に薄く残った眠気の下で、人だけが先に動いている。荷車が軋む。木材を引きずる音がする。井戸から水を汲み上げる縄の擦れる音が、冷えた空気の中でやけに硬く響いた。


 通りに出たナタリアは、一度だけ街の正面を見た。


 昨夜のうちに、街道正面は狭められている。

 荷車二台を横付けし、その隙間を埋めるように木柵が足されていた。通せるのは人と馬がどうにか並べる程度の幅だけだ。正面から押し寄せる数を絞るには、悪くない。

 水場側には低い柵と泥除けの板。こちらは止め切るためではなく、流れを鈍らせるためのものだ。荷場裏は布と荷箱をどけて、二線が動ける導線へ変えられていた。

 オズワルドとミレナは、徹夜に近い時間でよくここまで組み替えたものだ。


 レオナが隣に並ぶ。


「寝てない顔してるわね、みんな」


「寝てないのでしょう」


「あなたも人のこと言えないけど」


「眠れたわよ」


 短く返しながら、ナタリアは水場側へ視線を滑らせた。

 Eが八名。槍三、短剣二、弓一、残り二は荷場との連結要員。

 正面の第一線はDを厚くした。セルジュを右寄り、左はレオナが動けるように少し空けている。

 見張り台にはイリア。矢束は三。足りる。足りない時は、その時点でもう別の問題だ。


 ポンタが足元で鼻を鳴らした。


「ずいぶん人間くさくなったの」


「何が?」


「戦う前に物を積み、道を絞り、水を置く」

「獣にはない知恵じゃ」


「知恵がないと、数に負けるでしょう」


「理屈はそうじゃ」


 ポンタは耳を動かし、街の外を見た。


「来るの」


「分かる?」


「昨日よりずっと近い」

「嫌なものが、もう山裾では止まっておらぬ」


 ナタリアはうなずき、ギルド前へ足を向けた。


 すでに主要な者たちは集まっている。

 オズワルド。ミレナ。ダリオ。セルジュ。イリア。

 それぞれの顔に疲れはある。だが、潰れてはいない。


 オズワルドが配置図を片手に言う。


「各街からの返答は戻っています」

「一つ目の街は外縁見回り増し。南の小集落は避難所の鍵を開けたそうです」

「王都寄り境目は、荷車の足を一段落としています」

「街道沿い二つは、見張り台の交代間隔を詰めたと」


「十分だわ」


「十分で足りるといいのですが」


 オズワルドの返しは相変わらず内勤の人間のものだった。

 声を荒げない。感情を乗せすぎない。だが遅くもない。

 こういう男は、戦うより前に街を持たせてきたのだろう。


 ミレナが別の紙を差し出す。


「夜半以降、外縁見張りから三件」

「水場北に群れ。街道西に移動痕。荷場裏の林に小型流入」

「数はいずれもまだ中規模未満です」


「“まだ”がつくのね」


 レオナが言うと、ミレナは少しだけ口を引き結んだ。


「ええ」


 ナタリアはその紙を見ながら、ダリオへ視線を向ける。


「肩は」


「上がる」


「脇腹は」


「笑わなきゃ平気だ」


「笑う余裕あるの?」


「いまはねえ」


 昨日よりはマシだ。

 だが前に立たせる傷ではない。


「今日も言うけど」


 ナタリアが言う。


「前には出すぎないで」


 ダリオは少しだけ顔をしかめた。


「まだ立てる」


「立てるのと、持つのは違う」

「今日は頭でいろ」


 その言い方に、ダリオは何か返しかけてやめた。

 反発はある。

 だが、昨日の山裾で自分が一歩遅れたことも分かっている。

 いま必要なのが意地ではないことも。


「分かった」


 短く、それだけ言う。


 ナタリアは視線を全員へ回した。


「確認する」

「正面は狭めた線のまま。頭を削る」

「全部は外で取らない。入れないことを優先する」

「水場側は薄く持たせる。崩れたらすぐ下げる」

「荷場裏はE中心で蓋。Fは前へ出すな」

「搬送線は二本、絶対に切らさない」

「二線は早く使い切らない」


 言いながら、各人の目を一度ずつ見る。

 聞いているかではない。

 理解して動ける顔かを見る。


 セルジュは口を結んだまま頷く。

 イリアはすでに見張り台へ戻る気配を作っている。

 ミレナは必要な語句だけを紙に落とし、オズワルドは配置図の余白へ補記を入れていた。


 レオナが横から言う。


「私の動きは?」


「正面の左寄り」

「ただし固定しない」

「頭を削りつつ、崩れた方へ回る」


「了解」


「ポンタ」


「おる」


「前に出すぎるな」

「奥を見るのが先だ」


「妾に向かってよく言うの」


「貴方、時々気分で前に出るでしょう」


「今日は出る時は出るぞ」


「その時は言いなさい」


 ポンタは鼻を鳴らした。

 その返事が何を意味するかは曖昧だが、今はそれでいい。


 見張り台の上から、イリアの声が落ちてきた。


「来る!」


 全員の視線が一斉に街道の向こうへ向く。

 朝の光がようやく斜めに差し始めた先、街道の土煙が細く揺れていた。まだ大群ではない。だが、先頭のまとまりが見える。


 コボルト。

 ラット。

 その奥に、湿った跳ね方。トード。

 さらに、木立の陰で細かい羽音。


 レオナが息を吐いた。


「最初から混ざってる」


「散ってない時点で嫌でしょう」


 ナタリアは言い、前へ出る。


「正面、構えろ」

「頭だけ取る」

「深追いするな」


 声はまだ、抑えられていた。

 だが必要なところにだけ鋭く入る。


 第一波は、予想より少し速かった。

 頭数そのものより、押され方が悪い。後ろから来る圧に急かされているような走り方をしている。


 セルジュが右から一体目のトードを受けた。

 槍先で喉元を抉る。

 レオナは左へ回ったコボルトを二体まとめて落とし、そのまま一歩だけ前へ詰める。詰めすぎない。抜ける線を消すためだけの歩幅だ。

 ナタリアは正面中央へ入り、フォルティウスで先頭の頭を切る。深く振らない。後ろに残す線だけを読む。


「奥、まだ来る!」


 イリアが叫ぶ。

 矢が飛び、街道脇のラットを一体落とした。

 その横から羽音がまとまって上がる。


「蜂だ!」


「落とす」


 ナタリアは即答し、フォルティウスを水平に引くように払った。

 刃に薄く風を乗せる。

 大きな詠唱も見せつける魔法陣もいらない。

 切っ先から走った風が、群れの頭だけを乱し、高度を落とさせる。落ちたところをレオナが二つ、セルジュが一つ、イリアが残りを射抜く。


 第一波は、それでどうにかなった。


 だが本波ではない。

 誰もそんな顔はしなかった。


 オズワルドが後ろから短く言う。


「搬送線、問題なし」


 ミレナはもう次の記録札へ手を伸ばしている。

 止まらない。

 それが救いだった。


 数刻もしないうちに、第二波が来た。


 今度は頭数が違った。

 街道正面にまとまる群れ。水場側へ流れるトード。荷場裏へ回ろうとするコボルト。しかも、その全部が互いに潰し合わず、同じ向きへ押されている。


「正面は維持」

「レオナ、左の頭を潰せ」

「セルジュ、右を上げるな」

「イリア、抜けだけ射れ」


 ナタリアは指示を飛ばしつつ、自分も前へ出る。

 剣で一体落とし、返す刃で二体目の肩口だけを裂く。

 深く追えば後ろが抜ける。

 だから追わない。

 倒す位置を決めて、そこでだけ斬る。


 レオナの剣筋が左の密度を削る。

 彼女は広く戦わない。必要な範囲だけを削って、街へ届く数を減らす。

 セルジュは言われた通り右を上げない。前へ出たいのを我慢して、押し返すだけに徹していた。

 指示が通る現場は強い。


 だが、数の圧はそれでも来る。


「水場側、増えた!」


 Eの一人が叫ぶ。

 そちらへ目をやった瞬間、ナタリアは嫌な崩れを見た。


 薄く受ける前提で置いていた水場側へ、トードとラットがまとめて流れている。足場が悪い。柵も低い。そこへコボルトまで混じって、一度圧が乗ると一気に崩れる配置だ。


「レオナ、正面落とすな」

「水場側、俺が入る」


 言葉が落ちた瞬間、自分の中の何かが切り替わるのが分かった。


 迷いが消える。

 令嬢としての言葉遣いだの、剣士らしい見せ方だの、そんなものは一瞬で後ろへ落ちた。

 優先順位だけが残る。

 どこを切れば全体が持つか。

 誰を前へ出して、どこを捨てて、何を残すか。

 それだけだ。


 ナタリアの声は、その瞬間から完全に変わった。


「セルジュ、詰めるな。そこは餌だ」

「イリア、奥を止めろ。抜かせるな」

「搬送一本下げろ。そこはもう危ない」

「水場側、下がるな。俺が切る」


 低く、短く、断定だけで切る。

 怒鳴らない。

 だが、従わない選択肢を与えない声だった。


 水場側へ飛び込む。


 泥。

 滑る板。

 低い柵。

 その向こうに、トードが四。ラットが五。コボルト三。

 数は多くない。

 だが崩れには十分すぎる。


 フォルティウスへ雷を薄く纏わせる。

 そのまま一歩。

 踏み込みと同時に身体強化。

 筋力を底上げし、泥を踏み抜かずに加速する。


 一体目のトードを正面から裂く。

 返しでラット二体の頭を飛ばす。

 さらに切っ先から細い雷を弾き、柵を越えかけたコボルトの脚を止める。

 止まったところを、Eの槍が落とす。


「そこ、上げるな!」

「足場見るな、相手見ろ!」

「右は流していい、正面だけ閉じろ!」


 声を飛ばしながら、ナタリアはさらに一歩前へ出る。

 戦い方にこだわりはない。

 剣で足りるなら剣。

 飛ばした方が早いなら飛ばす。

 纏った方が速いなら纏う。

 切り方がどう見えるかは関係ない。

 崩れを止める形だけが正解だ。


 水場側のEが、最初の動揺から立て直し始める。

 そこへさらに圧が乗る前に、斜面の奥から別の流れが来た。


 さっきより密度が濃い。

 しかもトードだけではない。ラットの群れが泥を先に荒らし、そのあとへコボルトが乗る。最後尾に蜂まで混ざる。

 悪い。

 まともに受ければ潰れる。


「下がるな!」

「死体を使え!」

「前のトードを柵へ引っ掛けろ!」


 Eが一瞬だけためらう。

 だが一人がトードの死体へ槍を突き立て、そのまま低い柵へ押し付けた。

 即席の障害になる。

 そこへラットが詰まり、流れが一拍止まる。


 だが次の瞬間、その右で足場が割れた。


 泥除けに使っていた板が外れ、Eの若い一人が足を取られて転ぶ。

 その背後、搬送補助に回っていたFの少女が凍りつく。

 ラットが三。コボルトが一。一直線にそこへ抜ける。


 ここで一人死んでもおかしくなかった。


 視界が絞られる。

 泣き顔も、悲鳴も、意味を持たない。

 どこを切れば線が戻るか、それだけが見える。


「そこはまだ死んでない。立て直す」


 ナタリアの声が落ちる。

 若い女の喉から出ているはずなのに、中身だけが別だった。


「レオナ、左の頭だけ潰せ。抜けは捨てるな」

「セルジュ、前を見るな。穴を見ろ」

「イリア、泣いてるやつの前を射るな。奥を止めろ」

「搬送、二本目は切っていい。一本残せ」


 言い終える前に身体が動いていた。


 風を飛ばす。

 抜けかけたラットの頭だけを横へ弾く。

 雷を細く撃ち、コボルトの脚を止める。

 そのまま身体強化で踏み込み、転んだEの前へ入る。

 トードの死体を蹴り上げ、泥へ落として段差を作る。

 その段差を踏み台に、残り二体を斬る。


 綺麗ではない。

 戦場としてはそれが正しい。


 レオナが左から来た群れの頭を斬り飛ばす。

 セルジュは「穴を見ろ」という指示通り、崩れた板の位置へ槍を差し込んで流れを止めた。

 イリアの矢は、泣きかけた搬送要員ではなく、その奥で跳ねる蜂へ飛んだ。

 そこが見えている時点で、この街はまだ死んでいない。


 だがまだ足りない。

 圧が重い。

 向きが変わらない。


 横から、重い唸りのようなものが走る。


 ポンタだった。


 体格が変わる。

 完全ではない。

 それでも、一瞬前までの小さな獣の姿からは明らかに外れる。背が伸び、脚が長くなり、毛が逆立つ。口元から白い息のような圧が漏れ、目の色が冷たく深くなる。


 弱い魔物の足が止まった。

 いや、止まっただけではない。向きがぶれる。

 街へ向いていた流れが、横へ逃げる。


 ポンタが、面倒そうに言った。


「やれやれ」

「まだ妾は本調子には早いが、仕方あるまい」


 その声音のまま、さらに圧を増す。

 トードが二体、完全に横を向いた。

 コボルトが一瞬だけ躊躇う。

 その一瞬で十分だった。


「そのまま流せ!」

「正面は俺が切る!」


 ナタリアが叫ぶ。

 レオナはすぐに応じた。


「抜けだけ落とすわ!」


 レオナが左から入り、ポンタが逸らした線の頭を落とす。

 イリアの矢が、そのさらに後ろを止める。

 セルジュは右を上げずに維持。

 Eはようやく柵際の混乱を取り戻した。


 戦場の秩序が戻る。

 全部を消したわけではない。

 だが、崩れかけた流れだけは切り直せた。


 オズワルドが後ろから、珍しく少しだけ大きい声で言う。


「搬送線、維持!」

「負傷者二、下げます!」


 ミレナも即座に返す。


「水桶追加、そっちへ!」

「火はまだ使わないでください、風が不安定です!」


 前に立たない二人が、後ろで街の呼吸を切らさない。

 それがいま、どれだけ強いかは、前に立っている人間ほどよく分かる。


 水場側の山をどうにか戻したあと、ナタリアは一度だけ息を吸った。

 まだ終わっていない。

 だが持った。

 この一点は持った。


 レオナが、正面から少しずつ位置を寄せてくる。


「まだある?」


「ある」


「言うと思った」


 そのやり取りの最中、ダリオが街内寄りからこちらへ歩いてきた。

 顔色は悪い。

 だが目は死んでいない。

 前には立てない。

 それでも見えている。


「山裾の線、さらに下がってる」


 息を押さえながら、ダリオが言う。


「木立の崩れ方が違う」

「ただの群れじゃねえ」

「上から押してるやつが、もう中腹より下だ」


「痕跡は?」


 ナタリアが問う。


 ダリオは左手で、街道脇の削れた木を指した。


「見ろ」


 木の幹に、斜めへ抉れた深い割れが入っている。

 獣の爪ではない。

 刃でもない。

 太く、重いものが、角度を持って叩き割った痕だ。


 その足元の土には、深い蹄痕が残っていた。

 だが四足ではない。

 前後の重さが違う。

 二足重心で踏んだ跡だ。


 レオナが低く言う。


「牛頭か」


 ダリオが頷く。


「ただの大物じゃねえ」


 ナタリアはその足跡、倒木、木の割れ方、圧の残り方を一瞬でまとめる。


「ミノタウロス」


 短く言葉が落ちる。


 その周囲の空気が一拍だけ止まる。


「Aランク相当だ」


 続けて言うと、オズワルドの目が初めてはっきりと動いた。

 ミレナのペン先も止まる。

 名前がついた脅威は重い。

 “何か大きいもの”と、“Aランクのミノタウロス”では、実務の最悪がまるで違う。


 ダリオが低く吐き捨てるように言う。


「やっぱりか」


「見ていたのね」


「疑ってはいた」

「だが、認めたくなかっただけだ」


 その気持ちは分かった。

 地方街ひとつの外で、Aランク相当がゆっくり下りてきている。

 認めた時点で、街の持ち方が変わる。


 オズワルドが静かに問う。


「……いま、討ちに行くべきですか」


 ナタリアは即答した。


「行かない」


 その声は、一切ぶれなかった。


「先に街を持たせる」

「波を切ってからだ」


 レオナがすぐ乗る。


「いま主力を抜いたら、逆に崩れるわね」


「そういうことだ」


 口調は完全に藤堂だった。

 それでも声そのものはナタリアのものだ。若い女の喉で、低く断定が落ちる。その違和感に引っかかる余裕は、いまの周囲にはない。


 第三波は、その直後に来た。


 今度は正面寄り。

 数が多い。

 群れの厚みが明らかに違う。

 だが、さっきの崩れでこちらも学習している。


「正面、狭めたまま!」

「二線、まだ上げるな!」

「イリア、奥だけ見ろ!」

「セルジュ、右を捨てるな!」


 ナタリアは正面へ戻り、フォルティウスに風を纏わせたまま一歩前へ出る。

 先頭の頭数を、一気に削る。

 風で向きを乱し、斬り、踏み込み、返す刃で残りを落とす。

 その間にも指示を飛ばす。


「搬送、左へ寄せろ!」

「そこのE、前を見るな、柵を見ろ!」

「レオナ、左の頭だけ潰せ!」


「分かってる!」


 レオナの返しも短い。

 ここへ来ると、二人の会話は確認ではなく即応になる。


 ポンタの圧は完全ではない。

 それでも、弱い魔物には十分すぎる。

 真正面へ来るはずだった小型が一度ためらう。

 その一歩が、こちらの一拍になる。


 イリアの矢は正確だった。

 セルジュは指示通り詰めず、抜けだけを潰す。

 Eも、もう最初の混乱はない。

 怖い。

 それでも持たせる位置が分かってきている。

 街は強い。

 強いというより、崩れる手前で踏みとどまる形を覚え始めていた。


 波が長く続いた。


 全部を数える余裕はない。

 ただ、切って、流して、止めて、戻して、また切る。

 それの繰り返しだった。

 陽は上がり、また少し傾き、地面の泥も血も乾ききる暇がない。


 気づけば、正面の前に倒れた魔物の層ができていた。

 それでもまだ、街の内へは本格的に抜かれていない。

 水場側も、荷場裏も、二線も、生きている。


 そしてようやく、圧が少しだけ落ちた。


 完全に止んだわけではない。

 だが、本波の頭は割った。

 誰もがそれを感じていた。


 オズワルドが、柵の後ろで短く言う。


「持ちました」


 それだけだった。

 だが、その一言には、この街の全員が何とか崩れずに残った重みがあった。


 ナタリアはフォルティウスの血を払い、息を吐いた。


「立たせただけだ」


「分かっています」


 オズワルドが答える。


「ですが、それでも十分重い」


 ミレナはすでに次の紙へ手を伸ばしている。


「負傷は把握中です」

「致命はまだ出ていません」

「搬送線も切れていません」


「上出来だ」


 ナタリアは短く言った。

 褒めるためではない。

 事実としてそうだった。


 ダリオが壁に背を預けたまま、低く笑う。


「王都は化け物を寄越すな」


「女二人寄越したと思ったんじゃなかったの?」


 レオナが言うと、ダリオは顔をしかめた。


「最初はな」


「いまは?」


「訂正する」


 ダリオはナタリアを見る。


「美人の顔してるくせに、中身がたち悪い」


「褒めてる?」


「現場じゃ褒め言葉だ」


 ナタリアはそれに返事をしなかった。

 代わりに街道の向こうを見る。


 波は一度割った。

 だが、終わってはいない。

 終わらせるには、原因を切るしかない。


「次だ」


 ナタリアが言う。


 オズワルドが視線を上げる。

 ミレナも止まる。

 レオナはすでに意味を分かっている顔をしていた。


「原因を切る」


 短く、はっきりと言い切る。


 レオナが剣を肩へ戻しながら笑った。


「やっとそこへ行くのね」


「街は持った」

「なら次は、押してるやつを止める」


 ポンタが、まだ大きさを少しだけ残したまま、やれやれという顔で息を吐く。


「ようやくか」

「主らが行かぬと、どうせまた降りてくるの」


「分かってる」


 ダリオがそこで身を起こしかける。


「案内なら――」


「お前は残れ」


 ナタリアは即座に切った。


「地形はもう十分聞いた」

「街で頭をやれ」

「立てるのと、山へ入れるのは違う」


 ダリオは一瞬だけ悔しそうな顔をしたが、言い返さなかった。

 もう分かっている。

 自分が前線の最上位ではないことも、この街に頭が必要なことも。


「……分かった」


「オズワルド」


「はい」


「こっちは行く」

「街はまだ気を抜くな」

「抜けた群れだけでも街は死ぬ」


「分かっています」


 ミレナがすぐに続ける。


「戻りはどの想定で待ちますか」


「夜明け前には戻れないかもしれない」

「でも、明日の日中には結果を出す」

「それまで街は持たせて」


「承知しました」


 その返答に迷いはなかった。

 この街の後ろは、この二人で持つ。

 なら前は、自分たちが切るだけだ。


 レオナが隣へ並ぶ。


「行ける?」


「行く」


「そう言うと思った」


 ナタリアはフォルティウスを鞘へ収め、街道の向こう、山裾の方を見た。


 街はまだ立っている。

 だが、立たせただけでは終わらない。

 押し寄せる流れの奥にいるものへ、次は刃を届かせる番だった。

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