表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
断罪された侯爵令嬢は、戦場で完成した。なお中身はおっさんである  作者: 月白ふゆ


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
33/42

第33話 手入れの日

 その朝の石樽亭は、いつもより少しだけ静かだった。


 静かといっても、店が止まっているわけではない。女将はもう鍋を火にかけているし、下働きの少年は裏口から桶を運び込み、配膳の少女は眠そうな顔でパン籠の布を替えていた。ただ、朝いちばんの冒険者たちがまだ降りてきていないぶん、皿と足音の数が少ないだけだ。石の壁に反射する物音も、それだけやわらかく聞こえる。


 ナタリアは二階の小部屋で目を覚ましてから、しばらく寝台の上に座っていた。

 起きる時間そのものは、依頼へ出る日と変わらない。身体がその時刻で目を開くようになっている。けれど、目覚めた瞬間に今日の仕事を頭の中へ並べ始める感じは、今日は薄い。


 今日は依頼を詰め込まないと決めていた。

 だが、何もしないつもりでもない。


 窓を少し開ける。朝の空気は冷たく、石と水の匂いが薄く入ってくる。遠くで荷車の軋む音がした。市場へ向かう気配もある。街はもう動いている。けれど今日のナタリアは、そこへすぐには混ざらない。


 寝台脇へ置いた装備へ目をやる。


 フォルティウス。

 日常使いに寄せた短剣。

 長靴。

 いつも使う手袋。

 指輪。


 どれも昨日まで普通に使っていたものだ。戦いを越え、雨と泥を踏み、血を浴び、拭われ、乾かされ、それでもまた次の日に持ち出される道具。こういうものは、何も起きていない日の方がよく見える。使っている最中は、使えるかどうかしか見ない。止まった時に初めて、傷み方や癖が分かる。


 今日はそこを見る日だと、昨夜のうちに決めていた。


 髪をほどき、指先で軽く梳く。顔を洗い、布で水気を取り、磨き板へ映った自分の顔を見る。疲れはある。だが抜けない種類ではない。休めば落ちる。そういう見立てが前より速くなった。無理をして進める日、少し落とす日、丸ごと止める日。その切り分けが甘いと、あとで大きく崩れる。


 磨き板から視線を外し、フォルティウスを手に取る。

 鞘ごしでも伝わる重みは変わらない。けれど、柄の革に少し乾きが出ていた。目立つほどではない。だが放っておけばいずれ手に返る。長靴の側面にも、乾いた泥が薄く残っている。短剣は研ぎそのものより、柄の収まりを少し見てもらった方がいい気がした。


 指輪は、指へ通したまま一度だけ魔力を流してみる。

 強くなる感じはない。

 ただ、無駄に散らない。

 相変わらず地味だ。だが、こういうものほど長く効く。


 下へ降りると、女将が鍋をかき混ぜたままこっちを見た。


「今日は泥の日じゃないんだね」


「依頼は入れないつもり」


 そう答えると、女将は眉を少し上げた。


「つもり、かい」


「顔は出すわ」


「休む気なのに?」


「来ないで面倒が溜まる方が嫌なの」


 女将は鼻で笑った。


「そういう休み方かい」


「そういう休み方なの」


「不器用だね」


「便利とも言えるわ」


 それを聞いていた配膳の少女が、目をぱちぱちさせる。たぶん便利の意味を考えているのだろう。だが口を挟まないあたり、最近は少し慣れてきたのかもしれない。


 席に着くと、椅子の脚の間から小さな影がのそのそと這い出してきた。女将の孫娘だ。眠そうな顔のままナタリアの膝へ頭を軽くぶつける。


「おねーたん」


「何かしら」


「きょう、どろ?」


「今日は泥じゃないわ」


「じゃあ、ぽんたもきれー?」


 その問いに、足元で丸くなっていたポンタが鼻を鳴らした。


「妾はいつも綺麗じゃ」


「うそ」


「うそではない」


「昨日ぬれてたもん」


「それは濡れておっただけじゃ」


 孫娘は納得したような、していないような顔で引き下がり、代わりにナタリアの手元を見た。


「きょう、どこいくの?」


「少し見てもらいに行くの」


「おいしゃさん?」


「それに近いところもあるわね」


 女将がスープ椀を置く。


「湯ももう少ししたら使えるよ」

「今日は装備も見る日なんだろう?」


「そこまで顔に出てるのね」


「顔というより、机の上の並べ方だね」

「昨夜、だいぶ整然と置いてたじゃないか」


 よく見ている。

 石樽亭の女将は必要以上に踏み込まない代わり、見ているところはきっちり見ている。


 朝食を終え、軽く湯を使って身体を流し、装備の泥と汗を大まかに落とす。フォルティウスは油を薄く引き直し、短剣は一度布で拭ってから鞘へ収める。長靴も縫い目の泥だけは落としておく。そうしてからギルドへ向かった。


 依頼を取るつもりはなくても、急ぎの指名が来ていないか、妙な飛び込みがないか、そのくらいは見ておいた方が落ち着く。切っていいものと、切らない方があとで楽なものがある。全部を閉じるほど、まだ自分は贅沢ではない。


 ギルドの扉を押すと、朝の空気がそのまま続いていた。

 依頼票の前には人がいる。

 窓口ではミリアが帳面を捌いている。

 奥にはバルド。

 見慣れた騒がしさだった。


 今日は票を取らないつもりで、ナタリアは掲示板の前を流し見るだけにとどめる。C、D、E、F。紙の列は変わらない。だが、自分がそこへ向ける視線の高さは変わった。前なら飛びついていた軽い討伐票を、いまは「戻りが早い」「後処理が少ない」といった別の角度で読んでいる。変わったのは紙ではなく、自分の方だ。


「休む気なのに来たの?」


 その声に振り向くと、レオナがいた。

 今日は戦装束ほど張り詰めていない。普段の冒険者姿ではあるが、肩の力が少し抜けている。掲示板の前で票を眺めていたらしい。


「来ないで面倒が溜まる方が嫌なの」


「休み方が不器用ね」


「そういう休み方なのよ」


 レオナは笑った。


「私も似たようなものだけど」


「大きい依頼は?」


「今日は入れてない」

「軽く顔を出して、なければ自分のものを見に行こうと思ってた」


「装備?」


「そう。剣帯と手袋、それと留め具の具合」

「あなたもそういう顔してるわね」


「鍛冶屋と雑貨屋」


「ちょうどいいじゃない」


 ちょうどいい。

 その言い方が、すでに一緒に回る前提の温度だった。以前なら一度考えたかもしれない。だが、今日はそのまま受けても違和感がない。


「そうね」


 ナタリアが答えると、レオナは少しだけ目を細めた。


「じゃあ、一緒に回る?」


「ええ」


「決まりね」


 足元でポンタがあくびをした。


「休みでも街を引き回されるの」


「貴方はついてくるのでしょう」


「当然じゃ」


「そういうとこだけ当然なのね」


 まず向かったのは鍛冶屋だった。


 表通りから一本入った細い通りにある店は、以前と変わらず熱と鉄の匂いを外へ漏らしていた。扉の前には金具と刃物の研ぎ具、脇にはまだ冷え切っていない鋼材。看板は地味だが、仕事の手は丁寧だと分かる。


 中へ入ると、炉の熱がまだ残っていた。昼前の時間帯で、今日は大物の打ち込みをひと段落させたところらしい。奥から親父が顔を出す。焼けた前掛けに煤、太い腕。相変わらず、店と同じ顔をしている。


「いらっしゃい」


 そう言いながら、まずナタリアの全身を見た。

 次にレオナ。

 最後にポンタ。

 そこで少しだけ眉が動く。


「今日は連れ付きか」


「たまたま一緒になったの」


「へえ」


 親父はそれ以上は聞かない。

 ただ、目の端でレオナの腰回りと立ち方を見た。武器を使う人間かどうか、そのくらいは一瞬で分かるのだろう。


 ナタリアは前に買った短剣を取り出してカウンターへ置いた。


「見てほしいのはこれと」


 続けて長靴も軽く持ち上げる。


「こっち」


 親父は短剣を手に取り、鞘から抜いて刃を見る。

 目の動きが少し変わった。


「ちゃんと使ってる傷だな」


 刃先を角度で確かめ、柄の収まりを指で押す。


「雑に殺してねえ」


「殺すためだけに使うことの方が少ないもの」


「そういう使い方してる顔だ」


 短剣を返される。

 次に長靴。

 親父は縫い目と底を一通り見て、踵の減り方を親指でなぞった。


「これはまだいける」

「ただ、ここが少し乾いてる」


「分かってたわ」


「なら話が早い」


 親父は店の隅から小さな油壺を持ってくる。


「今日の帰りに一度入れろ」

「濡れたあとすぐじゃなく、半日置いてからの方がいい」


「分かった」


「本当に分かってるやつは返事が軽いな」


「長くされても困るの」


 その返しに、親父は鼻で笑った。

 前よりだいぶ会話が速い。前に短剣と長靴を選んだ時より、互いに何を求めているかが分かるからだろう。客と店というより、使い手と直す側に近い。


 そこで親父の目が、ナタリアの腰の剣へ移った。


「で」


 短く言う。


「そっちの本命は何だ」


 ナタリアは一瞬だけ黙った。

 レオナが横で気配を立てずに見ている。

 親父の声に冗談はなかった。


 フォルティウスを外し、鞘ごとカウンターへ置く。

 親父はそれを見た瞬間、少しだけ口数が減った。


 まず柄。

 次に鍔。

 それから鞘の長さ。

 手を伸ばす前に、視線だけで分かることを先に読んでいる。


「抜くぞ」


「ええ」


 親父がゆっくり抜いた瞬間、店の空気が変わった。


 細い。

 だが細いだけではない。

 約三センチ幅の刃は、レイピア寄りの形をしているのに、ただの突き剣では終わらない厚みがある。軽すぎない。重すぎない。地金の詰まり方が違う。

 親父はそこで一度、刃を立てて光へかざした。


「……これ、誰の仕事だ」


 低い声だった。

 半ば独り言に近い。


 だが次の瞬間には自分で首を振る。


「いや、違うな」


 刃の中心を指の腹で確かめる。

 重心を小さく動かし、柄の収まりを見る。

 そして、家紋へ視線が止まる。


「誰が持ってた」


「母が若い頃に使っていたものよ」


 ナタリアがそう言うと、親父の目が一度だけこちらへ戻る。

 そこで初めて、剣と持ち手を同じ線の上へ置いたように見えた。


「そうか」


 それだけ言って、また剣へ視線を落とす。

 口数は減ったままだ。


 レオナも黙って見ていた。

 彼女がフォルティウスを見たことはある。だが、こうして鍛冶屋の目で見られるのを横で見るのは初めてだった。良い剣だという以上の空気が、そこにはたしかにあった。


 親父はしばらく何も言わず、鞘へ納め、ようやく口を開いた。


「下手にいじらん方がいい」


「そうでしょうね」


「そう思って来たのか」


「手を入れるとしたら、私の方だと思ったの」


 親父はそこで、ようやく少しだけ口の端を上げた。


「話が早いな」


 フォルティウスを返しながら、続ける。


「刃そのものに触る話じゃねえ」

「鞘の内側の湿り」

「柄の乾き」

「血や泥を入れたままにしない」

「そういう日々の方だ」


「刃が良いほど、そこを雑にすると死ぬ」


「分かってるわ」


「分かってる顔だな」


 親父は少しだけ目を細めた。


「嬢ちゃん」


「何」


「その剣、持ってるだけじゃねえな」


「使ってるわよ」


「見りゃ分かる」


 そこで、今度はレオナの方を見る。


「そっちは?」


 レオナが自分の剣へ手をかける。


「今日は見せるほどじゃないわ」

「でも留め具を少し見てもらいたい」


「見せろ」


 レオナの剣はフォルティウスほど異質ではない。だが、実戦の癖が素直に出ていた。真っすぐで、無駄がなく、前に立つ人間の削れ方をしている。親父はそちらも一通り見てから、柄巻きの締めと剣帯の重心だけ手を入れるよう勧めた。


「こっちは素直だな」

「流し方も真っすぐだ」


「そういう癖が出る?」


「出る」


 レオナは少し驚いたような顔をしたが、否定はしなかった。


 足元でポンタが、今度は鍛冶屋の床のど真ん中で胸を張っている。

 親父がそれに気づいて眉を寄せた。


「犬まで来るのか」


「犬ではない」


 ポンタが即座に言い返す。

 親父が目を剥いた。


「喋った」


「主の従魔じゃ」


「……今日はずいぶん面白え客が揃ってるな」


「面白いのは貴方の顔よ」


 ナタリアが言うと、親父は今度こそ大きく笑った。


 店を出ると、昼の光が一段明るく感じた。

 レオナが歩きながら横目で言う。


「あなた、こういう店でも空気を変えるのね」


「剣が変えたのよ」


「持ってる人込みででしょう」


「どうかしら」


「たぶんそう」


 レオナの言い方は軽かった。

 だが冗談だけでもない。鍛冶屋の親父が剣だけを見ていたわけではないのは、横で見ていても分かった。


 次に向かったのは、前に指輪を買った雑貨屋だった。

 表から見れば普通の店だ。紐、針、瓶、香草、保存袋、簡易な護符。だが、奥の棚には魔力を帯びた小物が静かに混じっている。


 鈴付きの扉を鳴らして入ると、奥から細い声がした。


「いらっしゃい」


 出てきたのは小柄な老婆。相変わらず腰は少し曲がっているのに、目だけはまっすぐだった。


「ああ」


 ナタリアの手元を一目見て、すぐに口元を緩める。


「使ってるね」


「ええ」


 言われる前に、ナタリアは指輪へ軽く触れた。

 ばーさんは最初からそこしか見ていなかったらしい。


「どうだい」


「強くはならない」

「でも無駄に減らない」


「そういうもんだ」


「地味だけど、長く動くと違うわ」


 ばーさんは満足そうに頷いた。


「派手に助けないものほど、ちゃんと分かるやつが持った方がいい」

「流し方も前より少しまとまってる」


 ナタリアはそこで少しだけ目を細めた。


「分かるの?」


「分かるとも」


 ばーさんは当然のように言う。


「最初に来た時より、切り方が少し素直になった」

「散るのを嫌って、締めるだけじゃなく、残し方も覚えかけてる」


 ナタリアは返事をしなかった。

 言われていることの意味が分からないわけではない。だが、そこへすぐ言葉を乗せる気にもならなかった。


「今日は何か買うのかい」


「今日は確認だけのつもり」


「ならちょうどいい」


 ばーさんの視線が、今度はレオナへ向く。


「そっちは連れかい」


「レオナよ」


「へえ。あんたは真っすぐだねえ」


 初対面の第一声がそれらしい。

 レオナが少しだけ首を傾げる。


「何が?」


「流し方さ」

「抑える方の小物より、逃がしすぎない留め具の方が合うかもしれないね」


 レオナは驚きより、納得の方が先に来た顔をした。


「そういうのも見えるのね」


「見えるよ」

「剣を振る人間は、持ち物より先に立ち方で分かる」


 それは鍛冶屋の親父と少し似ていた。見る場所は違うのに、どちらも“使う人間”を先に読む。


 ばーさんは棚の下から小さな留め具をいくつか出してきた。

 飾り気はない。だが手に取ると、どれも役目がはっきりしている。


「これは強めるんじゃない」

「抜けを減らす」

「真っすぐ流しすぎると、終わったあと空になるだろう?」


 レオナがそれを指先で確かめる。


「……あるわね」


「そういう顔だ」


 ナタリアが横で口元を緩めると、レオナが視線だけで返した。


「笑ってる?」


「少し」


「あなたも似たようなこと言われてたのに」


「私はもう一個買ってるもの」


「そういう理屈?」


「そういう理屈」


 足元でポンタが、今度は雑貨屋の棚をいかにも自分のものみたいな顔で見ている。

 ばーさんがそれに気づいて、少しだけ腰をかがめた。


「その子も変なのを連れてるねえ」


「犬ではない」


 またポンタが即答する。


「犬じゃないのかい」


「高位獣じゃ」


 ばーさんがくつくつ笑う。


「見た目はだいぶん下がったもんだ」


「いまは仕方ないの」


「口だけは元気だねえ」


「そこは落ちておらぬ」


「だろうねえ」


 気を悪くするでもなく受け流すあたり、ばーさんもだいぶ図太い。


 結局、ナタリアは指輪の調整について二、三言葉をもらい、レオナは留め具を一つ買うことにした。大きな買い物ではない。だが、使い方に対して手を入れるにはちょうどいい量だった。


 店を出ると、日が少し傾き始めていた。

 王都の通りは昼の騒がしさから夕方の忙しさへ移り始めている。二人と一頭で並んで歩くと、それなりに目立った。長身で、鍛えられていて、しかも二人とも胸元の厚みがある。視線を引かない方が難しい。だが、本人たちは装備と手入れの話ばかりしているので、妙な艶っぽさにはならない。それがかえって周囲には不思議に映るのかもしれなかった。


「さっきのばーさん」


 レオナが歩きながら言う。


「好き勝手言ってたようで、外してなかったわね」


「そうね」


「鍛冶屋も」


「ええ」


「あなた、こういうところをちゃんと繋ぎ直すのね」


 ナタリアは少し考えてから答える。


「道具って、買って終わりじゃないでしょう」


「そこはあなたらしいわ」


「褒めてる?」


「かなり」


 通りの角を曲がると、小さな酒場が見えた。

 夕方の一杯を早めに始める職人や荷運びがもう入っている。大騒ぎする店ではない。木の卓と薄い酒と、少しだけ脂のあるつまみ。休みの終わりに一息つくにはちょうどよかった。


「少し飲む?」


 レオナが言う。


「休みの締めとしては悪くないわね」


「じゃあ決まり」


 ポンタも当然のようについてくる。


「妾も」


「貴方は水よ」


「知っておる」


 店の隅の卓へ腰を下ろす。

 酒は軽いものを頼んだ。休みの日だからこそ、深く酔う必要はない。


 最初の一口を飲んで、ようやく今日一日が少しだけ沈む。

 戦闘帰りではない。

 それでも、動いた日の終わりにはこういう区切りが要るらしい。


「親父、面白かったわね」


 レオナが言う。


「フォルティウス見た瞬間に口が減った」


「減ったわね」


「あなた、ああいう時は得意そうにしないのね」


「得意になることでもないでしょう」


「でも嬉しくはあるんじゃない?」


 そこでナタリアは少しだけグラスを見た。


「……あの剣が軽く扱われないのは、悪くないわ」


「そういう言い方するところがあなたね」


「他にどう言うの」


「もっと素直に喜べばいいのに」


「難しいの」


 レオナはその返しに笑った。


「そういう難しさは分かる」


「本当に?」


「ええ」

「私だって、自分の剣を見て“良い”って言われるのは嬉しいもの」

「でも、その嬉しさをそのまま表に出すのは、少し違う気がする時がある」


「そういうこと」


 そこへポンタが卓の下からぼそりと言う。


「主は嬉しい時ほど面倒な言い方をするの」


「黙りなさい」


「事実じゃ」


「今日は特に口が滑るわね」


「休みの日じゃからの」


「理屈になってないのよ」


 酒場のざわめきは程よく周囲を埋めていた。

 聞こえすぎず、閉じすぎない。

 鍛冶屋の親父の手つき、ばーさんの目、レオナの留め具、指輪の具合。そんな話をゆるく回しながら飲んでいると、時間の進み方が少しだけ鈍くなる。


 しばらくしてレオナがグラスを置いた。


「次も、噛み合う依頼なら一緒でいいんじゃない?」


 言い方は軽い。

 だが軽すぎもしない。

 店の空気に乗せているぶん柔らかいが、内容はちゃんと仕事の話だ。


 ナタリアは一拍だけ考えた。

 この一か月ほどで、レオナと組むことは明らかに増えた。最初は偶然が続いているだけかと思っていた。だが、もうそれだけでもない。話が早い。視線の置き方が近い。自分が短く切ったものを、現場へ通る形へ整えるのも上手い。


「そうね」


 ナタリアはうなずいた。


「無理に外す理由もないわ」


 レオナが目を細める。


「じゃあ、次は見つけた方が声をかける」


「ええ。それでいいわ」


 それで十分だった。

 契約の形にするほど大げさではない。

 だが、曖昧に流すほど軽くもない。


 レオナがふっと笑う。


「休みのつもりだったのに、結局仕事の話ばかりね」


「私たち、たぶんそういう休み方なのよ」


「そうみたい」


 ポンタが卓の下から鼻を鳴らした。


「主らしいの」


 ナタリアは軽く足先でその背をつついた。


「貴方もずっとついてきてたでしょう」


「当然じゃ」


「では、主らしいのではなく、私たちらしいのではないか?」


 レオナがそう言って笑う。

 ナタリアは一瞬だけ口を閉じ、それから小さく息を吐いた。


「……そうかもしれないわね」


 酒場を出る頃には、王都の空は完全に夕色を落としていた。

 灯りのついた店が通りへ滲み始め、人の声も一段低くなる。


 帰り道の分かれ目で、レオナが立ち止まる。


「じゃあ、次は本当に声をかけるわよ」


「私もそうする」


「忘れないでね」


「たぶん大丈夫」


「たぶん?」


「あなたもそうでしょう」


 それにはレオナも否定しなかった。


「そうね」


 少しだけ笑って、レオナは自分の帰る方へ歩いていく。

 長い背が人混みへ少しずつ溶けていくのを見送り、ナタリアも石樽亭への道を取った。ポンタは当然のように足元についてくる。


「主よ」


「何」


「結局、休んだのかの」


 ナタリアは少しだけ考えてから答える。


「休んだわよ」


「そうかの」


「依頼は取ってないもの」


「仕事の話はしておったぞ」


「そういう休み方なの」


 石樽亭の灯りが見えてきた。

 依頼は取らなかった。

 それでも、剣も小物も、人との繋がりも、明日からまた持ち出せる形にはなった。

 悪くない一日だった。


 扉を押す前に、ナタリアは一度だけフォルティウスの柄へ触れた。

 親父の手の重みが、まだ少しだけ残っている気がした。


 そのまま石樽亭へ入り、いつもの夜の匂いの中へ戻っていった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ