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断罪された侯爵令嬢は、戦場で完成した。なお中身はおっさんである  作者: 月白ふゆ


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第28話 人手不足につき

 その朝のギルドは、いつもより少しだけ空気が重かった。


 重いといっても、沈んでいるわけではない。

 朝から酒を飲んでいる連中は相変わらず笑っているし、依頼票の前ではいつものように小競り合いに近い押し合いがある。けれど、そのざわめきの底に、少しだけ急ぎの仕事が溜まっている感じがした。紙の山と、人の足りなさと、誰をどこへ回すかの判断が、いつもより一段きつい時の空気だ。


 ナタリアは依頼票の前で立ち止まり、いつものように視線を滑らせた。

 軽いF、日常のE、少し面倒なD。まだ午前も早い。今日は何を回すか。そう考えたところで、足元からポンタが鼻を鳴らした。


「今日は少し慌ただしいの」


「そうみたいね」


「主の好きそうな空気じゃ」


「好きって言い方はやめて」

「面倒の種類が分かりやすいだけよ」


 ポンタは仔犬めいた見た目のくせに、妙に納得したように目を細める。最近はこういうやり取りにも慣れてきた。ギルドの連中も、最初ほどぎょっとはしない。まだ見る者は見るが、いちいち止まるほどではない。その程度には、ポンタが喋る従魔であることは日常へ入り始めていた。


 少し離れた掲示板の前にはレオナがいた。

 今日も長身が目立つ。冒険者らしい軽装の上からでも分かる、鍛えた身体の線。元騎士らしい立ち方は相変わらずだが、以前より少しだけギルドの空気に馴染んで見える。


 柱の近くにはガレス。

 いつも通り、やる気があるのかないのか判別しづらい顔で壁にもたれている。だが、ああいう人間ほど呼ばれた時は早いことを、ナタリアもなんとなく知り始めていた。


 受付から、ミリアの声が飛ぶ。


「ナタリアさん」


 珍しく少し大きめの声だった。

 ナタリアがそちらを見ると、ミリアはすでにこちらだけではなく、レオナとガレスにも視線を送っていた。


「レオナさん、ガレスさんも」


 その呼び方で、周囲の空気が一段だけ変わる。

 軽い話ではない、と誰にでも分かる呼び方だった。


 レオナが掲示板から離れ、ガレスも壁から背を離す。

 ナタリアは依頼票から視線を切って歩き出した。足元でポンタが当然のようについてくる。


「また面倒が来たの」


 ポンタが楽しそうに言う。


「そうね」


「主は嫌そうな顔をせぬ」


「嫌でも面倒でも、来るものは来るもの」


「それを世では好きというのではないか」


「違うわよ」


 奥の机のところで待っていたバルドは、三人が揃ったのを確認すると、前置きなしに口を開いた。


「人が足りねえ」


 短い。

 だが、それで十分だった。


 ナタリアは特に驚かなかった。

 レオナは少しだけ眉を上げた。

 ガレスは「やっぱりな」という顔をした。


 バルドは続ける。


「本来ならCで回す案件が一件ある」

「だが、今動けるCが足りねえ」


 そこで、親指でガレスを示した。


「格で言や、頭はガレスだ」

「あいつはC」

「レオナとナタリアはDだが、今なら仕事にはなる」


 ナタリアはそこで初めてガレスを見た。

 見た、というより、見直した。


「あなた、Cだったのね」


 ガレスが口の端だけで笑う。


「悪いかよ」


「悪くはないけれど」


 ナタリアは少しだけ首を傾けた。


「そして初めて仕事するところを見るわね」


 その一言に、レオナがふっと息を漏らした。

 笑ったのだろう。

 ガレスは肩をすくめる。


「そりゃ、仕事してねえ時しか見てねえからな」


「柱にもたれてるところはよく見たわ」


「そこばっか見てりゃ、そうなる」


 レオナが横から口を挟む。


「私もちゃんとは見ていないわね」


「少し楽しみだわ」


「見世物じゃねえぞ」


「そういう顔してる時が一番、ちょっと見たいのよ」


 レオナの返しに、ガレスが面倒そうな顔をした。

 だが完全には嫌がっていない。その辺の空気の緩さが、いかにも現場の人間らしい。


 バルドが机を指で叩く。


「そこはあとだ」


 三人の視線が戻る。

 バルドは紙を一枚引き寄せた。


「近くの村だ」

「山肌に小さめの洞窟がある」

「そこへゴブリンが住み着いた」


 レオナの顔から少しだけ笑いが消える。

 ガレスも腕を組み直した。

 ナタリアは何も言わずに聞く。


「家畜をちょこちょこやられてる」

「畑も荒れてきた」

「まだ死人は出てねえ」

「だが、このまま置いとくと群れが安定する」


 紙の上へ、バルドの指が二度ほど軽く当たる。


「問題は洞窟だ」

「外で潰せるなら楽だが、もう出入りが固定されてる」

「中へ入る」

「だから、減らすんじゃ足りねえ」


 そこで少しだけ声が低くなる。


「潰し切れ」


 その言い方で、案件の性質がはっきりした。

 ただの数減らしではない。

 逃げられる前に抜けを押さえ、残りも潰し、定着を断つ。そういう仕事だ。


 ナタリアは頭の中で、すぐに幾つかの線を引いた。

 洞窟。

 狭い。

 暗い。

 抜け道があるかもしれない。

 数が読めない。

 逃がせば村側へ散る。


 そして三人。


 ガレスがC。

 つまりギルドとしては、この中で一段上の格と経験を持つ。

 レオナはDだが、質は高い。型がある。現場の動きも悪くない。

 自分はD。単独処理は積んだ。だが三人でC案件は初めてだ。


 バルドが視線をこちらへ移した。


「ついでにナタリア」


「お前のチーム適性も見る」


 予想していたような、していなかったような一言だった。

 ナタリアはわずかに目を細める。


「ついで、ね」


「主目的は案件処理だ」


「でしょうね」


「一人で強いのはもう分かってる」

「混ぜて壊れるなら意味がねえ」


 その言葉は、妙にまっすぐだった。

 嫌味ではない。持ち上げでもない。

 ただの事実として置かれている。


 ナタリアは少しだけ息を吐いた。

 なるほど。

 見られるのは強さではなく、混ざった時にどうなるか。

 それはたしかに、自分でもまだよく知らない。


 レオナが腕を組みながら言った。


「洞窟掃討を即席編成に振るのね」


「人手不足って便利な言葉だわ」


 バルドは肩をすくめる。


「便利だから使ってる」


 ガレスが鼻を鳴らした。


「嫌な集められ方だな」


「嫌なら帰るか?」


「帰らねえよ」


「なら仕事しろ」


 短いやり取りだったが、それで十分だった。

 逃げ場を探す会話ではない。重さを確認するための軽口に近い。


 ポンタが足元から見上げる。


「妾はどうする」


 バルドが目だけを下げる。


「索敵はそのまま使え」


「ただし、本体頼みで崩すな」

「洞窟で高位獣に全部任せる気はねえ」


 ポンタは少しだけ不満げに耳を動かした。


「犬のように扱うの」


「喋る犬より面倒くせえ高位獣だろ、お前は」


 ガレスがぼそりと言うと、ポンタは青い目を細めた。


「妾は犬ではない」


「そこだけは全員知ってる」


 レオナが笑う。

 それで少しだけ空気が緩む。

 だが緩みすぎない。案件の重さが先にあるからだ。


 バルドは最後に仮の役割だけ置いた。


「格で言や、前の軸はガレスだ」

「レオナは横を埋めろ」

「ナタリアは、先を見すぎるなら抑えろ」


 最後の一言に、ナタリアは少しだけ眉を動かした。

 見られている。

 単独の時は“先が見える”で済んだ。

 混ざるなら、それが独走にもなる。そういうことだ。


「役割を切ればいいのでしょう」


 ナタリアが言うと、バルドは短く頷く。


「切れるならな」


 その言葉で話は終わった。

 余計な鼓舞も、無駄な確認もない。

 現場へ出る前の話としては十分だった。


 三人と一頭でギルドを出る。

 外へ出た瞬間、朝の光が少しだけ強くなっていた。


 並びは自然と決まった。

 前を取るわけでも、誰かが先導を主張するわけでもない。

 ただ、ガレスが少しだけ先へ出て、レオナが横、ナタリアは一歩後ろの位置を取る。

 様子見としては悪くない並びだった。


 歩き出してすぐ、ガレスが横目だけで言った。


「で、喋る従魔付きのお嬢さんは洞窟戦いけるのか」


「行けるわよ」


「即答だな」


「行けないなら受けないわ」


 ポンタがその横で鼻を鳴らす。


「主を舐めるでない」


「お前の方が偉そうだな」


「事実を述べておる」


 レオナが少しだけ笑った。


「賑やかな洞窟になりそうね」


「最悪だな」


 ガレスがそう返しながらも、歩幅は乱れない。

 軽口の最中でも、道と周囲を見ているのが分かった。

 そういう意味では、もう少し雑な男を想像していたのかもしれない。


 レオナがガレスへ目をやる。


「洞窟戦は慣れてるの?」


「嫌いじゃねえ」


「広いとこより?」


「広いとこは逃げる余地が多い」

「狭いとこは、誤魔化しが利かねえ」


 その言い方に、ナタリアは少しだけ視線を動かした。

 なるほど、と思う。

 ただ場数を踏んだだけでは出てこない言葉だ。狭い戦場の嫌さを分かっている人間の言い方だった。


「あなた、雑そうに見えて、ちゃんと考えてるのね」


 ナタリアが言うと、ガレスは面倒そうな顔をした。


「お前、どれだけ低く見積もってたんだ」


「柱にもたれてる印象が強かったのよ」


「そこから離れりゃ、少しは働いて見えるだろ」


「今日初めて見るわ」


 レオナがそこへ自然に入る。


「私もよ」


「二人がかりで何だその言い方は」


「事実でしょう」


「事実ね」


 ガレスは溜息をついた。

 だがその反応も、思ったよりずっと軽い。

 いじられること自体に慣れているのか、それとも今日はそれどころではないのか。たぶん両方だろう。


 村までの道中は、途中からだんだん人の気配が薄くなった。

 王都の外縁を抜け、畑が増え、土の匂いが濃くなる。山が少しずつ近づき、風も乾く。村へ入る前から、空気に警戒が混じり始めていた。


 その時だった。


 ポンタがふいに足を止めた。

 鼻先が右手の低い草むらへ向く。耳がぴんと立ち、尻尾がぴたりと止まる。


「前じゃ」


 低い声だった。


「小さいのが三つ。草の陰」


 その一言で、三人の歩みが同時に変わった。


 ガレスがまず半歩前へ出る。

 ただ前へ出るだけではない。草むらに対して真正面ではなく、少しだけ左へずらした位置だ。逃げるならこっち、という筋を最初から切っている。


 レオナは反対側へ静かに回る。

 抜刀の音が短く鳴る。

 ナタリアは一歩遅らせて全体を見る位置へ入った。

 もうその時点で、誰も「行く」とは言わない。言うまでもないからだ。


 草が揺れた。

 次の瞬間、飛び出してきたのはゴブリンだった。


 小さい。

 だが明らかに村近くまで出張ってきている個体だ。粗末な刃物を持ち、こちらを見た瞬間に一度止まり、それから左右へ散ろうとした。


「外まで来てるのね」


 ナタリアが言うと同時に、ガレスが動いた。


 速い。

 しかも無駄がない。


 真正面へ切り込むのではなく、逃げ道へ体を置いて押し返すように剣を振る。ゴブリン一体の腕ごと武器を弾き、そのまま肩口へ浅く入れて体勢を崩す。倒し切る前に、さらに半歩。

 逃げを切る動きだ。


 レオナは右へ散った個体へ迷いなく追いついた。

 騎士の型がそのまま狭い戦場向きに圧縮されたみたいな動きだった。見た目は綺麗。だが綺麗なだけではない。突きが短く鋭く入り、ゴブリンの喉を正確に貫く。


 残る一体は、一番奥へ逃げようとした。

 ナタリアはそれを見てから動く。

 焦らない。

 ガレスとレオナの間で抜ける位置を一拍で読む。

 斜めに踏み込み、切っ先ではなく体ごと先へ入る。道を切るのは剣ではなく、自分の位置だ。


 ゴブリンがぎょっとした顔を上げる。

 その一瞬で十分だった。

 フォルティウスが薄く光り、首筋を裂く。派手な魔力は要らない。これで足りる。


 静かになった。


 ほんの数呼吸の短い戦闘だった。

 だが軽くはない。

 洞窟へ入る前に、もう群れの斥候が外へ触れている。そこが重かった。


 ガレスが倒れた一体を靴先で返しながら言う。


「思ったより近いな」


「ええ」


 ナタリアも同意した。


「もう外へ触れてる」


 レオナが周囲の草を見回す。


「様子見というより、警戒線を伸ばしてる感じね」


「洞窟の中だけの問題じゃないってことだ」


 ガレスの返しは短い。

 でも、そこに迷いはなかった。

 現場の見方が速い。小競り合い一つで、それがだいぶはっきりした。


 ナタリアは視線だけを横へ向けた。


「なるほど」


「何がだよ」


「Cらしい動き方するのね」


 ガレスが眉をひそめる。


「褒めてんのか貶してんのか分からねえな」


「見て確認してるのよ」


「面倒くせえ」


「お互い様でしょう」


 レオナが息を漏らして笑う。


「こういう小さい戦いで分かることってあるわね」


「あるな」


 ガレスはそれだけ言って、もう歩き出していた。

 仕事の切り替えも早い。いちいち戦闘の余韻へ浸らない。そこもまた、現場慣れしている人間の動きだった。


 ナタリアも後へ続く。

 頭の中では、さっきの数呼吸ぶんの戦闘がもう整理されている。


 ガレスは前で止めるのが上手い。

 力で押すだけではなく、抜けを切る位置取りが先にある。

 レオナは型が綺麗なぶん、予備動作が読みやすそうに見えて、実際は必要な最短しか出さない。

 自分は、その二人の動きが作る隙間と抜けを見て切る方が早そうだ。


 そしてポンタ。

 やはり索敵が効く。しかも早すぎず遅すぎず、ちょうど判断へ乗るタイミングで投げてくる。その辺が腹立たしいくらい使える。


「主、見すぎじゃ」


 ポンタがぼそりと言う。


「仕事中よ」


「頭の中で切り回し始めておる」


「ええ」


「細かいの」


「貴方にだけは言われたくないわ」


 村へ着く頃には、空気がさらに変わった。

 依頼票の字面より、生の顔の方が重い。


 家畜囲いの補強。

 昼なのに締めたままの戸。

 子どもを家の中へ寄せる動き。

 依頼票の字面より、現場の顔の方がずっと重い。


 村長格の男が出迎えた時も、最初に見たのはナタリアではなく、ガレスだった。

 Cの気配というより、“慣れてそうな男”へ視線が向くのだろう。だがそこへレオナの長身と、ナタリアの異様に整った顔立ちと、ポンタまで揃うと、村人の方が少し戸惑った顔になる。


「……あんたらが」


「依頼を受けた」


 ガレスが短く言う。


「状況を見せろ」


 そこに無駄がない。

 いきなり安心させようとしない。まず見る。

 その姿勢だけで、村長格の男も少しだけ落ち着いたように見えた。


 案内されながら、ナタリアは被害の痕を見ていく。

 家畜囲いの板が内側ではなく外側へ割れている。

 畑の一部が踏み荒らされ、掘り返された跡がある。

 小さい足跡。

 数は読みにくい。

 だが、すでに“通ってくる”ではなく“生活圏に触れ始めている”段階だ。


「思ったより近いわね」


 ナタリアが言うと、村長格の男が苦い顔をした。


「山の中だけで済んでりゃ、まだ……」


「済んでないから呼んだのでしょう」


「まあ、そうだ」


 ガレスは足元の土を見て、すぐに山の方へ視線を上げた。


「抜けがあるな」


 村長格の男が頷く。


「洞窟の口は一つに見えるんだが」

「裏に細い獣道みてえなのがある」


「見たのか」


「見た奴はいる」

「だが、深入りはしてねえ」


「それでいい」


 ガレスの返しは迷わない。

 ナタリアはそれを横で聞きながら、また少し認識を改める。

 村人の言葉の取り方が早い。余計な勇ましさがない。現場の重さを分かっている。


 山肌に口を開けた洞窟は、村から思ったより近かった。

 近すぎる、と言ってもいい。

 昼だというのに口の奥は暗く、周囲の草は踏み荒らされ、小さな骨が二、三転がっている。臭いもある。土と獣と、汚れた鉄みたいな臭い。


 ここでようやく、三人が揃って足を止めた。


 レオナが最初に低く言う。


「嫌な位置ね」


「ええ」


 ナタリアも同意する。

 村が近い。

 逃がすと散る。

 洞窟の口は一つに見えて、裏抜けの可能性あり。

 数の読み違いが面倒になる位置だ。


 ガレスはしばらく洞窟の周囲を見てから、短く息を吐いた。


「なるほどな」


「確かに減らすんじゃ足りねえ」


 バルドの言葉が、そのまま現場の形を取っていた。


 ポンタが低く鼻を鳴らす。

 仔犬めいた姿のまま、青い目だけが暗がりを見ていた。


「おるの」


 その一言で、洞窟の口がさらに黒く見えた。


 ナタリアは手をフォルティウスの柄へ置く。

 レオナは剣の位置を直す。

 ガレスは一歩前へ出る。


 まだ突入はしない。

 だが、もう次に何をするかは分かっていた。


 ここからは、減らすのではなく、潰し切る仕事になる。

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