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断罪された侯爵令嬢は、戦場で完成した。なお中身はおっさんである  作者: 月白ふゆ


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22/40

第22話 元騎士レオナ

 朝の石樽亭は、今日も変わらず生活の音で満ちていた。


 鍋の蓋が鳴る音。

 水桶を動かす音。

 まだ完全には覚醒しきっていない子どもの足音。

 そういう、どこにでもある音の中に、昨日までとは少しだけ違うものが混じっている。


 布を敷いた隅で丸くなっていた灰銀の子獣――ポンタが、もう明らかに“死にかけ”ではなくなっていた。


 呼吸は深く、目はちゃんと開いている。毒に侵されて濁っていた毛並みも、洗ってはいないのに少しだけ本来の艶を取り戻していた。まだ小さい。仔犬と言われればそう見えるくらいの大きさだ。だが、昨日よりもはっきりと分かる。これは犬ではない。少なくとも、普通の犬ではない。


 ナタリアは髪をまとめながら、その青い目と視線を合わせた。


「今日は戻りが遅くなるわ」


 ポンタはそこで耳をぴくりと動かした。

 ただ音に反応しただけ、ではない。言葉の向こうにある意図を拾おうとする時の反応だ。まだ喋りはしない。だが、分かっている顔をする。


「ここでおとなしくしていなさい」


 今度は少しだけ鼻を鳴らした。

 不服そうで、でも否定ではない。

 それを見て、ナタリアは小さく息を吐く。


「本当に、変な子ね」


 そう言いながら頭をくしゃりと雑に撫でる。

 藤堂だった頃に飼っていた犬を思い出して、昨日の朝に何となく付けた名前が、もうずっと前からそう呼んでいたみたいに馴染み始めていた。


「あー……お前、今日は留守番よ、ポンタ」


 その言い方があまりにも雑だったので、自分でも少しだけ可笑しかった。

 でもポンタは文句も言わない。耳を伏せ、目を細め、その手を受け入れる。


 一階へ下りると、女将が鍋の中身を見ながらこちらへ目を向けた。


「今日は少し早いね」


「同行護衛だから」


「隣街かい」


「ええ」


 そう答えると、椅子の下から女将の孫娘が這い出してきた。眠そうな顔だったのに、ポンタを見るなりすぐに目が丸くなる。


「ぽんた、おきてる!」


「起きてるわよ」


「きょうもわたしがみる!」


 女将が苦笑する。


「見るのはいいけど、あんたは見られる方だろうに」


「みるもん!」


 ナタリアは席へ着き、出された黒パンとスープへ手を伸ばした。

 その間にも孫娘はポンタのそばを離れない。近づきすぎると女将に叱られるからか、一定の距離は守るのに、ずっと目は向けている。


 ポンタの方も、意外なほど落ち着いていた。小さい子どもが近くでわちゃわちゃしていれば普通の子犬なら落ち着かない。だが、あれは最初から少し違う。嫌がるでもなく、無関心でもなく、妙に観察している。


「今日は連れていかないんだろう?」


 下働きの少年が桶を持ったまま言う。


「まさか」


 ナタリアは即答した。


「やっと死なないところまで戻しただけよ。今日みたいな日に連れ回してどうするの」


「そりゃそうだ」


「仕事なら置いてきな」


 女将が言う。

 短い言葉だが、それで十分だった。

 石樽亭は、もうナタリアの“戻る場所”として機能している。そこへポンタも入ってきてしまっただけのことだ。


「戻るまで見ててあげる」


 孫娘が真顔で言う。

 それが頼もしいのか不安なのかは分からないが、少なくとも気持ちは本物だ。


「暴れたら呼びなさい」


「ぽんた、あばれないよ」


 その断言に、ナタリアはポンタへ目をやる。

 ポンタはやっぱり、分かっているような顔をしている。


「……そういうの、あとで困るのよ」


 誰に向けた文句でもないそれをこぼし、スープを飲み干した。


 ギルドへ向かう王都の朝は、もうかなり動いていた。

 パンを焼く匂い。

 荷を運ぶ車輪。

 水を撒く音。

 石畳を踏む靴の数。

 その中を歩くナタリアの背筋は自然と伸びる。

 今日は単独ではない。同行だ。相手がどんな人間かはまだ分からない。だがミリアの口振りからして、少なくとも雑な相手ではなさそうだった。


 ギルドへ入ると、受付のミリアがすぐに気づいた。

 机の上には、すでに一枚の依頼票と簡単な同行記録が置かれている。


「おはようございます」


「おはよう」


「今日は単独ではなく同行です」


「聞いてるわ」


「隣街のエスベルまで、小規模輸送の護衛」

「依頼主は薬材商の一団で、最近は街道筋で小さな襲撃が増えているので、護衛を増やしたいと」


「それで相方がいる」


「はい」


 ミリアが少しだけ視線を動かす。


「もう来ています」


 その言葉に釣られるように、ナタリアも入口側へ目を向けた。


 立っていた女を見た瞬間、少しだけ空気が変わるのが分かった。


 長身。

 まずそこが目に入る。

 しかも細いのではなく、鍛えた体のまま女でいる人間特有の厚みがある。肩の線はすっきりしているのに、腕には隠しきれない筋があり、胸の重みが鎧の上からでもはっきり分かる。歩幅が広く、立っているだけで重心が低い。


 元騎士、と聞いていた。

 なるほど、とナタリアは一目で思う。


 動いていないのに、型が残っている。

 無駄な力みがない。

 足の置き方ひとつ、視線の走らせ方ひとつに、教練で作られた基礎が残っている。

 けれど同時に、儀礼用の堅さは薄い。

 立ち方が、きれいすぎない。


 レオナ・ヴァレントは、ナタリアが見ていることを最初から分かっている顔で、わずかに顎を引いた。


「初めまして、でいいのかしら」


 声は低すぎず高すぎず、よく通る。

 女騎士、という言葉から連想されるような芝居がかった硬さはない。


「そうね」


 ナタリアも同じように相手を見る。

 肩、腰、剣帯、靴、手の癖。

 すべてが“現場で戦う女”のそれだった。


「ナタリア・ヴォルディアよ」


「レオナ・ヴァレント」


 そこまで交わした時点で、後ろにいた依頼主の男が露骨に視線をさまよわせた。

 気持ちは分かる。

 長身の女が二人。

 しかもどちらも、目を引く胸の厚みを持ちながら、歩き方にも立ち方にも揺らぎがない。

 綺麗だとか大きいだとか、そういう感想の前に“ただ者ではない”が来る並びだった。


 御者役らしい若い男が、依頼主へ小声で言った。


「……すげえな」


「見れば分かるから言うな」


「でも、何か……」


「分かってる」


 全部聞こえている。

 だがナタリアもレオナも、その程度では眉ひとつ動かさない。


「出る前に荷を見るわ」


 ナタリアが言うと、レオナはすぐに頷いた。


「そうして」


 荷車は二台。

 一台は薬草と乾燥材。

 もう一台は瓶物と布包み。

 数は多くないが、壊れると面倒なものが多い。


 ナタリアは荷を見ながら、同時に街道の入口側も見ていた。

 それをレオナが横目で拾う。


「何を見てるの?」


「積み方と、退路と、横の死角」


「会話しながら?」


「会話は会話でしょう」


 さらりと返されて、レオナはわずかに口元を動かした。

 噂は聞いていた。強い。速い。変わっている。

 だが実際に会ってみると、違和感の質が噂よりもっと厄介だ。

 話をしている顔で、別の何かを同時に処理している。


 馬車が動き出す。

 王都を抜け、隣街エスベルへ向かう街道へ出る。

 まだ日は高く、道行きは穏やかに見えた。

 だが穏やかに見えることと安全であることは同じではない。


 レオナが先に口を開いた。


「ミリアから話は聞いてる」


「どの程度?」


「この前、確認依頼の先でC相当を止めたこと」

「報告書を書いてギルマスを刺したこと」

「あと、地味な依頼ほど名前が通ってること」


「よく回る受付ね」


「まあね」


 少し間があってから、レオナは続けた。


「でも噂は噂だから、半分しか当てにしてない」


「正しいわ」


「で、残り半分を見ようとしてる」


 ナタリアはそこで初めて少しだけ笑いそうになった。


「そういうの、嫌いじゃないわ」


 言いながらも視線は街道脇へ向いている。

 草の倒れ方。

 車輪痕の重なり。

 鳥の飛び方。

 人の気配があるなら、まず自然の方がずれる。


「何かいる?」


 レオナが気づく。


「まだ“いる”まではいかないわね」

「でも、見られてる感じはある」


「同じ感覚」


 レオナの声が少し低くなる。

 やはり、この女は見る場所が近い。


 御者へ近づき、ナタリアは短く言った。


「速度は落とさないで」

「でも道の真ん中は少し空けて」


 御者は一瞬だけきょとんとしたが、ナタリアの声には迷いがない。

 現場で通る言葉というのは、何も荒っぽさのことではない。

 誰が何をすればいいか、そのまま分かる言葉のことだ。


「左の車輪、溝へ寄せすぎないで」


「へ、へい」


「荷の紐、一本だけ締め直して」

「そっち。いま」


 依頼主の若い男が慌てて動く。

 レオナはそれを見ながら、ナタリアの言葉が不思議なくらい素直に通ることに気づいていた。

 命令口調ではない。

 だが逆らいにくいのではなく、単純に“そうした方がいい”とそのまま分かる。


 街道の幅が少しだけ狭くなる。

 脇の低木が増える。

 荷車の死角が深くなる。


「来るわね」


 ナタリアが言ったのと、低木の中から男が飛び出したのはほとんど同時だった。


 前を塞ぐ役が一人。

 御者を狙う動きが一人。

 左の草むらから回り込む気配が一人。

 さらに後ろで退路を見ているのが一人。


 野盗だ。

 しかも脅しではなく、最初から傷つける気で来ている。


 前へ飛び出した男が、いかにも脅し文句を吐こうと口を開きかける。

 だが、その刃が御者の喉を見ている時点で十分だった。


 脅しではない。

 なら、こちらも脅しで返す意味はない。


 ナタリアの踏み込みは、その判定と同時に終わっていた。


 一人目の喉元へ入る。

 刃は迷わない。

 男の口から言葉になる前の空気だけが漏れ、血が遅れて出る。

 倒れる。


 そこで場の空気が一気に変わった。

 女だとか、綺麗だとか、そういう軽い見積もりが一瞬で吹き飛ぶ。


「左、御者へ行く」


 短い言葉。

 レオナは考える前に動いていた。


「分かった」


 回り込んできた男の足を斬る。

 御者の背へ回る前に止める。

 同時にナタリアは二人目へ向き直る。


 野盗の一人がようやく叫ぶ。


「こいつ、最初から殺る気――」


 最後まで言わせる意味がなかった。

 ナタリアは踏み込みを変えず、そのまま胸元へ一線。

 男がのけ反る。

 そこで終わらない。

 横から来る刃を感じた瞬間、剣の角度を変え、払って、次の足運びで退路を見る男との線を切る。


「荷を切らせないで」


 誰に向けたともなく言ったが、レオナには通る。


「前はあなたがやるのね」


「ええ」


 短い。

 だがそれで十分だった。


 退路を見る役だった男は、もう逃げる算段に入っている。

 その判断は悪くない。

 だが逃がす理由がない。


 ナタリアは半歩だけ角度を変える。

 逃げ道へ入る足の置き方が見える。

 人は逃げる時、正しい道より知っている道へ足を出す。

 その癖は野盗崩れも同じだ。


「そこじゃない」


 呟くように言って、先に入る。

 男の目が見開かれた時には遅い。

 胸を裂く必要はない。動きを止めればいい。

 腿を切る。

 崩れたところへ肩で押し、地面へ落とす。

 刃を下ろす。


 終わった。


 全部で、ほんの短い時間だった。

 だが依頼主と御者には、たぶんずっと長く見えただろう。

 長身の女が二人並んでいたはずなのに、次の瞬間には血のついた剣を持って立っている。しかも動きがまったく淀まない。


 レオナが血を払う。

 ナタリアも同じように刃を軽く振る。


 大仰な余韻はない。

 仕事の途中で、片づけるべきものを片づけただけだ。


「怪我は?」


 ナタリアは振り返って依頼主へ訊く。


「あ、ああ……ない」


「御者は?」


「だ、大丈夫です」


「荷は?」


 レオナが代わりに確認する。

 この短さがいい。

 誰がどこを見るか、いちいち相談しなくても合う。


 依頼主の男がようやく息をついた。


「……何なんだ、あんたら」


「護衛でしょう」


 ナタリアは淡々と答える。


 それ以上の説明は必要ない。

 必要ならまた動く。

 その空気があるから、周囲も無駄に騒がない。


 再び街道を進み出してから、レオナが横で言った。


「あなた、人を斬るのに迷いがないのね」


 ナタリアは前を見たまま答える。


「迷っていい相手なら、そもそも斬っていないわ」


「そう」


「脅しだけなら、別のやり方もあるでしょう」

「でも最初から御者の喉を見ていたもの。あれは切る相手よ」


 レオナはそこで少しだけ沈黙した。

 分かる。

 分かるからこそ軽くは返せない。


 自分も切る側だ。

 人を斬る判断の重さくらいは知っている。

 だが、目の前のこの女は、その判断の置き方が異常に速い。

 しかも早いだけではない。

 順番が正しい。


「あなた、何を見てその順で動いてるの?」


 ようやく、さっきから喉元に引っかかっていた問いをそのまま出した。


 ナタリアは少し考えるように目を細め、それから答える。


「崩れる場所よ」


「崩れる場所」


「人と荷と道と退路」

「どこが切れると全部駄目になるか、先にそこを見るの」

「そこが見えていれば、切る順番は自然に決まるでしょう」


 言っていることは簡単なのに、実際にできる人間が少ない。

 レオナはそれを知っている。


「……話してる顔で、別のことも考えてるでしょう、あなた」


「考えてるわね」


「平然と認めるの」


「だってそうだもの」


 そこで初めて、レオナは少しだけ笑った。


「変な女」


「お互い様でしょう」


 隣街エスベルへ着く頃には、依頼主の男は最初よりずっと口数が減っていた。

 怖がっているのではない。

 むしろ妙な敬意が混じっている。

 護衛対象から見ると、一度自分のために人を斬った相手へ向ける感情は単純ではないのだろう。


 荷を受け渡し、確認印をもらい、帰路へ入る。

 行きより空気は軽い。

 だが、レオナとナタリアの間には、行きにはなかったものが一つ増えていた。

 互いの仕事の質を、少なくとも一度は目で見た、という事実だ。


「騎士団上がりにしては、やけに自由だと思ったわ」


 帰り道の途中で、ナタリアがふっと言った。


 レオナは少し肩を竦める。


「合わなかったの」


「騎士団が?」


「そう」

「型は嫌いじゃないわ。むしろ好きよ」

「でも、中身まで固くなるのは無理だった」


 その答えに、ナタリアは小さく頷いた。

 よく分かる、とは言わない。

 だが理解はできる。


「だから辞めた?」


「だから辞めた」

「残って上に噛みつくより、外に出た方が早かった」


「合理的ね」


「あなたに言われると、だいたい褒め言葉に聞こえるわ」


「褒めてるのよ」


 レオナが横目で見る。

 その視線が、最初より少し柔らかくなっていた。


 ギルドへ戻ると、ミリアが記録簿を開いて待っていた。

 完了報告は短い。

 荷は無事。

 野盗四。

 依頼主・御者とも怪我なし。

 街道筋はしばらく見張りを置いた方がいい。

 その程度で足りる。


 報告を聞いたバルドが奥から出てきて、一通り確認したあと、依頼主へ向かって「問題ない」とだけ言った。

 依頼主が深々と頭を下げ、それで一仕事が終わる。


 そのあと、レオナがごく自然な顔で言った。


「一杯くらい付き合う?」


 大げさな誘いではない。

 仕事終わりに喉を湿らせる程度の軽さだ。


 ナタリアは少しだけ考えてから頷いた。


「一杯だけなら」


 ギルド近くの小さな店だった。

 酒場というより、軽く飲んで少しつまめる場所。

 人の声はあるが、うるさすぎない。

 こういう店を選ぶあたりも、レオナが現場寄りだと分かる。


 二人で腰を下ろすと、それだけで周囲の視線が少しだけ集まった。

 長身の巨乳美人が二人。

 しかも片方は静止時は令嬢そのもの、もう片方は元騎士と分かる張りのある体。

 並んで歩いていた時と同じで、目を引く。

 だが色気より先に圧がある。

 綺麗なのに、軽々しく声をかける気にはなれない並びだった。


 杯が置かれる。

 レオナはためらいなく一口飲み、肩を少しだけ落とした。


「やっぱり、終わった後の一口は違うわね」


「分かるわ」


 ナタリアも口を湿らせる程度に含む。

 強い酒ではない。

 けれど、喉の奥へ落ちる熱が一日の終わりをはっきりさせる。


「今日、ずいぶん見られてたわよ」


 レオナが半ば冗談めかして言う。


「長身の女が二人並んでいたもの」


「それだけじゃないでしょう」


「そうかしら」


「分かってて言ってる顔ね」


 ナタリアは肩を竦める。


「あなたも、ずいぶん目立つもの」


 レオナはそこで少しだけ目を細めた。

 褒められたというより、観察されたと感じたのだろう。


「女に言われると変な感じね」


「そう?」


「そうよ」

「でも悪くない」


 そのやり取りの間にも、ナタリアの視線は自然とレオナの手や肩へ行く。

 杯を持つ指は長いが、節には鍛えた硬さがある。

 鎧を外した分だけ胸の厚みはむしろ目立つのに、姿勢が崩れない。

 触れたら硬そうだと、そんなことを思う自分に少しだけ気づいて、ナタリアは杯へ視線を落とした。


「あなた、妙に見るのね」


 レオナが言う。


「見られる側でしょう、普段から」


「そうだけど、あなたの見方はちょっと違う」


「何が?」


「綺麗だとか大きいだとか、その手前を見てる」


 ナタリアは少しだけ笑いそうになった。


「そうかもしれないわね」


「否定しないんだ」


「今さら否定しても仕方ないでしょう」


 レオナも小さく笑う。

 最初の張り詰めた空気は、もうだいぶ薄れていた。


「また組めそうね」


 ぽつりと、その一言が落ちる。


「長い依頼でも?」


「最初からあなた前提で動けるなら、むしろそっちの方が楽かも」


 それはかなり高い評価だった。

 元騎士が、初顔合わせの冒険者相手にそう言うのだ。

 軽くはない。


「それなら話は早いわ」


 ナタリアがそう返すと、レオナは杯を軽く持ち上げた。


「次があれば、その時は最初からあなたを信用して動く」


「ええ」


「その代わり、変なところで一人で片づけないで」


「努力はするわ」


「努力なのね」


「性分でしょう」


 そこまで言ってから、二人とも少しだけ笑った。

 大きな笑いではない。

 でも、次に繋がるには十分な柔らかさだった。


 一杯で切り上げ、外へ出る。

 王都の夜気は昼より少し湿っていた。

 別れ際、レオナが短く言う。


「今日は面白かった」


「そう」


「あなたは?」


 ナタリアは少しだけ考え、それから正直に答えた。


「少し話が通じる相手だったわ」


 レオナが目を細める。

 たぶん、それもかなり高い評価なのだと伝わった。


「じゃあ、また」


「ええ。また」


 石樽亭へ戻る頃には、通りの灯りも少し落ちていた。

 扉を開けると、女将がこちらを見て、「遅かったね」とだけ言う。

 孫娘はもう眠っているらしい。

 その代わり、二階へ上がる前に、灰銀の小さな影が階段の途中で待っていた。


 ポンタだった。


 昨日よりしっかり立っている。

 まだ小さい。

 だが青い目は冴えていて、こちらが帰ったことをはっきり理解している。


「ただいま、ポンタ」


 そう言って頭をくしゃりと撫でると、ポンタはわずかに耳を伏せた。

 嫌がるでもなく、当然のように受け入れる。


「今日は少し面倒な女に会ったわ」


 独り言のように言う。

 ポンタがそこで鼻を鳴らした。

 何となく、軽く不服そうにも見える。


「何よ」


 もう一度撫でると、今度は少しだけ頭を押しつけてきた。


 ナタリアはそこで小さく笑い、部屋へ戻る。

 今日は長かった。

 だが悪い疲れではない。


 元騎士の女。

 長身で、重くて、話が通じる。

 並んで歩くと妙に目立つ。

 触れたら硬そうで、でも思ったより柔らかく笑う。


「……面倒ね」


 そう呟いた声には、もうほとんど悪意が混じっていなかった。


 灯りを少し落とし、ナタリアは椅子へ腰を下ろす。

 ポンタがその足元へ丸くなった。


 また会うだろう。

 たぶん、そう遠くないうちに。


 その予感だけを静かに胸の中へ置いて、ナタリアはようやく一日の終わりへ身体を預けた。

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