表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
断罪された侯爵令嬢は、戦場で完成した。なお中身はおっさんである  作者: 月白ふゆ


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

11/22

第11話 ギルドの洗礼

 背後で椅子が一つ、ぎ、と鳴った。


 酒と汗と鉄の匂いが混じるギルドの空気の中で、その音だけが妙に耳についた。

 振り返る前から分かる。こちらを品定めしながら様子を見ていた連中が、ようやく「いける」と判断したのだろう。

 見惚れる視線と、舐める視線は違う。

 前者は勝手に置いておけばいいが、後者はたいてい近づいてくる。


 ナタリアは登録証を指先で弄ぶのをやめ、ゆっくりと振り返った。


 男が三人。

 年齢は二十代前半から半ば。使い古した革鎧に、適当に手入れした短剣や棍棒。強者ではない。場慣れはしているが、上へ行けるほどの芯はない。そういう顔をしていた。

 真ん中の男が、一歩前へ出る。声をかけ役。左の細身が囃し役。右の大柄なのは、ただ数で圧を作るための置物。

 話す前から役割分担が見える程度には、分かりやすい連中だった。


「よお、お嬢様」


 軽い声音。

 だが目は軽くない。こちらがどう反応するかを見る目だ。


「一人で登録か?」

「Fからはきついぜ。道具の使い方から教えてやってもいい」


 後ろの二人が笑う。

 耳障りではあるが、まだこの段階では“よくある絡み”の範囲だ。


 ナタリアは瞬き一つせず、男たちを見た。


「あらそう」


 それだけで、三人の顔が少し動く。

 怯えない女には、最初の想定が少し狂う。


「でもね、間に合ってるわ」

「依頼書を見たいだけなのだけれど?」


 真ん中の男の笑みが、半拍だけ止まる。

 断られたことより、断り方が腹に立ったのだろう。

 “助けてくれる人”としてではなく、“邪魔な人”として処理された。

 そういう顔になる。


「感じ悪ぃな」


「そうかしら」


 ナタリアは肩も竦めない。


「むしろ、だいぶ分かりやすく申し上げたつもりだったのだけれど」


 左の細身が舌打ちした。


「お高くとまってんな、おい」


「お高い、ね」


 ナタリアはその語を少しだけ舌の上で転がす。


「この程度も理解できないとは、思ってもいなかったわ」


 それで空気が一段悪くなる。


 真正面から侮辱したわけではない。

 怒鳴ってもいない。

 けれど完全に、相手を会話不能側へ落とした。

 だから余計に男たちの顔が熱くなる。


 真ん中の男が一歩詰めた。


「お嬢様、ギルドじゃそういう物言いは――」


「ええ。今まさに、そういう物言いに対してどう反応するのか拝見しているところよ」


 ナタリアの声は平坦だった。

 怒っていない。

 だからこそ、相手の方が先に熱くなる。


 右の大柄な男が、そこで低く笑った。


「Fのくせに、ずいぶん舐めてくれるな」


「Fだから、かしら」

「それとも、女だから?」


 真正面からそう言われると、逆に男たちの方が言葉に詰まる。

 そこを誤魔化すように、細身の男が肩をいからせた。


「……新人がでかい顔すんなって言ってんだよ!」


 その声と同時に、真ん中の男の手が腰へ落ちた。


 ナタリアの目が、ほんの少しだけ冷える。


 そこまで行くのね。


 刃が鞘を離れる前の、あの微妙な肩の沈み。

 意識が手首に集まる瞬間。

 どこかで何度も見た動きだった。

 剣ほど大仰ではない。街の喧嘩か、脅し慣れた手つき。

 だから余計に軽い。


 男が短いナイフを抜く。

 周囲の空気がざわりと揺れる。

 ギルドの中で、刃物を抜いた。

 その時点で一線は越えていた。


 ナタリアは半歩だけ前へ出た。


 男が「見せるだけ」のつもりで刃を上げる。

 その手首の内側へ、ナタリアの指が滑り込んだ。

 捻るのではない。押すのでもない。力の向きを、ほんの少しだけずらす。

 握りが緩んだ一瞬で、ナイフだけがすっと手から抜ける。


 次の瞬間には、刃はナタリアの手の中にあった。


 男がぽかんと口を開ける。

 後ろの二人も、何が起きたのか半拍遅れて理解する。


 ナタリアは手の中のナイフを軽く見た。

 粗雑ではない。だが大したものでもない。

 柄の擦り減り具合と手入れの甘さで、持ち主の程度がだいたい見える。


「……こんなものなの?」


 低い声でそう言って、刃を一度だけ傾ける。


「何ランクか知らないけれど」


 その一言で、場の空気が凍った。


 ナイフを抜いた男は顔色を変えた。

 怒りより先に、恥と恐怖が出ている。

 自分が抜いたものを、自分よりきれいに持たれている。

 しかも、脅威としてではなく査定対象として扱われた。

 それが分かるからだ。


「返せよ……!」


 虚勢だけで出た声だった。


 ナタリアは男を見もせず言う。


「抜いた以上、扱えるのでしょう?」

「まさか、見せるだけだったなんて言わないわよね」


 細身の男が一歩前へ出かける。

 そこで、低い声が割って入った。


「そこまでだ」


 空気が変わる。


 怒鳴ったわけでもない。

 だが、その一声だけで場の主導権が完全に移った。


 酒場側の陰から、一人の男が歩み出てくる。

 三十代前半。長身というほどではないが、体の置き方に無駄がない。派手ではない革装備。目立たぬが質のいい剣帯。荒事慣れした者の歩き方だった。

 最初から見ていたのだろう。

 出るならもっと早くも出られた。

 だが刃が抜かれるまで待った。

 その時点で、ナタリアの中では評価が一段下がる。


 男はまず、ナイフを抜いた連中を一瞥した。


「抜くなと言ったはずだ」

「ギルドの中で刃を見せるな」


 声音は低い。

 説教というより、確認に近い。

 だから余計に逆らえない。


 真ん中の男が唇を噛む。


「でも、こいつが――」


「言い訳はあとだ」


 男はそれを一言で切った。


「謝れ」


 それだけで、三人とも顔を歪めた。

 だが逆らわない。

 この場で彼に逆らう方が、明らかに面倒だと知っているのだろう。


 不承不承ながら、ナイフを抜いた男が頭を下げる。


「……悪かった」


 細身と大柄も続く。

 謝罪としては雑だ。

 だが今この場で求められる最低限は満たしたと見るしかない。


 それから男は、初めてナタリアへ向き直った。


「失礼した」


 ギルドのざわめきが、少し遠のいたように感じる。

 周囲もまた、この男が出てきたことで“ただの新人女いびり”で終わらないと理解したのだろう。


「うちの若いのが、みっともない真似をした」


 詫びとしては簡潔で、よく訓練されている。

 だからこそ、ナタリアの返しも自然に出る。


「あらそう」


 ナイフを指先で返し持ちに変えながら、男を見る。


「見てたくせに、お高いのね?」


 背後で何人かが息を呑む。

 相手がただのチンピラならともかく、場を制した男にその言い方をするのか、と。


 だが男は怒らなかった。

 ほんのわずかに口元だけを動かす。


「試したわけじゃない」

「線を越えるか見ていた」


「その考え、分からなくはないけれど……」


 ナタリアはそこで軽く首を傾ける。


「良い趣味をしているのね、貴方」


 それに対して、男は今度ははっきり少しだけ笑った。

 笑うと言っても、口元の端が動く程度だ。

 だがその程度の変化でも、周囲には十分だった。

 “ただの新人女”扱いは、もうこの時点で消えている。


「そうかもな」


 低くそう言ってから、彼は初めて名乗った。


「ガレスだ」

「ここの中堅まとめ役みたいなもんだ」


 それから、まだ顔を青くしている三人を一瞥する。


「何かあれば言ってきな」


 ナタリアはナイフを柄から持ち直し、刃を相手へ返した。

 受け取った男は、今度は本当に何も言えずに下がる。


「そう」


 ナタリアはガレスを見た。


「必要になれば」


 完全に友好的ではない。

 だが拒絶でもない。

 その距離感が、いちばん自然だった。


 そこで話を終えてもよかった。

 だがナタリアにとって本題は最初から一つだけだ。


「では、依頼を確認してもよろしくて?」


 きっぱりと、仕事へ戻す。


 ガレスの眉がわずかに動いた。

 揉め事のあとに、余韻もなく依頼へ戻る。

 それが少し意外だったのだろう。


 受付嬢がすぐに気を取り直す。


「はい、もちろんです」


 依頼板はギルドの一角、受付から少し離れた壁にかけられている。

 ランクごとに札の色が違い、Fは灰褐色の小さな札。

 そこには、いかにも“誰も喜んでやりたがらない仕事”が並んでいた。


 迷い猫捜索。

 倉庫間の荷運び補助。

 北区画排水溝の泥かき。

 下水路のドブさらいおよび低位スライム除去。

 共同墓地の草刈り。

 井戸滑車の修理補助。


 ナタリアはその中から二枚を抜いた。


 下水路のドブさらいおよび低位スライム除去。

 北区画排水溝の泥かき。


 受付嬢が少し意外そうな顔をする。

 周囲の何人かも、そこでひそかに視線を交わした。

 普通の新人なら、見栄で荷運びを選ぶか、軽く見える迷い猫へ行く。

 あえて一番臭くて汚い依頼を抜くのは珍しいのだろう。


「こちら二件を?」


「ええ」


 ナタリアは札を机へ置く。


「作業区画は近いのよね?」


 受付嬢が確認書類をめくる。


「はい。どちらも北側水路区画です」


「必要装備は?」


「泥かき用の長柄具、皮手袋、簡易面布。下水側は加えて、短い掻き出し鉤と低位スライム用の処理薬が支給されます」


「納品確認の窓口は同じ?」


「はい。北区画管理小屋です」


 ナタリアはそこで頷いた。


「なら、まとめて受けてもよろしくて?」


 受付嬢が思わず聞き返す。


「……初回から二件まとめて、ですか?」


「内容が近いもの」


 ナタリアは札を指先で揃えた。


「分ける方が非効率でしょう」


 それはまったくその通りで、受付嬢は否定できなかった。

 むしろ正しすぎて、一瞬返事が遅れる。


「可能、です」


「ならそれで」


 受付嬢が処理票を引き寄せる。

 ガレスは横からそれを見て、少しだけ感心したように息を吐いた。


「汚れるぞ」


「見れば分かるわ」


「臭う」


「それも見れば分かるでしょう」


「滑る」


「そこは見ただけでは足りないでしょうね」


 ナタリアがそう返すと、ガレスは鼻で笑った。


「そういえば、そこのガレス?」


 ナタリアがふいに呼ぶ。

 彼は少し目を細めて、続きを待った。


「初心者に言っておく注意点があるなら、聞くわよ?」


 その一言に、受付嬢がまた少し驚いた顔になる。

 ここまでの流れなら、意地を張って聞かないのもあり得た。

 だがナタリアはそうしない。

 必要な助言は拾う。

 その切り替えの早さが、仕事をする人間のものだった。


 ガレスは短く答える。


「ある」


 そして指を二本だけ立てた。


「下水はスライムより滑る石と腐った足場の方が危ない」

「泥かきは腰をやる。力で引くな。道具にやらせろ」


 さらに一つ足す。


「臭いで吐くなよ。吐くと余計に地獄だ」


 周囲の何人かが苦笑した。

 経験者の実感がこもりすぎているからだろう。


 ナタリアは少しだけ目を細める。


「あら、意外と素直に教えてくださるのね」


「聞かれて黙るほど性格は悪くない」


 ガレスは肩をすくめる。


「死なれると後味が悪いだけだ」


「なるほど」


 ナタリアは納得したように頷いた。


「助言としては有用ね。覚えておくわ」


 それで会話はもう終わりでいい。

 彼女は余計な礼も言わず、だが聞き流しもしない。

 その塩梅が妙によかった。


「合わせて期限は四刻、で間違いないわね?」


 今度は受付嬢へ確認する。


「はい。日没前までです」

「泥かきの方は分量確認、下水側はスライム核の持ち込みと水路状態の確認で達成扱いとなります」


「核は数だけ?」


「最低三体分です。追加があれば買い取り対象になります」


「分かったわ」


 ナタリアは処理票と依頼札を受け取る。


「では、行ってくるわ」


 あまりにもあっさりした出立だった。

 周囲の誰もが、もう少し何かあると思っていたのかもしれない。

 だが彼女にとっては、登録も絡みも助言も、全部前置きだ。

 仕事はこれから始まる。


 ガレスが最後に背へ声を投げる。


「靴だけはいいの借りてけ」


 ナタリアが足を止める。


「貸し出しがあるの?」


 受付嬢が慌てて補足する。


「初回作業用の汚損装備一式でしたら、簡易貸し出しがございます」


「最初に言ってくださらない?」


 少しだけ呆れたように言うと、受付嬢は本気で恐縮した顔になる。


「申し訳ありません……!」


「冗談よ」


 ナタリアはそれだけ言って、貸し出し棚の方へ向かった。


 スラリとした長身が、人混みの間をまっすぐ抜ける。

 それでいて体幹の整った歩き方には揺らぎがない。

 豊満すぎる胸さえ、ただ目立つのではなく全身の安定感の一部に見える。

 華やかなのに脆さがない。

 だからこそ、ギルドの連中は目で追わずにいられない。


 登録したてのFランク。

 しかも女。

 なのに、まるで最初からここが自分の職場であるかのように歩いていく。


 その背を見送りながら、先ほどまで絡んでいた三人のうち、細身の男が小さく呟いた。


「……なんなんだよ、あれ」


 ガレスは腕を組んだまま答える。


「Fだ」


「そういう意味じゃねえよ」


「だろうな」


 ガレスの口元がほんの少しだけ動く。


「まあいい。すぐ分かる」


 彼の視線の先で、ナタリアは借り出し用の長靴を受け取り、試すように一度だけ踵を鳴らした。


 王子妃候補だった女が、最初に選んだのは、泥と下水の現場だった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ