第11話 ばねばね
春の蕾の気配を感じる二月下旬のある日、園常寺と遠藤は、暖房のついた倉庫室Bでアーチェリーのゲームをプレイしていた。
ホログラムで弓に化けたコントローラーを構え、弦の中心にあるコントローラーに、矢に化けたもう一つのコントローラーを十字に触れさせて、Aボタンを押しながらゆっくりと引く。そして、限界まで引いたところでボタンを放す。すると、ホログラムの矢が勢いよく放たれ、画面の中に吸い込まれていく。そのまま画面は空中を駆け抜けていく矢を追いかけ、的に着弾する瞬間を捉える。
「あ〜、真ん中じゃなかったか〜」
「あれ? 先輩って先輩でしたよね? どうして後輩の私に負けてるんでしょうか〜」
「何かがおかしい。なんでかはわからんけど絶対おかしい。だって全弾真ん中に命中するってありえへんもん!」
「せんぱ〜い。私たちって〜、なんて名前の部署に所属してましたっけ〜?」
「もういいから! 次自分の番やから、煽ってんとはよやって!」
「は〜い」
次は遠藤の番だ。彼女も同様に、弓道なんてやったこともないくせに、足の幅を微調整したり姿勢を正して重心を固定したりと気取った所作で弓を引き、矢を放った。すると矢は、初めから約束されていたかのように中心に突き刺さった。
「いやだからおかしいって。これゲームやから確率も影響してるはずやねん。やのになんで」
「先輩、そろそろ認めて楽になりましょうよ。私には敵わないって」
「くそ〜。その澄ました顔が余計に腹立つわ〜。自分もゲーム強かったんか〜」
遠藤はコントローラーを机に置き、園常寺と反対側の椅子に座った。園常寺は向かいの椅子で項垂れている。
「も、って他にも誰か強い人がいるんですか?」
「天野も強いんや。勘で先読みできるから」
「さすがに天野さんは部が悪いですね〜。勘が必ず当たるって、どんな人生なんでしょう。羨ましいな〜」
「案外そうでもないで〜。たとえ今までは勘が全部当たってきてたとしても、これからも必ず当たる確固たる証拠はないから、いつも極端に跳ね上がった不自然さへの恐怖を抱き続けないとあかんし」
「なるほど〜。次は外れるかもしれないっていう不安が常にあるわけですね」
「そうそう。自分も正直、途中から次は外れるんちゃうかって心のどっかにあったやろ?」
「……えへへ、実は」
遠藤は照れながら右手で後頭部に触れた。
「能力で幸不幸は決まらんってことやな」
「そうですね〜。そういえば天野さん、最近めっきり顔を出さなくなりましたね〜」
「忙しいらしいからな〜。俺らと違って」
「早く片付くといいですね〜」
「やな〜」
机の上には、パーティー開けしたのりしお味のポテトチップスと麦チョコが置かれている。二人はのんびり背もたれにもたれながら、自分のペースでお茶を飲み、お菓子を食べた。
しかし、二人の間に流れる緩んだ時の流れにも終わりがやってきた。それは遠藤が持っていたコップを机に置いた瞬間に起こった。眠っている星を目覚めさせるほどの爆発音が、扉の方から聞こえてきたのだ。二人は思わず耳を塞ぎ、硬直して動かない目線を顔ごと動かして音の鳴った方向に持っていった。
「なんや一体」
「とんでもない音でしたけど」
「自分今日目覚まし時計切ってきた?」
「あんな爆音じゃなくても起きれますよ! それより、外で何かあったんじゃ」
遠藤がそう言って立ち上がり、扉の方に歩いていこうとした瞬間、同じ方向から今度は爆風が物凄いスピードでやってきて、あっという間に二人を飲み込んでしまった。二人ともとっさに頭を反対側に向け、両腕で覆った。死を覚悟した。黙っていても考え事をよくしている二人が珍しく頭の中を空っぽにして、状況に圧倒される時間が数秒間流れた。
だが、そんな死への手続きの後も時は流れ続けた。二人は散らばっていた意識をかき集め、目を開けた。そこには、自分の視界を端から端へと通り抜けていく光線がいくつもあった。未だに広がり続ける爆風の中、二人は生きていた。傷一つ付かず、その場から一歩も動かないまま。
「あれ? 死んでない?」
「なんかうっすら机とかお菓子見えるな。これはホログラムの爆発か?」
「あ、先輩も生きてるんですね!」
「なんでかわからんけどな」
「マジか」
「マジかってなんやねん」
園常寺のツッコミを合図に、爆風は少しずつ収まっていき、視界も段々と元の日常を映し始めた。
「今のは何だったんでしょう。物も私の体も、全く傷付いてない……」
「音と光だけの爆発? でも壁貫通してたよな」
「もし爆発だったとしたら、相当な規模になりますから、外でも何かが起きているかもしれません。テレビを見てみますか」
「そうやな、そうしよう」
遠藤が素早く机の上のリモコンを掴んでテレビに向け、ゲームを終了してニュースに切り替えた。画面には、混乱しながら机に手をついて立ち上がっている四角い眼鏡の司会の姿が映っていた。大きなモニターはどこか知らない街の上空を映している。雲の少ない晴れた空で、街も爆発で荒廃した様子はない。
(……皆さん、無事ですか? とんでもない爆発?があったのに、何も起きてない……?)
「テレビ局の人も同じ目に遭ったようですね。一体どれぐらいの規模の爆発だったんでしょうか」
「こことテレビ局ってまあまあ離れてるからな。それだけでも相当広範囲ってことになるけど」
「ていうか、光より先に音が聞こえてましたよね。たしか、速度的には光の方が速かったような」
「そうやな。だから光は爆発自体の光線っていうよりも、爆風の表現やったんかもしれんな」
「確かにそうかもしれませんね。目で動いてるのがわかりましたから」
(ただいま入った情報です。先ほど起きた不可解な爆発の規模がわかりました。爆発は、凍京特別区全域にまで及んでいたようです。そして爆心地ですが、特別区のちょうど真ん中に位置する、八千代の地下処理施設の真上、八千代自然公園だったそうです。それ以外の情報はまだ把握できていません。新たな情報が入り次第、こちらからお伝えいたします)
二人とも、自分たちがいつまでもポツンと立っていることに気付き、椅子に座った。机の上のコップもお菓子も、数分前から全く微動だにしていない。
「八千代自然公園ですか〜」
「俺あそこあんまり好きちゃうねんな」
「どうしてですか?」
「なんか取ってつけて自然に配慮してますよ感がすごくて」
「確かに、好感度狙いが見え透いてますよね」
「そうそう。でも爆発自体は何が原因なんやろな」
「そうですね。地下の消却炉が暴走したとか……、ナノマシン、は関係ありますかね?」
「さっきの音と光のこともあるし、そうかもしれへんな。ただ、やとしたら相当心の奥深くから発せられた言葉ってことになる」
「それはつまり、その人は計り知れない苦しみを背負っていたということですか?」
「そうなるな。ある意味では、ナノマシンのエネルギーはその人が抱える苦しみであるとも言えるからな」
(新しい情報が入ってきました。爆発の瞬間を捉えた防犯カメラ映像です。それではご覧ください)
映像は、自然公園の中央にある大きな池を、人の目線の高さから映しているところから始まった。カメラが動き、池の隣にある東屋を中心に据えた。そこでは、短い白髪の老人が一人でじっと池を眺めていた。
カメラはズームしていき、かろうじて東屋全体が入るぐらいまで近づいたところで止まった。すると、池を眺めていた老人がいきなりパッとこちらに目を合わせ、一言呟いた。
「目を覚ませ」
その瞬間、爆発音と共に画面が真っ白になった。
「いやホラー映像やん」
「ほんとですね。近頃の防犯カメラって人間には認識できないようになってたはずなのに」
「しかもカメラの動きとタイミングぴったりやったし」
「カメラは当時そう動いてたわけじゃなくて、現在の時間で見やすいようにそう動かしてるわけですから、あのお爺さんには未来が見えてたってことになりますよね」
「もしかしたらもっと凄いことが起こってるんかもしれんで」
「どういうことですか?」
「別角度からの映像流してくれへんかな。お、流してくれるみたいや」
映像は、先ほどとは真反対の角度から始まった。背景には背の高い常緑樹が並んでいる。同じように、中心を東屋に向けて、ズームしていくと、やはり、老人はこちらを向いて、同じ言葉を投げかけてきた。
「めちゃくちゃホラーじゃないですか。これはつまり、未来が見えていたんじゃなくて、過去が変わっているってことですか?」
「そうやな。過去が変わってるし、ていうかそもそも定まった過去が存在してないんかもしれへん」
「ということは、あの映像で流れていた瞬間は、まるで未来のように、現在の選択によって決定されると。だとすると、いよいよナノマシンの可能性が高いですね」
「そうやな。(目を覚ませ)っていうのが発動の言葉っぽいし」
遠藤は腕時計を確認した。アナログ時計は八時四十六分を指していた。
「とりあえずどうします? 何から始めましょう」
「そうやな〜。多分、被害者の情報は今からやったらマスコミの方が速く見つけれると思うからそれに乗っかるとして、俺らは一旦現場に行ってみよか」
「マスコミはSNSを通して、大衆という無数の探偵を持ってますからね」
「ほんま怖い世の中やで。人工知能搭載防犯カメラと張り合ってくるからな」
「悪事の牽制になっている面もありますけどね」
「まあな〜。ただ時々、その抑圧に耐えかねてとんでもない化け物が誕生するのが危ないところやけど」
「しわ寄せを一手に引き受けさせられる人が出てしまうんですね。でも先輩安心してください。もし先輩がそうなっても、私が真っ先にトドメを刺して誰も傷付けさせませんから」
「俺は既に善良な化け物へと進化を遂げてるからこれ以上そんなことにはなりません〜」
二人は車で八千代自然公園へと向かった。駐車場を探すために目的地の真横を通り過ぎようとした時、公園からはみ出すほど人が集まっているのが見えた。遠藤は一旦公園沿いの、入り口から少し離れた電柱の側に車をつけた。
「めっちゃ人おるやん」
「ほんとですね。みんな何があったのか知りたがっていると」
「こんな平日の午前中から集まって暇人やな〜。俺らを見習ってほしいわ」
「なんだか弓矢で狙われているような感じがするんですけど、光陰の矢で」
「これやと近くの駐車場は満席やろうから、車を空中走行モードにして、現場の上でホバリングさせとくことにしよか。光学迷彩かけて」
「そんなことできるんですかの雪崩が起きてるんですけど。そんなことできるんですか?」
「あー言ってなかったっけ。まずはそのハンドルの真ん中に付いてる二つのボタンの右側押してみて」
「はい。……あれ? 何も起きませんよ」
「外から見たらちゃんと透明になってるから大丈夫。次は左のボタン押して」
遠藤が言われた通りにボタンを押すと、一瞬車体が持ち上がった後、ホログラフィックな機械音が鳴り、全体が軽く振動して止まった。同時に、握っていたハンドルが少し手前に飛び出した。
「なんか色々起きましたけど……」
「ハンドルゆっくり前に倒してみて」
「は、はい。こうですか、ってうわっ! ちょっとずつ上にあがってますよ!」
「それでいいねん。ハンドルの角度で高度変えれるから。しばらくそのままにして。……あーそうそう。とりあえず木の高さは超えたから、この辺で止めよか。ハンドル戻して」
「はいっ!」
園常寺の指示と遠藤の操作により、車は公園の最も高い木よりも少し上の位置まで上昇した。葉を全て落とした木にも、あちこちに少しふくらんだ蕾ができてきているが、彼女らの位置からは冬真っ只中の姿に見えた。
「ハンドル回すのは地面走ってる時と変わらんから。まあ初めはゆっくりやってみたら」
「はい! とりあえず行列に沿うように進んでいきますね」
蛇行する公園の道を象るように、人だかりも曲がったり、真っ直ぐになっていたりしていた。二人を乗せた車は、その源流へと向かって真っ直ぐに空中を漕ぎ進めていった。
しばらく進むと、大きな木の生えていない、芝生や舗装された地面が広がっている場所に出た。二人から見て少し先に、いびつなハート型の大きな池があり、そのへこんだ位置に警察が大きく立ち入り禁止のバリケードを立てていた。人流はそこでせき止められている。
「池を囲むように人が集まってますね。口を横から見たような池の、食べられそうな場所に警察が陣取ってます」
「ほんまやな。とりあえず陣地内に入ろか」
車は人々の真上を素通りし、立ち入り禁止のエリア内に近づいていった。
「なんだかめっちゃこっちを見てる人がいるんですけど」
「あれはー、松永やな」
「ああ〜、壱課の松永班の。この距離でよくわかりましたね。あれ? その前に、この車って光学迷彩つけてるんですよね?」
「光学迷彩はちゃんと起動してるな。よし、この辺で下そか」
「はい。……明らかに私たちを目で追ってるんですけど。松永さんって何者なんですか?」
「あいつも化け物やな〜。あ、光学迷彩も空中走行モードもそのままにしといてな、痕跡残すと後々めんどくさいから」
車は東屋から少し離れた開けた場所の常識的な高さで止まり、タイヤを、側面を下に向けたままホバリングしていた。園常寺はいつも通り、遠藤はいつもより慎重に車を降り、先に来ていた松永の方に歩いていった。
松永は灰色のコートを着ていて、軽くパーマをあてたような髪が、暗くて鋭い目を少し隠している。男は二人が近づくのを見てコートのポケットから両手を出し、軽く頭を下げた。
「松永さんお疲れ様です」
「お二人ともお疲れ様です。今日は随分と大胆な登場の仕方ですね」
「光学迷彩はつけてたんやけどな。それより、天野がおらんのに迅速な対応やな」
「壱課には天野さん以外にも優れた力を持つ者が何人もいますからね」
「そうやな。それで、どんな状況や?」
「亡くなったのは諸橋誠一さん、凍京大学省治学科の教授だったそうです」
「えらい情報集めんの速いな。ネットより速いんちゃう?」
「ネットの情報の裏取りをしただけです。それで、爆破地点の近辺には被害者の遺留品は一切見つかりませんでした」
「感情とか記憶も?」
「ええ、全く」
「まあ相当な規模の爆発やったからな〜。後はここでわかりそうなことある?」
「東屋に行かれてみては? 被害者が最期に見ていた景色に何かヒントが隠されているかもしれません」
三人は東屋に行った。そこからは池を一望でき、池から奥に伸びている道によってできた木々の切れ間のちょうど真上に太陽が昇っているのが見える。
「今は人がいっぱいいるけれど、当時は閑散としてたんでしょうね〜」
「被害者は、爆発の一時間ほど前からここでただずっと池を眺めていたようです」
「寂しいな〜。魚すら一匹も見えへんし」
「今から大体一時間ちょっと前って言ったら、諸橋さんが座っていた場所にも日の光が当たっていたんじゃないですか?」
「そうっぽいな」
「だったら案外、暖かかったのかもしれませんね」
園常寺は隣に立っている遠藤を横目で見た。影になっているその顔は、わずかに微笑んでいるように見えた。そんな二人の様子を、松永は感情の読み取れない目で眺めている。
「被害者の自宅も見ていかれては? ここからすぐ近くにありますので」
「そうやな。住所送ってくれる?」
「ええ」
松永はスマートフォンで園常寺に被害者の自宅の住所を送信した。かわいい亀のスタンプ付きで。
「亀好きやな〜。今も飼ってるん?」
「はい。神聖な生き物ですので」
「今時そんな理由で亀飼ってる奴おらんで」
「松永さんたちはこの後どうするんですか?」
「ここから撤収して私たちの担当している事件の捜査に」
「忙しい中ありがとうな」
「いえ。これも仕事の一貫ですので。もうここはよろしいですね? 開放しても」
「そうやな。国が大事にしてる自然公園をいつまでも占拠してたら批判が来るからな」
「松永さんたちはここからどう脱出するつもりなんですか?」
「私たちも皆さんと同じ方法で」
「えっ、どこに車置いてるんですか?」
「あの辺りに」
松永は池の縁の段差付近を指差した。そこには何もなく、奥の野次馬が小さく見えるだけだった。遠藤は見る角度を何度も変えながら、車を探した。
「どの辺りですか?」
「あの池の端の辺りです」
「見えないな〜」
「それが正常や」
園常寺はしばらく遠藤が光学迷彩に撹乱される様子を楽しんだ後、しれっと隠し持っていたキーで位置を表示して車に乗り、それを真似して乗り込んだ遠藤に眼力で反撃を食らった。それから車を上昇させ、車の通りの少ない路地に下ろしてから空中走行モードと光学迷彩を解除し、陸路で被害者の住むマンションへと向かった。
マンションは、くすんだ煉瓦色の八階建ての建物だった。遠藤は棟に囲まれた、一日中影の駐車場に車を停めた。マンションと駐車場の境目には雑草が生えていた。二人は階段ではなく、スロープの方を通ってマンションに入った。
「車を停めた場所覚えとかなあかんのは光学迷彩関係なくそうやん」
「先輩もキー使わないとわからなかったんじゃないですか〜」
被害者は六階に住んでいた。(開)ボタンのプリントが擦り切れかけているエレベーターで上がり、爪を立てるとキーキー音が鳴りそうな緑色のドアを五つ通り過ぎ、被害者の家の前に来た。遠藤が関係者識別装置を鍵穴に設置し、扉を開けた。
「なんか普通の部屋やな。東京にもまだあるんやな、こういう感じの部屋」
「そうですね。教授って、もっといい部屋に住んでるイメージがありました」
玄関には靴が一足もない。足先の出ない灰色のスリッパが壁にかかと側を向けて揃えられている。白い壁の廊下を通ると、下の方に何箇所か剥がれているところが見受けられた。
リビングに入ると、はじめに丸いダイニングテーブルに迎えられた。椅子は背もたれも座面もクッション質でないものが二つ、120°の位置に置かれている。机には何も置かれていない。
「質素な温かみのある部屋ですね」
「そうやな。棚の上のミッキーマイスのぬいぐるみとか特にな」
「マウスじゃないんですか?」
「二人おるから複数形で呼んだんやけど」
「赤いリボンしてる方はミニーちゃんですよ」
「知ってますけど。でもな、彼らは本質的には同じやねん」
園常寺のその言葉に、遠藤は何か変なスイッチが入ったように腕を組んで真剣な顔をした。
「ほう。どちらもただのネズミだと?」
「そうやない。同じ運命を共にするという意味で同じやって言ってるんや」
「なるほど。ベターハーフという意味ですか」
「自分がそんなに夢の国に思い入れがあったとはな」
「いや……、なんとなく、念のために」
「なんじゃそれ。胡蝶の夢的な話か。まあ自分の人生が夢の国とは結び付かへんしな」
「現実から逃げられない人生だったのは確かですね」
「それで正解や。公太郎」
「公太郎はハムスターです」
「……ごめんなのだ」
リビングの奥は壁一枚で二つの部屋に分かれていた。左の部屋はリビングと地続きのフローリングになっている。右の部屋は床が畳になっていて、奥には低い机があり、その上に写真と花が置かれている。
「奥の部屋は、大きめの本棚がある書斎、と、隣は、仏間か」
「ご家族用のお仏壇ですね」
「家族を亡くしてから、どんな三十五年を過ごしたんやろな」
「想像を絶する孤独だったんでしょうね」
「それが省治学に向かう原動力でもあったんかもしれんな」
二人は仏間を出てキッチンと寝室を見た後、一番奥の書斎に入った。部屋にはレースのカーテン越しに日の光が入っている。それと共に、二月の冷気が部屋に侵入していた。
「窓の近くに外側を向いて座るように机を置いているのは、家族との思い出が詰まったこの家から背を向けるためだったんでしょうか」
「そうかもしれんな。寂しそうな背中が見える気がするわ」
机に落としていた目線を本棚に持っていき、それに付随して体の向きも本棚と平行に回転させた時、視界の端に誰かがいるのに気付いた。
「うわっ! びっくりした〜」
「えっ、幽霊?!」
後ろに半透明の老人が立っていた。カーディガンを羽織った人相の良い顔がニコニコしている。
「おぬしらはお手本のような反応を見せてくれるのう。驚かせた甲斐があったというものだ」
「あな、たは、諸橋さん?」
「その通り、じゃが本物ではない。ワシは諸橋教授の記憶と感情を元に生成されたAI、体はただのホログラムじゃ」
「なんでここにおるんですか?」
「それはここがワシのうちだからじゃよ。おぬしらこそ、どうしてワシのうちにおるんじゃ? 恐怖を感じているのはワシも同じじゃぞ?」
「……すいませんでした」
二人と一体はリビングのダイニングテーブルを囲んだ椅子に座った。AI諸橋は書斎にあった手すり付きの椅子に座っている。
「なるほどなるほど。おぬしらはワシの死について捜査しておったというわけか」
「そうです。あなたの死があまりにも不可解だったので、私たちが担当することになりました」
「そうじゃったのか。これは悪いことをしたのう。ワシの死は確かに奇妙なものじゃが、後できちんと種明かしもするつもりだったんじゃよ」
「そうだったんですか?」
「もちろんじゃ。じゃがその前に、おぬしらはワシの人生を悲壮的に捉え過ぎじゃ。確かに寂しかったのは事実じゃが、いつまでも悲劇が続くのは道理に反しておる。苦難の先には歓喜がつきものじゃ。ワシも、この人生を生きられて、本当に良かったと思っておる」
「そうでしたか」
「そうじゃ。それで話を戻すが、ワシは、諸橋教授に頼まれて今を生きている者たちにあることを伝えねばならぬのじゃ。それがワシの、一人の老人の残り香としての役目なんじゃ」
「その、あることというのは……」
「まったく、最近の若いもんはすぐに答えを知ろうとする。少しは待つ楽しみを味わってみるのはどうなんじゃ?」
遠藤は園常寺を見た。園常寺はぎこちない愛想笑いをしていた。
「よかろう。まずその前に、ワシが社会に迷惑を与えたわけではないと弁明しておかねばならんな。あの爆発、実は凍京にいる全員に見えたわけではないんじゃ」
「そうだったんですか?」
「そうじゃ。だって、例えば運転中に、あんなふうに視界を数十秒も遮られたら、事故を起こしてしまうじゃろう? じゃからあの爆発は、見ても問題が起きない者にしか見えておらんかったんじゃよ」
「なるほど」
「そしてこのワシ、AI諸橋は、爆発の瞬間凍京におった全員の前に現れることになっておるのじゃが、そのタイミングも、迷惑にならん時に出現するようにプログラムされておる。もしかしたら少しばかりびっくりさせることがあるかもしれんがな、ホッホッホッ」
「は、はい。わかりました。それで、伝えたいことというのは?」
「おぬしらは、ナノマシンについてはもう知っておるから説明は不要じゃな?」
「大丈夫かと……」
「よし。では始めよう。まあ言ってしまえば、ワシの死についての不可解な出来事は全てナノマシンが起こしたことなんじゃ。どの角度の防犯カメラから見てもワシと目が合うようになっていたり、特殊な爆発が起きたり、こうして死んでもなお生きていたり。これらは何もかもワシの強い想いがこもった言葉をナノマシンが具現化させたに過ぎんのじゃ」
「もしかして、それが(目を覚ませ)、ですか?」
「その通り。現代を生きる者たちは誰もが眠っておる。心を閉ざし、人間であることを放棄し、目先の利益のためにしか行動できなくなっておるのじゃ。人間は生まれた時から人間なのではない。自分の心と向き合い、内にある人間の無限の可能性を掴み取ってはじめて人間となるのじゃ。現代の人間は、人間として目覚めておらん」
「……」
「その原因はいくつもあるわけじゃが、ワシが思う一番重大な問題は、目に見えるものしか見ておらんことじゃ。結果だけ、現象だけ、表面だけ。この世界に深さや奥行きがあることに気付いておらん。人間にも内に広がりがあることを知らん。自分という人間が、内側から始まっていることを忘れておる。だから見た目ばかり、肩書ばかり、体裁ばかりを取り繕う。深みのある人間という表現があるじゃろ? あれは、ただの比喩表現というだけでなく、ある意味本当に深さがあるということじゃ、内側にな」
AI諸橋は右手の人差し指で自身の胸を指した。
「その深さを呼び醒すためにも、心と向き合う必要があると」
「そうじゃ。自分の内側といっても、目に見えないわけじゃから、手探りで潜っていかねばならん。その時に道標となるのが心というわけじゃ。ところでおぬしらは、自分の内臓の位置を全て正確に言い当てることができるか?」
「い、いえ」
「そうじゃろう。じゃが、たとえば胃が痛い時はどうじゃ? そういう時は胃の場所がわかるじゃろ?」
「……わかります」
遠藤はお腹を押さえながら言った。
「それと同じじゃ。自分の内側に潜っていくには、中心にある心の痛みを灯台として進んでいく必要があるということじゃ。だから、心を閉ざしてはならんのじゃ」
「その、どうして心なんでしょうか」
「それは、心が自分の本体だからじゃ。自分の根源まで立ち返らんと、自分が本当は何を求めておるのか、どうなりたいのかを知ることはできん。そうしないままで右往左往して生きても、虚しいだけじゃろ?」
「確かに、そうですね」
「人間とは、自分が本当に望んでいることを知り、そのために生き、それを実現する生き物のことじゃ。その望みとは、言わば生きとし生けるもの全ての幸福であり、そこから目を背けるから、現代のような全く明るい未来の見えない、希望の象徴であるはずの若者が病み、多くの者が生きるのを諦めるような世の中になってしまっているのじゃ」
「では、そんな人々の目を覚ますのがあなたの望みということですか」
「そういうことじゃ。それだけ心の奥深くにある望みじゃから、ナノマシンもここまで大掛かりに手を貸してくれるというわけじゃな」
そう言いながら、AI諸橋は右手で自分の胸を軽く叩いた。
「どうして爆発の範囲が凍京だけだったんでしょうか」
「それで十分だったからじゃよ。あの規模の爆発でも、全世界にナノマシンが行き渡る」
「ナノマシンが、行き渡る……?」
「そうじゃよ? 一部の者が占有しておっても仕方がないからな。それと安心してくれ、本来ナノマシンは所有者にしか扱えないものじゃが、拡散させたナノマシンは設定をリセットして、次の宿主を所有者とするようにプログラムしておる」
「そんなことが……」
「まあとにかく、ワシが伝えたいのは『汝自身を知れ』ということじゃ。この言葉は何千年も前から存在する言葉じゃ。それは今まで、自分が無知であることを自覚しろという意味で捉えられてきた。じゃが、これからはさらにもう二つの意味で捉えられる必要がある。一つはさっきからワシが言っておるような、自分の中で最も自分であるものに気付け、ということ。そしてもう一つは、ワシら人間は、何も知ることはないということじゃが……、こっちの方はワシの管轄外じゃから、説明しなくてもいいか」
「いや、あの、せっかくなので」
AI諸橋が説明したそうな寂しい顔をしたのを見て、遠藤が控えめにお願いした。すると、まるで月が太陽にでもなったかのように、老人の顔が明るいものに変わった。
「そうかそうか。最近の若いもんは勉強熱心でいいのう。まあ要するに、これだけ科学が発展しているというのに、ワシらは自分について、人生について、何もわからんことを謙虚に受け止めねばならんということじゃ。知性はいつの時代も、人間に全てを明かしてくれることはない。知性の限界の向こう側に行くには、正しい信仰がなくてはならんのじゃ」
AI諸橋は自分でホログラムのコップを作り出し、一人だけゆっくりとお茶をすすった。
「そっちの大きい方は何か聞いておきたいことはないか?」
AI諸橋は園常寺の方を見て言った。園常寺は両手で逆の肩を持って華奢なアピールをしながら答えた。
「AI諸橋さんがナノマシンを作り出したんですか?」
「それは違う。おぬしらが今まで出会った者たちのように、ワシもナノマシンを授けられた一人じゃ」
「誰から貰ったんですか?」
「その質問には答えることはできんな。じゃが、たとえ今知らずとも、もうじきわかるじゃろう。まあ気長に待ちなさい。他には?」
「AI諸橋さんは、一体どうやったら成仏しはるんですか?」
「成仏か、ホッホッホッ。確かに、いつまでもここにおるわけにはいかんな。そうじゃなあ、わしはおぬしらと話せて、十分満足なんじゃが、他に何かあるかのう」
「それやったら、記念に、あの棚の家族写真持って写真撮っときます? 記念に」
「AIとしてのワシがおった証ということか。それも面白いのう」
「AIやから、写真もデータとして残しといたら、体が消えた後でもデータの海で出会えるんちゃいます?」
「そうかもしれんな。よし、そうしよう。おぬしらも入ってくれるか?」
「えっ? 家族写真に入るのはちょっと……」
「何を言っておる。ワシはおぬしら担当のAIじゃから、おぬしらも家族みたいなもんじゃ」
「ほんならそうしましょか」
遠藤のスマートフォンで、遠藤と、園常寺と、AI諸橋の三人で写真を撮った。自撮りの構図で。もちろん真ん中は家族写真を持ったAI諸橋。園常寺は一塁ベースで打球に備えるファーストの選手のように腰を落として写真に入り込んだ。写真を撮ると、三人で画面を覗き込んで写りを確認した。AI諸橋も、はっきりと真ん中に写っていた。
「それでは感謝するぞ、若人たちよ。最期に楽しい思い出ができた」
「こちらこそです!」
「あっちでは思う存分、ご家族と、ご自身と遊んでくださいね」
「ありがとう。ではさらばじゃ!」
AI諸橋は元々半透明だった体がさらに薄くなって、上に向かって砂がこぼれるように体が消えていった。
二人はさっき撮った写真をホログラムフィルムに現像し、それを仏壇に置いて、手を合わせてからその場を離れた。
*
「いや~、不思議なおじいちゃんでしたね~」
「そうやな、これからも長生きしそうや」
「そうですね~」
園常寺は倉庫室Bの鍵穴に鍵を挿すと、なぜかそこのままの状態で止まった。そして、何やら真剣な顔に変わった。
「あれ? どうしたんですか?」
「実はな、自分に見せたいもんがあるんや」
「見せたいもの?」
「覚悟はいいか?」
園常寺は鍵を回して引き抜き、扉を開けた。
「返事聞いてから開けてくださいよ~」
部屋の中は、銀色の壁に青白い光が反射した、霊安室だった。足元には光で際立ったドライアイスの煙が漂っている。
「なんですかこの部屋。不気味ですね~」
「自分に、伝えとかなあかんことがあんねや」
「なんですか~、先輩まで。愛の告白とかだったらOKできませんよ?」
「ちゃんと現実を知ってもらいたいと思ってな」
「なんですって!」
真ん中の棺の前まで来ると、園常寺は仰々しく蓋を開けた。複雑そうな顔の園常寺とは裏腹に、遠藤は驚愕した顔で棺の中を覗いている。
「! これは……」
「そうや。自分の母親や」
棺の中には、遠藤の母親が眠っていた。一切腐敗していないが、どう見ても生きているようには見えないほど白い肌をしていた。
「……どういうことですか? どうして、先輩が……」
「あの日、自分の両親が同時に不可解な死を遂げた日、残った母親の遺体は超常事件対策課が預かってたんや。それで、俺はこの体から初めてナノマシンを単離することに成功した」
「じゃあ、先輩のナノマシンって……」
「そうや。自分の母親のナノマシンや」
「……」
遠藤は口を開けたまま母親の顔を見ている。
「それともう一つ、自分のナノマシンは、自分の父親のナノマシンなんや」
「お父さんの……」
「事情が込み入ってるからな。両親を一気に亡くした当時の自分には、全てを伝えることができひんかったんや」
遠藤は棺に手を置き、身を乗り出すように覗き込んだ。
「……お母さんは今、どういう状態なんですか?」
「亡くなってるのは確かや。ただナノマシンが起動してるから、完全な死ではないんやと思う」
「……それは結局、どういうことなんですか?」
「生と死のちょうど境界線上におるんやと思う。ただ境界線は、死の側に含まれるやろうから、ここから生き返るとは考えにくい」
「……そうですか。……じゃあ、お父さんは?」
「父親の体は見つかってない。あの日自分が見たまんま、消えて自分のナノマシンだけになったんやろう」
「じゃあ、ナノマシンの被害者は……」
「自分の両親が最初ってことになるな」
遠藤は乗り出していた身を戻し、体を園常寺の方に向けた。
「やっぱり私、両親をこんなふうにした犯人が許せないです」
「……そうか」
園常寺は目線を下に落として言葉をこぼした。




