4-1
アローの屋敷から帰っての事はよく覚えていない。
リアに根掘り葉掘り晩餐会の事を聞かれたような気がするが、とても口にする気にはならずベッドに倒れ込んだ所で記憶は途絶えていた。
寝起きからずっと、身体が重かった。まるで全身のエネルギ―と言うエネルギーを昨晩で使い果たしてしまったかのように、身体も頭もずっしりと重かった。とっくに昼の食事の時間が過ぎていたが、ベッドの上で上半身を起こすのがやっとだ。
「――ルーフェン、入るわよ」
ノックと共に聞こえたつっけんどんな声に、僕は答える気力も無くただ視線だけを向けていた。何度目かのノックの後、痺れを切らしてドアノブに手を掛けた彼女の姿が現れて、僕は大きなため息を吐いた。
「何よ、居るんじゃない。返事くらいしなさいよ」
彼女は後ろ手にドアを閉めながら、ずかずかと部屋に足を踏み入れた。
「……気分が優れないんだ。察してくれ」
「あっそ。そんな事より、頼まれてた事だけど――」
僕の不調を「そんな事」呼ばわりしたメイドは、当たり前のように図々しくもベッドの淵にどっかり腰を下ろした。
「王室書庫なんて、皆聞いた事無いってさ。王宮書庫の間違いでなくて?」
「王室書庫――で、間違い無いはずだ。僕も確認を取った」
「ふぅん」
彼女は空返事をして、口をツンと尖らせた。
「そんなとこ、何の用事があるのよ。もし本当にあるとして、王室ってんだから、王様の部屋なんじゃないの?」
「そんな事、僕が知るかよ」
「じゃあ、何で探してるのよ?」
それは――言えるはずが無い。口が裂けても。
「……ま、いいケド」
彼女は足をぶらぶらさせながら、ベッドの天蓋を見上げる。
「そう言えば、貴族の中で姿が見えなくなった人が居るんだって。誰が消えたかまでは聞けなかったけど、城内が少し慌ただしいみたい」
僕から見えるのはそんな事を騙る彼女の後姿。目立つ赤い髪がサラリと揺れるのが、何ともなしに目に付いた。
「――!?」
途端に、僕は不意に覚えた吐き気に咽るように咳込んだ。
「ちょっと……大丈夫?」
慌ててリアがベッドに飛び乗り、背中をさすってくれた。そのお陰か吐き気はすぐに収まったが、代わりに額の毛穴から脂汗が浮き出るのがハッキリと感じ取れた。
「ガチで調子悪いんじゃないの。もう、しっかり休んでなさいよ……」
彼女は僕を無理やりベッドに寝かせると、乱暴に布団を上から被せてくれた。
「……悪いな」
彼女の髪が昨夜の炎に見えた。それくらい、あの光景は網膜に焼き付いていた。
もしかしたら、僕も諸侯達と同じように――それを想うだけで、身体の震えが止まらなかった。
「ったく……マルグリットも頭から布団を被ったまま起きないし、あんた達、昨晩帰って来てからあからさまに変よ?」
その言葉は暗に昨夜の出来事を問われているような気がして、僕は聞こえないフリをして彼女に背を向けるよう寝返りを打つ。彼女もそれで察してくれたのか、それ以上僕に何かを問い質す事は無かった。
「……あ、そうだ、もう一つあった」
ベッドを揺らしながら降りた彼女は、思い出したようにそう言い加えた。
「セドリックって名前なら、調べがついたわ。昔から居る老使用人に聞いた話なんだけど……彼、王宮礼拝堂の司祭だったそうよ。医者の代わりも務めてたみたい」
司祭――なるほど。《五芒星に巻く蛇》か。言われてみれば確かに、五芒星は教会に関係する家の人間が身分証明のために与えられる紋章に刻まれるものだ。
あの時は、そんな事すっかり抜け落ちていた。
「ただ、その……もう十年も前に亡くなっている人みたいよ。それも獄中で」
「獄中……一体何の罪で?」
「さぁ……そこまでは。終身刑だったそうだから、相当重い罪を犯したのは確かよ。もう何十年も獄中で過ごしていたみたい」
終身刑……珍しいな。
罪の償い方にはいろいろとあるが、たいていのものは『責め苦』か『極刑』で裁かれる。だが終身刑は違う。一生に渡り生き恥を晒す『生き地獄』の刑だ。神の名の下に人としての名誉や尊厳が尊重される中で、それらを踏みにじる終身刑は極刑以上の苦しみを伴うもの……とされている。
しかし、医者か……そんな人間の手記に一体何が書かれているんだ?
ますます、アレクセイの目的が不透明になって行く。
「で……他に、何か調べておくことはあるかしら?」
「……何?」
リアの言葉に、僕は思わず耳を疑った。寝返りをうって彼女の方を向くと、いつものぶすっとした顔がそこにはあった。
「調べる事あるの? 無いの?」
そして、怒ったような口調でそう問い詰めた。物言いはキツイが、彼女なりに気を使ってくれているのだろうか。体調が悪いせいもあってか、今はその気遣いが有難い。
「……十年ほど前の噂を可能な限り集めて欲しい。対象はシャルドン公、モンベルト候、ノワズ伯、オルキデ伯、ローリエ伯で――」
「ち、ちょっと待って! 今メモするから!」
リアは僕の机から筆記用具を持ち出すと、さらさらと慣れた手つきで羊皮紙にペンを走らせる。
「ならついでに書いておいてくれ……少しでも不審な気配を感じたらすぐに調査を止めること」
「それ……どういう意味よ?」
「……知らなくていい」
僕がそう口にすると、リアは肩を揺らしながら大股でこちらへと近づいて来る。その勢いに、思わず目を見開いた。
「あのね……あたしたちは今、協力関係にあるの忘れたの? だったら、話してくれても良いんじゃないの? あたしだけのけ者!?」
ものすごい剣幕で僕の顔を覗き込んだ彼女に、僕はただ口をぱくつかせることしかできなかった。そんな様子を見て彼女はため息を吐くと、僕の返事を待たずに踵を返す。
「……言われた事は調べといてあげるから、あんたはしっかり寝てる事。分かった?」
それだけ言うと、すたすたとドアの方へと歩いていく。
「あ……リア」
僕はやっとの思いで発した言葉で彼女を呼び止めていた。彼女は足を止めて、肩越しにこちらを振り向いた。
「その……ありがとう。助かる」
「んな……っ!?」
素直に口から出た言葉を受けて、彼女はものすごい勢いで僕に背を向ける。
「協力関係なんだから、あたしはその責務を果たしてるのっ!!」
それから彼女はこちらを振り返らずに、ドアノブへと手を掛けた。
肩越しに覗いた頬が、髪の色と同じくらい真っ赤に染まっていたような気がした。でもそれはきっと、身体の調子が悪いせいで見た見間違いだったのかもしれない。
その日は一日、ベッドの上で過ごした。厨房も気を使ってくれたのか、夜の食事は麦がゆにフルーツと、胃に優しいもので揃えられていた。それからリアの来訪にも気づかないぐらいぐっすり眠り(彼女から聞いた事だ)、気づくと次の日になっていた。
外は相変わらずの雨だったが、目覚めは比較的すっきりとしたものだった。時間が経つにつれて少しずつ気分も落ち着いて来たのか、頭の中も大分余裕ができて来た。そうなると真っ先に思い至るのは、あの嵐の夜の約束は正しい判断だったのかという事。
思えば思うほど、とんでもない事に足を突っ込んでしまったような気がして、それでもそれを避けられなかった自分の境遇を呪って、僕は何度にも渡ってどうしようもない虚脱感に苛まれていた。
そんな折、ドアが激しく叩かれるとリアが血相を変えて部屋に飛び込んでくる。
「ね、ねぇ、こっちにマルグリット来てない!?」
開口一番そんなことを口走った。
「いや……来てないが」
「本当!? ええぇ、嘘でしょ……」
「何かあったのか?」
眉を潜めて爪を噛んだリアに、僕は何気なく聞き返した。
「あの子、居なくなっちゃったのよ! 今朝、部屋に行ったらベッドから忽然と!」
……は?
「昨日の夜には確かに居たのに……」
「い、今、隣の部屋に居ないって事か?」
「そう言ってるじゃないの!」
僕はリアを押しのけるようにして廊下へ駆け出し、そのまま隣の部屋へと飛び込んだ。閑散とした彼女の部屋。使用済みのベッドは布団代わりのシーツが丁寧に畳まれて、メイドとしては几帳面らしい彼女の性格が表れていた。肝心の彼女の姿はそこに無かったが。
「嘘だろ……おい」
昨日はベッドに籠っていたと聞いていたし、相当なショックは受けていたはずだ。
では、怖くなって逃げ出した……?
僕の心の中で、いろいろなものが崩れ去った。
彼女が居なければ、明後日の調印式はどうする?
いや、そもそも主人が消えた僕の立場はどうなる?
今までのリアの話を聞くに、なんとも噂好きの宮中だ。話は瞬く間に広がるだろう。そうなれば、そもそもこの城に留まる事ができるかも怪しい。そして、留まる事ができなければ。約束を果たせなければ――
脳裏に、あの夜の炎がフラッシュバックする。次に、あれに包まれるのは僕だ――




