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雨上がりのクールドリヨン ~劣等貴族の下克上~  作者: もがみのどか
3章 嵐の中のタイラント
27/52

3-9

「い……いやあああぁぁぁぁぁっ!?!?」


 我に返ったのはマルグリットの悲鳴が響いた時。彼女は椅子から飛び降りると、土塊に背を向けるようにしてしゃがみ込み、鬼気迫る表情で肩を抱いて震えていた。

 僕は思わず駆け寄って、羽織っていたジャケットをその頭の上からかけてやる。

 何だ――何が起こっているんだ?

 訳が分からない。

 彼らの会話の内容も、彼らの関係も、目の前で起こった出来事の意味も。

 ただ一つ理解できるのは、あの男がモンベルト候を殺したという事だけだ。

 この、僕たちの目の前で。


「よ……よくも我が主をっ!」


 呆気に取られていた候の従者もようやく状況を理解したのか、腰に下げた剣を抜き放つと優雅に盃を煽る男へと迫った。が、その間に入ったのはハイドリクス。従者は目の前の障害を取り除こうとその剣を振るうも、彼は半身を反らしてそれを回避して自らのレイピアの柄に手を触れる。そして、ほんの瞬きをする間に抜き放たれたそれが、従者の胸元を一突きにしていた。

 次の瞬間。赤い泡を吹きながら魚のように口をパクパクさせた従者は、しばらくしてゆっくりと床に崩れ落ちていた。

 そんな様子を尻目に、男は従者の気迫など意にも介せずに、今度はノワズ伯へと視線を移した。


「ひっ……」


 小さな悲鳴を上げるノワズ伯を守るように、彼の従者が前に立ち、剣を抜き放った。


「さて……同じく十年前。故モンベルト候の積み荷を我が領の貨物船に乗せる手配を行ったのは貴殿だったな。港を出入りしているのを見かけた記憶があるよ」

「だだだだ、誰なのだ貴様はっ! 何故アロー家の《紋章術》を――」


 そこまで口にして、ノワズ伯はそれ以上言葉を紡がなかった。代わりに顔じゅうから冷や汗を流しながら、見開いた瞳で男の姿を捉え、そして恐れおののいていた。


「ま……まさか貴様――」


 ガタリと椅子を倒して後ずさるノワズ伯。従者もまた、剣で男をけん制したまま合わせて後退する。


「バカな……そんなはずは無いっ! あの島から出られるハズが……!?」

「……語る口も無いか」


 男は小さくため息を吐くと、興味が失せたようにして指を鳴らした。同時に、モンベルト候の時と同じようにノワズ伯が従者もろとも火柱に包まれていた。


「ぎやああああぁぁぁぁ!」


 まさしく夢のような光景だった。悪夢だ。夢であって欲しい。

 僕はなぜ、この場に居るんだ?

 何故、こんな目に遭っている……?

 肺が焼けるような熱風を吸い込んで、喉はカラカラに乾ききっていた。

 だが同時にモノが喉を通る気もしなかった。逆にせり上がってくる胃液を押しとどめるのに必死だった。テーブルの上の大きな水瓶が、炎に照らされて鈍く輝いていた。


「次は――オルキデ伯か」

「ぼぼぼ、僕は何も知らない! 本当だ! 何一つ知らなかったんだ!」


 オルキデ伯はマルグリットのように椅子から飛び降りると、床に両手をついて額を地面に擦り付けた。


「頼まれて書いただけなんだ! 何に使われるかなんて、一切聞かされていなかった! ま、まさか君があんなことになるなんて……本当だ! だから……許してくれっ!」


 必死の懺悔だった。領地の放棄は諸侯にとっては最大級の恥であり、末代まで後ろ指を指され生きて行くものだ。僕には、それがどれだけの事か分かっている。

 だから、彼らが何をしたのか分からないが、オルキデ伯の覚悟だけは痛いほどに理解できていた。


「そうだな……確かに、貴殿は何も知らなかったのだろう。他の二人……いや、三人とは違う。一人は私が手を下すまでもなく、この世を去ってしまったがね」

「じ、じゃぁ……!」


 オルキデ伯は救われたかのような晴れやかな表情で表を上げた。


「だが、貴殿は『知ろうとはしなかった』。そして知った後も、何もせずにのうのうと生き続けた。偽証であると、申告する事もできたのに……!」

「は……へぁっ」


 カエルを潰したような、声にならない吐息がオルキデ伯の口から漏れた。


「うひいいいいぃぃぃぃ!」


 彼の従者は弾かれたように自らの主を置き去りにして、一人扉の方へとかけていく。

 が、扉へと手が触れる直前にその身体は炎に包まれ消し炭となっていた。


「ずいぶんと薄情な従者を持ったようだ。これなら、思い残す事もないだろう」

「や、やめてくれぇぇぇぇぇ!」

「――嫌だね」


 四度目の火柱が、音もなくオルキデ伯を葬った。

 人はなんて簡単に死ぬのだろう。それはすべて、あの力の強大さに由縁しているが。

 真っ向からでは決して叶わない。頂点に立つ者との圧倒的な力の差に、僕の心もただ震える事しかできなかった。


「最後にローリエ伯か。本人ではないが……その愛娘であれば地獄で悔しがるだろう」


 男の視線が自分に向いたのを敏感に感じ取ったのか、マルグリットはびくりと肩を震わせて、被った僕のジャケットをギュと握りしめた。三人の人間を文字通り一瞬にして消し炭にしたその手がゆっくりと空中に弧を描き擡げられる。

 嫌だ。死にたくない。どうすればこの場を脱する事ができる?

 戦う……いや、無理だ。僕の力ではあの炎に太刀打ちする事はできない。

 では逃げるか?

 それも無理だ。おそらく僕らが行動するよりも、あの美少年の方がはやい。

 考えろ、考えるんだ……こんな訳も分からない状況でくたばってたまるか!

 脳細胞をすり減らして策を考える。だが、どれだけ考えようとしてもたった今目の前で起きた光景が脳裏にちらついて、一切の思考力を奪っていく。

 『自らがそうなる未来』が、脳の大部分を支配していく。

 男の濁った瞳に僕らの姿がぼやけて映る。その瞳の中に輝く憎悪の炎に、身も心も既に焼き尽くされた心境だ。目の前の男にこれだけの感情を抱かせることの何かを、今日集まった諸侯たちはしでかしたのか?

 その尻拭いに、なぜ僕らが命を支払わなければならないんだ?


「いや――」


 思いついた……!

 そうだ、僕らには『全く関係が無い』事。それに関しては明白なのだ。

 なぜなら――


「シ、シャルドン公……いや、この際誰でもいい。その炎で僕らを包む前に、一つだけ話を聞いてくれないか」

「……ほう、何かな?」


 男は振り上げた手をぴたりと止めて、小さく首を傾げて見せた。

 ほんの僅かに伸びた命で、僕は一か八か口にする。


「彼女は……オードリィ・ミュールじゃない」

「……ふむ?」


 眉を潜めながら、男は興味なさ気に僕らを見る。

 その一瞬の隙を突いて、僕は一気にまくし立てた。


「オードリィ・ミュールはお前の狙いだったヘルナルと共に土砂の中に沈んだ。彼女は共に王都へ向かっていたメイドだ。名はマルグリット。貴族社会もロクに知らない、みすぼらしい平民だ。僕も本当は紋章官なんかじゃない……僕らは式典に形だけ参加しに来た、ローリエ候団の偽物だ――」


 言い切って、大きく肩で息をした。

 首元が熱い。耳の後ろの血管が激しく波打つのを感じる。

 決して明かしてはいけない僕らの弱点。だがそれは、この場においては最大の切り札になり得る。彼にとって復讐価値の無い存在である事が分かれば、この場を切り抜ける目はある。


「……言っている意味がよく分からないな。仮に君たちが偽物であったとして、一体何の得がある?」

「……僕はゴート家の跡取りだ。僕の家の事に関しては知っているだろう」

「もちろん――『元』四大名家が一つ。《翼獅子》のゴートよ」


 ドクリと心臓が高鳴り、肺が強く圧迫されるような感覚を覚える。


「四大……貴族?」


 ぽつりと、震える声でマルグリットが反芻した。弾かれたように視線を落とすと、彼女は怯えた視線で僕の事を見上げていた。


「おや……知らなかったのかな? てっきり、その『ネームバリュー』を持って雇われていたものと思っていたよ」


 彼の言葉はもちろん皮肉だった。嫌な皮肉だ。


「知らないのなら教えてあげよう。彼がどのような境遇の人間であるか……何、これはほんの親切心だ」

「な……やめ……!」


 僕の静止も気に留めず、彼は昔話を語るように言葉を紡いだ。

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