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一度自分の部屋に戻ってからすぐにマルグリットの部屋に集まると、ナイフで蝋を剥がして中のカードを取り出した。案の定、中にはニコラス・アローからオードリィ・ミュールへ、晩餐の誘いの話を通してほしいと言う旨が記されていた。
「不都合が無ければ、明日の夕方に馬車が迎えに来るそうだ。返事を書いて良いな?」
「あ……は、はいっ!」
マルグリットはどこか顔を赤らめて、力強く頷いた。いつに無い迫力に思わずまじまじと彼女の事を見返してしまったが、気を取り直してすぐに返事をしたためると、それをリアへと手渡した。
「郊外のアロー家の屋敷まで頼む」
「はいはい」
リアは溜息を吐きながら受け取ると足早に部屋を去って行った。まださっきの事を根に持っているのだろうか。まあ、手紙さえ届けて貰えれば彼女がいくら不機嫌でも何ら支障はないが。
「さて、マルグリットにはこれを渡しておこう」
僕はマルグリットに向き直ると、部屋に寄った際に持ってきた、筒状にした手のひらサイズの二枚の羊皮紙を彼女に手渡した。
「これは、何でしょう……?」
一枚を広げてみながら、彼女は首を傾げる。そこには、《水瓶に巻き付いた蛇》を模ったミュール家の紋章が、可能な限り精巧に描かれていた。無論、描いたのは僕だ。
「《偽符》だが……それらしいものを見た事も無いか?」
「《偽符》……?」
「ふむ……マルグリットは《紋章術》に関してどの程度の知識がある?」
問いかけると、彼女は口元に手を当ててしばし唸ると、小さく首を横に振った。
「高貴な生まれの方々が使える、魔法……のようなものとしか」
まあ、その程度のものか。《偽符》の方は時と場所によっては比較的ありふれた術式になりつつあるが、少なくともミュールの家で使われているのを見た事は無い。
「その認識で概ね間違いは無い。《紋章術》は、紋章を持つ家柄――つまり貴族の血を引く人間が、自らの家紋に定められた力を自在に操る事ができる――そういう魔術だ」
言いながら、僕は文机に置きっぱなしにしたペンに指先で軽く触れると、もう片方の手で胸元の《翼獅子》の飾りボタンを握りしめ、《力》を込めた。淡い青緑色をしたエーテルの輝きが、手元で小さく《翼獅子》の紋章を模り、そのままペンを包み込んだ。そのままペンから指を離すと、マルグリットに良く見ておくように目線で合図を送る。
「……わぁ!」
彼女の見ている前で、ペンがふわりと宙に浮きあがった。そのまま、僕らの周囲を踊るように、くるくると飛び回らせてみる。マルグリットは、目の前で起きた神秘に心が弾んでいる様子だった。
「《視界にある無機物を触れずに動かす》。これがゴート家の紋章の力だ」
空中を飛び回っていたペンを、インクボトルに浸させる。そして、手頃な紙を彼女の前で広げると、その上にさらさらと我が家の紋章を描いて見せた。
「すごいですね……まるで生きてるみたい!」
「動かしているのはあくまで僕の意志だ。逆に言えば、僕が認識できないようには動かすことができない」
僕の力は《イメージ》だ。感覚としては、その物体を『自分が実際に動かしているように動かす』というのに近い。だから『イメージできない動きをさせる』ことはできない。例えばこの力で『適当に剣を振る』事はできても、『剣術』を披露する事はできない。その所作を僕は知らないからだ。
「《紋章術》の行使には三つの条件がある。『紋章』と『血脈』と『エーテル』だ。『エーテル』は世界のありとあらゆる所にありふれている第五元素の事だが、『紋章』はそれを模った何かを身に着けていなければならない。『血脈』は、その紋章を背負う家系の血を引いていなければならない。『血脈』があっても『紋章』が手元になければ力は行使できず、『紋章』があっても『血脈』が無ければまた然りだ」
《紋章術》は一種の契約だ。『紋章』に契約した『血脈』しか扱う事ができない。そしてその血は濃ければ濃いほど、『紋章』の持つ本来の力をより発揮する事ができる。そして《紋章術》の強さこそが、金にも勝る地位をその家に与える。
そのため、大貴族と言われている家ほど濃い血縁――すなわち親族結婚で繁栄して来た。いとこ同士など、できる限り血縁の近い者同士で結婚を行い、子を成し、次代の血の濃度を保つ。三大名家ともなれば、実の兄妹同士で結婚する事もままあるほどだ。
混血は紋章の力を弱くし、時にその本質すらも変えてしまう。子供が成せない、男(女)しか生まれない、などの理由で泣く泣く他家の血を入れざるを得なかった家は、例外なく品位を落とした。我がゴート家も同じように。
「僕はゴートの血縁を持つが、その縁は希薄だ。そのため、僕が扱えるこの《翼獅子》の力はとても限定的。本来の力に多くの制約が課せられている」
一つ、対象は一度に一つきりであること。
一つ、対象に一度触れる必要があること。
一つ、対象はそもそも《力》を使わずとも自分の力で動かせるモノであること。
以上が、血が薄まった事による力の制約だ。これらの条件を満たさなければ、僕は力を振るう事ができない。そのせいで、僕の家系は落ちぶれた。そのせいで、ずっと馬鹿にされてきた。
だから僕はこの力が嫌いだ。
自分の家が、紋章が嫌いだ。
「それでも……何の力も無い私から見れば夢みたいな事です」
マルグリットは楽し気に、宙を自在に飛び回るペンを視線や手で追い回していた。
彼女には、僕の気持ちは分からないだろう。でも、だからこそ余計な事は考えずに、純粋にこの力に驚いてくれている。それは僕にとって皮肉でもあったし、ありがたい事でもあった。




