9、フミは味方につけないと
数日、雨が島に降り続いていた。
吹く風はどこか重たく、海は雨に煙って水平線もぼやけている。
そんな中、庭の紫陽花は、日ごとに色を深めていく。
芦屋家は、葵と波美子の結婚の段取りを手紙で知らせてきた。波美子はそれを見て不満を言う。
「わたくしの式は芦屋家で挙げて、お父様も葵もは参列なし。葵は式もなく書類だけで入籍するのですって? おかしいわ。一生に一度の大事な結婚なのに、葵が可哀想よ」
琢朗は娘と手紙を見比べ、困り顔だ。
「お父様が先方にちゃんと式をしてくれるよう頼もうか。」
——我が家、立場が弱いからなあ。
葵は首を横に振った。
「私は格式ばった式は面倒だったので、ちょうどよかったです」
「葵! 無理しなくていいのに」
何やら誤解されてしばらく可哀想な子扱いされたが、仕方ない。
嫁ぎ先の家は、芦屋家の広大な敷地内にある。樹宮兄弟は芦屋家の一員なのだ。
◇
丙は安堵した。
「いやがられるかと思ったけど、式をしないことに了承がもらえてよかったです」
伊豆諸島と帝都では、季節が半歩ずれているように感じられた。
丙が芦屋家の本邸に顔を出すと、芦屋家当主の怜士は白髭をしごきながら、少しでも野心を持たせようとしてくる。
「丙。結婚を機に町医者など辞めて、もっと高みを目指したらどうだ」
「結構です」
武政に続く形で皇族となったが、丙が望むのは、町医者として患者と向き合う穏やかな日々だった。
「僕は子供のころから町医者になりたかったんです。高みを目指すなら医療の発展に寄与することや、ひとりでも多くの患者を救うことを目指しますよ」
怜士は碁盤を前に伝承語りを始めた。
耳にたこができるほど聞かされている話。太陽に棲むと伝えられる神鳥、金烏の話だ。
「黄金の烏は夜明けとともに天へ昇り、夕暮れには西の果てへと帰り、古より太陽を運ぶ霊鳥として……」
欠伸が出そう。
この聞き飽きた昔話を聞く時間は無駄ではないか。診療所へ戻って仕事するほうが有意義だ。
「はるか昔、この国が幾度となく乱れた折、金烏は天命を受けた一人の皇族にその加護を授けた。それはなぜか」
「今度、金烏にきいてみますよ」
丙は碁盤に石を置き、にこりと微笑んだ。
怜士は、視線を碁盤の上に彷徨わせて「ぐぬぬ」と唸り、投了を告げる。
「丙、もう一局、よいではないか」
「僕を待っている患者がいるので」
こういうことを言うのも「町医者などやめろ」と言われる一因だろうな、と思いながら肩を竦めて、丙は席を立つ。
「兄さんが喜んで国を背負うって言ってますよ。やる気がある人に任せたらいいと思うなあ」
「選ばれた者には、選ばれた者の責務がある。お前に自由があると思うか」
「でも僕は貧民窟育ちで、自意識が平民なんですよね。誰のせいだろうなあ」
丙は毒気付いた。
丙の父親である今上帝は、強引に母を寝所に引っ張り込んで孕ませた。母は望まぬ我が子を産んだあと、捨てたのだ。
本邸を出ると、芦屋家の養子になって以来、使用人として世話をしてくれているフミがにやにやとしながら待っていた。
「丙お坊ちゃま。怜士様も驚いていらしたでしょうね、坊ちゃまが恋愛をなさって強引に結婚だなんて……怜士様はなんて? そして、坊ちゃまはどのようにお返しになられたのです?」
「そういう話はしなかったよ。あと、坊ちゃまはやめておくれ」
「ええ、ええ。もうご立派な紳士におなりですものね。格好つけたいお年頃ですわね」
フミは口に手を当てて、くねくねと身をよじらせている。ちょっと気味が悪い。
「お相手のご令嬢はどんなお嬢様なんです? 異能は持っておいでで?」
このフミは古株の使用人で、芦屋家当主の信頼が厚く、一族内に顔が利く。
芦屋家では珍しくないことだが、フミは異能を何より尊ぶ人間だ。異能を持たない者には厳しい。
丙は葵が心配になった。
フミは、味方につけてあげないといけない人材なのである。
——葵さんは、フミが気に入りそうな能力がある。それに性格もいいんだ。
「葵さんは人外のものを見聞きできる。結界術も嗜んでいると思う。利発で行動力があって、家族想いで……苦労してる娘だ。助けになってあげてほしい」
熱心に売り込むと、フミは目を爛々とさせた。
「あら~! 丙様がそんなにご熱心に賞賛なさるなんて! それに、苦労人というのがよいですわね、芦屋家には苦労知らずの箱入りお嬢様は似合いませんもの!」
芦屋家当主もフミも、まともに相手していると疲れてしまう。人生というのは面倒だ。
丙はネクタイを締めなおし、門の前に待たせていた自動車に乗り込んだ。
——葵さんが芦屋家で煩わしい思いをしないといいけど。
走り出す車の中で足を組み、頬杖をついていると、「さようでございますね」と運転手が相槌を打つ。その気はないが、どうも声に出していたらしい。




