39、兄弟の嫁取りの話
怜士は丙に言った。
「今こそ血筋を明らかにする時だ」
今上帝の世継ぎはすでにいる。
だが、それとは別として、真実を世の中に知らしめて、その血筋に見合った待遇を受けるべきだ。
怜士はそう主張したのだが、丙は気が進まなかった。
「僕はそういうのは嫌です。目立つのも好きじゃないし。現在の生活に不満もないし、将来は町医者になりたいんです。高貴な身分の連中の腹黒い権力争いに参加するなんて、まっぴら御免だ」
夜空では群雲が月の手前を流れていく。
怜士は丙を説き伏せようとした。
「お前たちを養子に迎えたのは、占術で丙が金烏の加護を持つ帝のご落胤だと出たからだ」
その言葉を聞いたとき、丙は「ここに兄がいなくてよかった」と思った。
月を映していた水面は、いつの間にか黒い鏡のようになっていた。
丙は唾棄するように言い放つ。
「ああ、そうですよね。単なる憐憫や親切心で孤児を引き取ってくれる人なんて、上流階級にはいないんだろうな!」
「憐憫や親切心もある」
怜士はそう言いつつ、帝の御子であることがどれだけ特別かを説く。
聞いているうちに、丙はだんだんと「自分が名乗り出ることが義務なのではないか」「自分は芦屋家に大いなる借りがあり、それを返さないといけないのではないか」という責任感のようなものを植えつけられていくような気がした。
「海外には、こんな言葉がある。お前もよく学んでいるから知っているかもしれない。『高貴なるものの崇高なる義務』だ」
怜士の言葉に丙は屈服しそうになった。
しかし「わかりました」と言いかけたとき、兄が襖を開けて入ってくる。
いたずらっぽく八重歯を見せ、悪びれずに笑って。
「いやあ、俺だけ除け者は嫌だなと思い、隠れて話を聞かせてもらいました」
兄はこのとき、すでに軍人となってその能力の高さを世に評価されていた。
実力と容姿と家柄と人柄、その四点を兼ね備え、上にも下にも広く人気のある自慢の兄だった。
兄が笑うと憎めない。
どんなに深刻でも、ふっと気が楽になる。
このときも、なんとなく釣られて「兄さんは相変わらずだなあ」と笑ってしまったものだ。
「俺と丙は兄弟なので、兄弟一緒に皇族として名乗り出たらいいんじゃないでしょうか。丙は皇族の振る舞いをしたくないようですが、 兄の俺が、弟の分も高貴で特別な皇族として成り上がってみせましょうッ」
怜士はそこで初めて兄の存在を思い出した顔になり、「そういえばお前は兄だったな」と思案する気配を見せた。
その表情には迷いが浮かんでいた。
本当は血を引いていない兄を皇族として扱うことに、抵抗があるのだろう。
けれど、兄の提案で僕が兄に金烏の加護があるように演出して民衆が『金烏の軍神』と兄を讃え出すと、怜士は少し乗り気になった。
「丙。平民宰相が執政する世だ。俺は貧民窟育ちの皇族となって、多少なりお前好みの世の中にできないか引っ掻き回してみよう」
「兄さんの名前が歴史に残るんだ。わくわくするな。金烏の加護ってすごいんだなあ。下手したら時代の帝位まで狙えそうじゃないか」
兄弟が足場を固める中、芦屋家に手紙が届く。
それは、怜士が以前縁を結んだ文通相手の家からだった。
その名は尭司家といい、神裔名家のひとつだ。
神裔名家は、都では誰もが一目置く、異能力持ちの家門。
陰陽道の名門、土御門家に芦屋家。
緑と蟲を従える蜂須賀家。祖先に鬼の花嫁を持ち、その膂力を継ぐ鬼神院家。
そして、人魚の末裔、尭司家。
丙も、尭司家という名を聞いたことはあった。
ただ、それは「昔は名門だったが、今は途絶えた家」という程度の認識だった。
手紙の内容は印象的で、尭司家の令嬢には異能があるという。
都の神裔名家は世代交代の果てにそれぞれの一族の数を減らし、異能使いも生まれにくくなっている。
ゆえに、異能持ちの尭司家の令嬢というのはたいそう価値のある存在に思われた。
そんな令嬢の所在を、自分たちだけが知っている。尭司家は危機的状況に陥っており、今ならば助けることができる。
助けてしまえば、あとは恩に着せ放題だ。
怜士と兄は嬉々として縁談を申し込むことを決定し、尭司琢朗を救い、令嬢を手に入れることにした。
現地、尭司家は厄介な呪術師が支配しているらしい。
丙は金烏の力で呪術師に対抗するため、また、医者として尭司琢朗を救護するために兄に同行した。
そこで、葵と出会ったのだった。
◇
葵は男装していて、擦れた気配を滲ませていた。きっと苦労しながらたくましく育った子なのだ。
貧民窟にいた頃の仲間とどことなく重なる。貧民窟には、着飾る余裕がなかったり、身を守るために男装をする女が多かった。
仕えている令嬢とも良い関係を築いているようで、主人と従者というよりは姉妹のよう。それが自分と兄を連想させる。だと言うのに、兄が令嬢を娶るせいで二人は離ればなれになる様子……。
「葵さんは彼女の世話係を辞めてしまうのかい」
「たぶん辞めるのかなって思ってますよ」
仲のよい二人が離れ離れになるのは、なんとなくいやだった。
おそらく、自分と重ねて感情移入してしまっているのだ。それで、思いついたのだ。
——この子と僕が結婚するのはどうだろう。
丙は兄とは真逆で、権力から遠ざかって平穏に生きたいと思っている。
そのためには、頻繁に申し込まれる上流の家柄のお嬢さんとは縁を結ばないほうがいい、と考えていた。
なので縁談を片っ端から断り続けていたのだが、相手が平民なら?
それも、出自が都ではなく、海を越えた先の小さな島だったら?
嫁を取ったことで縁を結ぼうとする家は諦めるだろうし、嫁の身分を知れば「こいつは高みに昇ろうという野心がないのだな」と誰もがわかってくれるに違いない。
そして、兄が代わりに高みに昇ってくれる。最高ではないか。
——とはいえ、都に行きたくないなら、無理強いはいけない……。
丙は慎重に葵の心を探ってみた。
「葵さん、尭司家は歴史あるお家だから、書庫がさぞ充実しているだろうね」
「ええ、まあ。おかげで、多くの知識を得られました」
「芦屋家も尭司家と同じくらい由緒正しい家柄で、珍しい書物がいっぱいるんだ。興味ないかな?」
「それは、ありますが」
「帝都を観光してみたくない? 都会への憧れは?」
問うと、葵の目がきらきらと輝く。
綺麗だ。
「じゃあ、君も来る? 僕が君が見たいものを全部見せてあげるよ」
——僕はこの子を喜ばせることができる。幸せにしてあげよう。
葵が実は尭司家の令嬢だと知らされたのは、そのあとだった。
芦屋家当主の怜士は報告を受けて、たいそう機嫌よく酒を飲んだ。
「ははは! 平民だと思った娘が令嬢だったのか。望まずとも自然と強い札を引き当てる……丙は持っているな。やはり特別なのだ、お前は」
偽者とは違う。
お前こそが金烏に選ばれし正統なる皇子。
次代の国の柱となる御子だ。
酔った怜士が高らかに言ったので、丙は最悪な気分になった。




