37、薬草園
目を覚ました翌日から数日間、葵は西屋敷の寝室で静養することになった。
葵は少し迷ってから、金烏が見せてくれた母親の過去についてを父、琢朗への手紙にしたためて送った。
琢朗からの返事は、まだ届いていない。
東屋敷からは見舞いの果物や花が毎日のように、たくさん届く。
波美子は蝶子夫人に憑かれていた後遺症で体調を崩して寝込んでいたようで、病床で筆を執り、手紙で謝ってくれた。
『葵へ。あのときは、どうかしていたの。なんだか悪い方へと考えが向かってしまって、そのあとのことも覚えてないの。わたくしのせいで体調を崩してしまったのなら、申し訳ないわ』
樹宮兄弟は、波美子には「母親の魂が波美子に取り憑いていた」と伝えなかったらしい。
丙からそう聞いたとき、葵もその判断に頷いた。
知らせても波美子が傷つくだけだ。だから葵は事件の真実を伏せた。
『波美子へ。波美子のせいではないよ。私は、ちょっと感冒にかかってしまっただけ。もう元気だよ。波美子も同じ感冒だよね。私たち、一緒に町で同じ感冒に罹ってしまって災難だね。お見舞いの品、ありがとう』
手紙を返しつつ、葵は波美子が心配になった。
蝶子夫人に憑かれていた影響はあるだろうが、あのとき愚痴をこぼしていた武政や芦屋家への不満は、少なからず本人が抱いている本心だろう。
おそらく、心に根差した小さな情念の火種が巨大な炎に燃え上がるよう煽るのが、あやかしや呪術の技なのだ。
「丙様、波美子の話なんですけど……」
波美子の不満と懸念事項を伝えると、丙は「もっともだ」と理解を示した。
「僕もたまに許される嘘と越えてはいけない一線を越えた工作の是非について考えるんだ。兄や怜士様とも話し合うことにするよ」
長く眠り続けていたせいか、フミは葵を案じて過保護になり、なかなか起き上がることを許さない。
「フミさん。私、もう歩けますよ」
「歩けることと、休むことは別のお話です。大変なことがあった時は思いがけず心の深いところに傷ができていたりするものですわ」
「でも……夕餉の支度は、妻として私の役目では?」
「それは奥様がお元気な日のお仕事ですの」
——元気なんだけどなあ。
窓の外では、庭師が薬草園の手入れをしている。
穏やかな午後の日差しが障子越しに差し込み、部屋には薬草茶の優しい香りが漂っていた。
「葵さん。ずっと部屋の中にいるのも気持ちが塞いでしまうんじゃないかな」
「塞ぎきっています! 出してください!」
「うん……元気があって安心する」
丙が薬草園の散策を提案するので、葵は全力で飛びついた。
◇
二人は縁側から庭へ降り、薬草園へ向かった。
庭の一角には、背丈の低い木枠で整然と区切られた畑が広がっている。札には『甘草』『当帰』『薄荷』『芍薬』と墨書きされ、それぞれの薬草が青々と葉を茂らせていた。風が吹くたび、青く爽やかな香りと、どこか土の甘い匂いが混ざり合って鼻をくすぐる。
庭師は屈み込んで雑草を抜き、籠いっぱいに摘み取った葉を日向へ広げて干している。軒先には束ねられた薬草がいくつも吊るされ、さらさらと風に揺れていた。
「この辺りは診療で使う薬草だよ」
丙はしゃがみ込み、一枚の葉を指先でつまむ。
「これは薄荷。香りを嗅ぐだけでも気分がすっきりする」
葉を軽く揉んで差し出されると、ひんやりとした清々しい香りがふわりと広がった。
「いい匂い……」
「兄さんが教えてくれたんだけど、波美子さんはこれまで通り東屋敷の夫人を続けるそうだよ」
「それはよかったです」
返事してから、葵ははっとした。
波美子を通して、波美子と葵の会話が伝わっているのでは。そう思って顔色を窺うと、丙はその疑念を肯定した。
「逃げないかと誘われて、君は断ってくれたんだよね。ありがとう」
そして、少し言葉を選ぶ気配を見せてから、はっきりとした口調で打ち明けた。
「僕は先の帝が蜂須賀家の娘に手を出して産ませた庶子でね……」




