28、そこにいるのね
丙が高級な果物をお土産にくれた。
甘い香りがする、よく熟れたバナナだ。
葵が皿に置いて果物用の小刀で切っていると、フミが手紙を持ってきた。
「葵様。東屋敷の方から、手紙がまいりました」
「ありがとうフミさん」
帝都に出かけた日のあと、西屋敷と東屋敷との間で、手紙が交わされた。
『波美子へ。帝都見物のお土産をお届けしたく、近いうちに東屋敷へお伺いしたいと思っています。ご都合はいかがかしら』
『葵へ。ぜひ明日にでもいらしてちょうだい。わたくし、薔薇柄のお着物を着るつもりなの。お揃いにしましょうね』
葵は手紙でお伺いを立てたあと、丙と一緒に東屋敷を訪問して帝都観光のお土産を渡すことにした。
訪問の日は、朝から雨が降っていた。
縁側の向こうでは、庭木の葉先から雫がこぼれ落ち、石畳を静かに濡らしている。蛙の歌声が聞こえて、葵は波美子に会うのが楽しみになった。
「葵様、東屋敷の夫人は腹違いの妹様でいらっしゃるのですよね?」
「ええ。そうよ。とても仲がいいの」
フミは箪笥から何枚もの着物を取り出し、一枚ずつ丁寧に広げていく。葵は瑠璃色の縮緬に大柄の白薔薇模様の着物を選んだ。白地に水色の流水模様と黄色の花をあしらった帯を二重太鼓に結び、鮮やかな蜜柑色の帯揚げを合わせる。
「買ったリボンは僕が付けてあげようか」
濃紺の三つ揃えに葡萄色のネクタイを締めた丙が後ろにまわり、リボンを結ぶ。
姿鏡の前に座る葵の目には、丙がリボンを整えてから自分のネクタイを緩めるのが見えた。
「華があるなあ。近くにいるだけで世界が明るくなったみたいだよ」
正面にまわって満足そうに言う丙のネクタイはだらしなく緩み、曲がっている。
「あの……直しましょうか」
「ああ、ありがとう。助かるよ。しっかり結んだつもりだったのだけど」
葵は手を伸ばして直してあげた。
——今、ご自分で緩めていませんでした?
妙にうれしそうに丙がネクタイを見ているので、葵は真実を追求する気が失せてしまった。
ネクタイを直してほしかったんだろうか。
もしそうなら、なんだか可愛い。
◇
東屋敷へと続く吹き抜けの渡り廊下を抜けると、庭一面に薔薇園が広がる。
「こちらへどうぞ」
東屋敷の使用人に案内された客間は畳敷きの和室で、波美子と武政が待っている。
波美子は生成りがかった白地の裾へ向かって紅薔薇が咲き連なる着物姿で、首元にはレースのチョーカーをつけていた。
隣に立つ武政は深い鉄紺色の羽織に、墨色の長着を合わせていて、なにやら言い合っている。
「波美子。こういうときは俺の後ろを半歩下がってついてこい」
「いやですわ。わたくしの邪魔をしないでくださる?」
波美子と武政は出会い頭に睨みあっていたが、すぐに笑顔を浮かべて葵と丙を歓待した。
「久しぶりね、葵。遊びにきてくれて、うれしいわ」
「波美子、久しぶり。元気そうでよかった」
久方ぶりの再会を喜ぶ姉妹を見ながら、丙が兄に呟く。
「これが僕の見たかった景色なんだな。それにしても、兄さんと波美子さんって実はあまりうまくいってないよね。相性が悪いと思うんだ。どっちも『自分が引っ張るから従え』な性格みたいだし」
「丙、帰ってもいいぞ」
「いやだ」
練り切りと玉露をいただきながら、葵は土産のリボンを差し出した。
「あら。同じリボンが二つあるわね」
波美子が不思議そうに見比べるのを見て、丙が「そうそう」と兄を見る。
「兄さん。そのリボンは兄さんがつけるんだよ」
「お前は何を言ってるんだ?」
全員でリボンをつけると、丙には妙に似合っているが武政はまったく似合わずにさっさと外してしまい、波美子は手を叩いて喜んだ。
「兄さんはせっかくの贈り物をいやがって、困った人だねえ。そういえば、僕は今日ネクタイを葵さんに結んでもらったよ」
「お前、兄に向かってさりげなく自慢を……?」
兄弟仲の良さが溢れるやり取りを背景に、波美子は葵を庭へと誘った。
「姉妹水入らずで積もる話もあるでしょう?」
波美子に問われて、葵は同意した。
「お互い積もる話もあるでしょうしね」
「そもそも本日、本当はわたくし、葵と二人だけで会いたいと言ったのよ。なのにあいつ、同席すると言ったのよ。何をするにもついてくるの。邪魔よね」
波美子は満更でもなさそうな顔なので、これは一種の惚気なのだろう。
「手紙にも書いたけど、武政様は皆に惚気てたよ」
「うわあ。いやだわ。形だけの夫婦よ、わたくしたち」
「本当は仲が悪いの? 嫁ぐ前は『素敵』って喜んでたのに」
「嫁いでみたら、そんなに素敵じゃなかったのよ」
庭へと降りると、薔薇の香りに包まれながら、波美子は華やかに笑む。
「葵。パフェーはもう食べた? 甘くておいしいのよ。今度連れて行ってあげるわ」
「食べてみたい!」
葵は未知の甘物に目を輝かせた。
波美子はニコニコとしながら薔薇に指を滑らせる。棘がその指を傷つけ、赤い血が流れても、表情は変わらない。白い指先に落ちた赤は薔薇より鮮やかで、葵の胸がざわりと騒いだ。
「波美子、怪我……」
葵が指に触れようとした瞬間、ねっとりとした声が波美子の紅唇から零れ出た。
「【葵。葵なの? そこにいるのね、葵?】」




