26、御前集会
西屋敷に着くと、茄子川が心配そうに出迎えてくれた。
「町で爆破騒動があったようですね。心配しておりました」
丙は自分たちが騒動に居合わせたとは言わず、「物騒だね」と肩をすくめる。
「葵さんという家族もできたことだし、うちも警備を雇ったり使用人を増やそうかな」
「ご家族関係なく、丙様の安全と利便のために警備や使用人は増やすのがよろしいかと存じます」
茄子川らしい物言いに丙が「家族は関係あるだろう」と首をかしげている。その背後で、フミは「せっかくの帝都観光でしたのに、お可哀想」と同情して、真っ青になって震え、涙まで浮かべた。
「奥様、初めての観光の日に爆破事件だなんて……お可哀想に……」
フミの深刻な顔色と声を聴いていると、少し間違えれば店にいた全員が命を落としていたかもしれないという実感が湧いてくる。
振り返ってみると、自分たちが出くわしたのは、とても危険な事件だった。
爆発するというのが大事すぎて現実感が薄かったし、事件のあとに見かけた武政の振る舞いもどこか遠い出来事のように感じられて、なにより帰りの車の中の安全な雰囲気に流されてのほほんとしていたが、大変な事件だったのだ。
実感が湧いてくると、葵は少しずつ怖くなってきた。
——危ないところだったんだなあ。
爆発する前に気づいてよかった。それに、あの薄黒い花弁。まるで墨で染めたような桜の……そうだ。
すごく危険なあやかしが本当にいたのかもしれないんだった。
あの店に、『墨染の王』がいたのだろうか。
普通の人しかいないように思えた、あの店に、人に害を成すような危険なあやかしの王が——母の仇が、誰にも違和感を覚えさせず、自然に紛れ込んでいたのだろうか。
それって、恐ろしいことなのでは?
考えるほどに、足元から冷たい水に沈んでいくような感覚がした。
「葵さん、顔色が真っ青だ」
「あ……」
「気丈に振る舞ってくれていたんだよね。気を遣わせてしまってすまない。僕ときたら、君の健気さに甘えてしまって……」
申し訳なさそうな丙の声がして、ふわりと体が浮く。
思考の海に漬かっていた葵は、はっと現実に意識を現在に戻した。
気づけば、丙に横抱きにされている。
自分の足で立つのではなく、壊れ物でも扱うように抱えてもらうのは、幼少期に父に抱っこしてもらったとき以来かもしれない。
「あ……いえ。私、さっきまでは、本当になんともなかったんです」
今はもう、悪寒の波も引いてしまった。
それを伝えかけた葵は、丙の穏やかな鳶色の瞳に気づいて吸い込まれそうな心地になった。
——この人は、なんて澄んだ瞳で私を見つめるのだろう。
こんな目であまり見られると、心の奥底まで何もかも暴かれてしまうようで、ちょっと気恥ずかしくなる。
「私、歩けるので。おろしてもらえますか、なんだか恥ずかしいですし……重いでしょうし」
懇願するように言うと、丙は歩みを止めず、思案げに目元に影を落とした。
「僕は最近、体を鍛えようかと思ってるんだよね」
「……?」
「つまり、君を運ぶことで僕は鍛えられてるから、気にしないでくれ」
「私が重いっておっしゃってます?」
葵はまじまじと丙を見た。整った顔立ちが、きょとんとする。
「重くないよ。平均体重じゃないかな? 健康的でいいと思うよ。測る?」
「測りません」
「あれ? 葵さん? なんか怒ってる?」
「いえ、別に……」
なんだか申し訳なさや恥ずかしさがどこかに飛んでいったみたい。
◇
寝室に敷かれた布団の枕元に買ったばかりの枕時計を置いて時間を合わせていると、丙が盆を抱えて寝室に入ってきた。
この寝室が自分専用ではないとわかっていても少し緊張するのは、まだ慣れていないからだろう。
「薬草を煎じた特製のお茶だよ。よく眠れるんだ」
「良い香りですね」
そう言って湯呑に注いでくれたお茶は、綺麗な琥珀色をしている。
湯気は控えめで、中身は飲みやすい温かさ。
飲んでみると、緑茶とも紅茶とも違う、薬草らしさのあるお茶だった。気持ちの落ち着く、優しい味わいだ。
「甘さを足した方がよかったかな」
「いえ、飲んだことがない味ですが、飲みやすくはあります」
「美味しくはないよね。でも、結構これが癖になるんだ。体にもいいし」
丙はそう言って自分の湯呑を傾けると、中身を飲み干した。
——この人は、こういう人なんだ。
医者だもの。
「今日はいろいろあったし、もう寝よう」
「……はい」
葵は明かりを消し、隣に潜り込んだ。
肩と肩が触れ合って、心臓が小さく跳ねる。
「すみません」
思わず謝ると、おかしそうにくすくすと笑われた。
「いえいえ。こちらこそすみません。おやすみなさい、僕の奥さん」
「おやすみなさいませ、ええと……旦那様?」
「うん。こういうのは、良いような少し気恥しいような気分になるね……」
照れたように言われて、葵はくすぐったい気分になった。
「二人でゆっくり慣れていこう」
「はい」
囁きにうなずき、そっと目を閉じる。
さっきまで胸を満たしていた冷たい恐怖は、いつの間にか温かな安心に溶けていた。
少しすると、自然な仕草で抱き寄せられた。丙は寝入るのが早く、眠るとぬいぐるみのように葵を抱く。
そういえば、細くみえて丙は力が強いのだ。葵はそんな事実に気づいて、安心感を強くした。
——もっと鍛えるつもりらしいし……。




