22、姿が見えたらいいのにね
「いらっしゃいませ」
——わあ。お父様の日記に書いてあったままのお店だ。
葵は目を輝かせた。
店内は、当たり前だが、時計がたくさん並んでいる。
壁一面に掛けられた時計が揃って時を刻んでいて、少しずつずれた時計の音がいくつも重なり、独特の環境音になっているのが面白い。店内いっぱいに小さな鼓動が満ちているみたいだ。
中央には長いショーケースがあって、金銀の懐中時計や小ぶりな時計がきらきらと飾られていた。
西洋風の身なりをした店員は白手袋をしていて、落ち着いた接客姿勢だ。
「葵さん。このあたりに並ぶ置時計は好きな時間にオルゴールが鳴るようにできるんだよ」
丙が置時計を見せてくる。眼鏡を指で持ち上げて時計を選んでいる姿は綺麗で、時計よりも目を惹かれてしまう。
「これはトンヤレ節が流れるようだ」
「宮さん宮さんですね」
『宮さん宮さん』は戊辰戦争時に新政府の総裁だった親王を歌っている軍歌だ。
そういえば樹宮様と呼ばれる丙も宮さんだ。気さくだが、とても高貴な身分なのだ。
「葵さん。オルゴールの音色には、人の心を落ち着かせて癒す効果があるんだよ」
丙は「春のうららの隅田川」と軽く口ずさみ、『花』という曲が流れる一品を見て「これはどうかな?」と意見を聞いた。
品物に問題はない。口ずさんだ歌は絶妙に音程がずれていたけど。
一節しか歌っていないのに、耳に残っていて、葵は耳たぶをつまんだ。
その間にも、丙はさっそく商品を購入している。
「葵さん。買い物って『どうしようかな』とか考えるだろう? それって脳にいいんだよ。ひとりで買い物するときは、ぜひ予算を決めて選んでみてね」
そう語る口ぶりは、宮さんというより先生だ。
葵はくすっと笑った。
「はい、先生」
「その呼び方はちょっとくすぐったいな」
「先生、琢朗様や波美子様へのお土産を選んでもいいですか?」
「もちろんだよ。きっと喜ぶだろうね」
時計店を出て洋小間物店へと移動する道すがら、琢朗の日記に出てきた言葉が次々と思い出される。
文字で綴られていた世界が、今は自分の立っている場所になっている。
自分の目で見て、自分の足で行きたい店に入ることができる。
そう意識すると、踊りだしたくなった。
「あ、あのお店の名前も知ってる。お父様がお若い時分に帝都観光をして買い物をしたお店……!」
「へえ、琢朗殿が?」
「入りましょう、丙様」
「もちろんだ。行こう、行こう」
雑談に花を咲かせながら洋小間物店に入ると、舶来品がたくさん並んでいる。在留外国人も来店していて、金色の髪や青い目をした背の高い人が目立つお店だ。
「葵さん、この仏蘭西製のリボンはどうかな? 舶来品でね。女学校では流行しすぎて、リボンの幅を校則で決めたところもあるくらい人気なんだ」
丙が「波美子さんとお揃いにしたら?」と提案するので、葵は上側が白地に薄紫の梅模様で下側が白無地のリボンをお揃いで買った。
「武政様にも、何か贈りましょうか」
「葵さん。兄さんには何もやらなくていいよ。もったいない」
「でも、波美子の旦那様ですし。消えものとか、二人で一緒に食べられるのでよさそうかも」
「葵さん。兄さんに餌をやらなくていいよ」
品物を見繕っていると、丙は「妙案を思いついた」と言い出した。
「リボンをつけて歩くのはどう? そうだ、兄さんにもリボンを贈ってやればいい。付けてもらおうよ。僕が見てみたいだけなんだけど」
「丙様もリボンをつけます?」
「いいね。お揃いにする? 僕は似合うぞ」
丙は冗談めかして笑い、器用な手つきでリボンをつけてくれた。
「うん、可愛い。君は水晶みたいに清らかな感じがするから、爽やかな色合いが似合うね」
「ありがとうございます。透明感とかはわかりませんが」
「うまく言えないけど、瑞々しいんだ。そうだ、あとで洋服も見よう」
◇
——いっぱい買ったなあ。
しばらく買い物を満喫したのち、葵は自動車に積んだ箱や袋を眺めて満たされた気分になった。
町歩きは楽しくて、次から次へと店を覗いてみたくなる。丙をあちらこちらに引っ張っていくうちに、気づけばたくさんのものを買っていた。
車童は荷物の周りを跳びまわり、はしゃいでいた。
「また増えたでございます〜! おみやげでございます! ぼくがもらうでございます〜! この袋は寝心地がいいでございますね〜」
ついには、荷物の隙間にはまって「ぼくはお昼寝をするでございます」と言う。
「葵さん、他にほしいものはない?」
「あると言ったら買い物に付き合ってくださるんですか?」
「もちろん。僕は、ええと……優秀な荷物持ちで君のお財布様だよ」
覚えてきた文言を思い出しながら唱えるようなぎこちない物言いがなんだか可愛い。
葵は両手を合わせて感謝した。
「お財布様、買い物はもう大丈夫です。ありがとうございました」
「じゃあ、最後にお財布様は君を昼食に誘うけど、いい?」
丙は懐中時計を確認して空模様と見比べた。
「そろそろ昼だ。鰻でも食べて帰ろうか?」
「ぜひ!」
「気持ちのいいお返事だ。そういえば、車童は元気かな。怒ったりしてない?」
車童が寝ていることを教えてあげると、丙は面白がって虚空をつつく。
「このへん? このへんで寝ているの?」
「丙様、もうちょっと右です……、あっ、触れましたよ」
「いま僕は車童に触っているの? ぜんぜんわからないな。風切、見て。僕はあやかしを触っているらしいよ」
丙は楽しそうに運転手の風切に話題をふり、「姿が見えたらいいのにね」と言った。その横顔は少し寂しそうで、波美子の異能をうらやましがっていた自分と重なる。
葵はそっと自分の胸を抑えた。なんだか、胸が切なくて。




