21、帝都へようこそ
「また仕掛けられてる。ちょっと物騒ですね」
道を歩いていると、たまに呪術師の仕掛けが施された自動車に出くわしてしまう。
危ないので、葵は見かけるたびに術式を書き換えて安全な状態にしていった。
「葵さん、術式を書き換えて疲れたりしない? 僕は異能や金烏の力を使うとき、少し疲れるのだけど」
丙が心配そうに言うので、葵は首を横に振る。
「紙に万年筆や筆で文字を書くのとそんなに変わらないです」
おそらく、全く何もない状態から新しく術式をつくるのと比べると消耗する力はかなり小さい。
葵がそう伝えると、丙はどこか不安そうな顔になった。
「そんなに簡単にできてしまうのか。すごいなあ」
——すごいと言いつつ、どうしてそんなに心配そうなんだろう。
葵の頭の中にいくつもの推理が生まれる。
例えば、能力への嫉妬とか? ……そういう人じゃないでしょ。
例えば、能力が低いほうが好きだとか? ……そういう人の可能性はあるかもしれない。
なにせ、身分が高い人より低い人のほうが好きらしいから。
「葵さん。変なことを考えてない?」
「いえ、ぜんぜん。自然なことしか考えてないです」
「君がいた島と比べると、帝都は自然が少なくてびっくりしちゃったかな?」
「自然は少ないけど、人や物がとても多いですね」
人混みの向こうで「スリだ!」という怒号がして目をやれば、まだ幼い少年が捕まっている。
「おっかさんが病気なんだい! 薬を買わなきゃならねえんだ!」
「そうなのか? かわいそうに……」
財布を盗まれた男が少年を押さえていた手の力を緩める。次の瞬間、少年は人波へ飛び込み、「うそだよー!」と甲高い笑い声を残して逃げ去った。
「このガキ、待ちやがれ!」
怒鳴り声が響き、周囲からどっと笑いが起こる。
「だから言ったろ、あいつは常習だって!」
それを追い越すように、今度は反対側の骨董屋の店先から老人の怒鳴り声が聞こえてきた。
「わしは今上陛下とも酒を酌み交わした仲じゃ。少しくらい負けんか」
「へえ、それはそれはすごいや。いつのことですか」
「冗談に決まっとるじゃろうが。もっと勉強せえ」
「ははあ、ご冗談を。こちとら数字のことしかわかりませんで、すみませんねえ」
店主はにこやかに算盤を弾く。
「三十銭ですが……特別に二十銭と十銭で」
「おお! 安くなったか!」
老人は満足げに代金を払い、意気揚々と去っていく。店主はその背中を見送り、肩をすくめた。
「これが勉強の成果というものでさあ」
さらに数歩歩けば、焼き団子の香ばしい匂いが鼻をくすぐる。団子屋のおかみと客の女性が話している。
「あら奥さん。旦那さん、熱を出したって聞いたよ」
「もう元気になりました」
「そりゃ良かった!」
団子屋のおかみは包みをひとつ差し出した。
「今日は見舞いだよ。金はいらないさ」
「え、でも……」
「その代わり、またうちへ来な。今度ゃ少し負けとくからさ」
うーん、賑やか。
ちょっと歩く間に、あちらでもこちらでも、ひと騒ぎ。
奥さんと入れ替わりに団子屋を覗き、丙がみたらし団子を買ってくれる。さっぱりとした甘じょっぱいタレがもちもちのお団子によく調和していて、おいしい。
「帝都ってすごいですね」
「人間のしょうもなさと愛しさが両方味わえる、良い都さ」
丙は近くにいた小間物売りから風車を買い、葵の手に持たせて微笑んだ。
「帝都へようこそ、葵さん!」
風車がくるくる回る。
青空を背に、亜麻色の髪を揺らして笑う彼がまぶしくて、胸の奥がくすぐったくなる。
「ありがとうございます、丙様」
もし、あのとき丙が求婚してくれなかったら、自分は今ごろ何をしていただろう。
誰のものともつかない笑い声や怒鳴り声が、風に乗って聞こえてくる。
「あははは」
「なんだと、この野郎!」
二人で団子を頬張っていると、丙に声をかける人もいた。
「あ、せんせいだ」
「あら……先生、こんにちは。先日はうちの子がお世話になりました」
「せんせい、みやさまって呼ぶんだよ」
患者らしき男の子が母親の手を引っ張り、訳知り顔で訂正する。
「そうだっけ。宮様の先生なんて、なんだか恐れ多いねえ」
恐縮する母親に、丙は笑って手を振った。
「気にしないでください。中身は変わっていませんからね」
——この人、いい人だよなあ。
葵は一緒になって患者の親子に手を振り、見送った。
食べ終えた団子の串を後始末してから、葵はショーウィンドウに小型の枕時計が並んでいる店を見つけた。
「あっ、あのお店」
琢朗の日記に出てきたのと同じ店の名前だと気づいて、宝物を発見した気分になる。
「丙様、あちらの時計店に入りましょう」
そわそわと袖を引くと、丙は折り目正しく返事をする。
「承知しました、お姫様」
「からかってます?」
「僕はいつも真面目だよ」
まるで従者にでもなったみたいに返事して、丙は日傘をたたむ。
背の高い美男子の丙が亜麻色の髪を揺らして歩くと、周囲から視線が集まった。
「ごきげんよう。ご一緒の方はどなたかしら?」
洋装の夫人に声をかけられ、丙はカンカン帽子を外して爽やかに挨拶を返した。
「ごきげんよう。こちらは僕の妻です。先日結婚しましてね」
周囲から「そんな!」と悲嘆の吐息や悲鳴が零れる。女性が多い——もてている。
「本当に結婚なさっていたなんて。憧れていたのに……」
「私はお父様が縁談を申し込んでくださっていたのよ。前向きに検討してもらっていたはずなのに」
「そういうご令嬢はたくさんいるわよ」
——丙様は人気があるなあ。
美男子で名家に籍があり、お屋敷の主で皇位継承権持ち、その上お医者様とくれば、もてて当然である。
他人事として納得する葵だったが、丙は少し焦った様子で葵の手を引いた。
「気にしないで行こう、葵さん」
「女性方が放っておかれないわけですね。わかる気がします」
「葵さん? ちょっと怒ってる?」
「いえ……?」
怒る理由がない。ぜんぜん気にしてない。
しかし、なんとなく気になるのは「縁談」という声だった。
きっと、大勢の令嬢が丙の夫人の座を望んでいた。みんな、結婚の知らせに気落ちするだろう。
漁師のお兄さんの結婚を知ったときの自分を思い出して、葵は少し申し訳なくなった。
——だからといって、譲れと言われても困るのだけど。
◇
丙は葵の反応が気になって仕方ない。
「やきいもーやきいもー栗よりうまい十三里ー」
——葵さん、楽しんでくれているだろうか。
「さおだけーさおだけー」
通りすがりの威勢のいい物売りの声を心地よく聞きながら、丙は心配になった。
丙は町が好きだ。
どちらかというと、上流の社会よりも下町の空気が居心地いい。
駆けまわったり転んだり、大声で怒鳴ったり、笑ったり。
人々が生き生きと賑わいを醸し出している場所で、群れの中のひとりとして歩いていると、元気が出る。
時には自分の利益のために他人のものを盗んだり、欺いたり。
それに怒って罰を与えようとするものが出たり、人情味たっぷりに物を恵んだり、世話したり、許し合ったり。
そんな町や人を好きになってくれたらいいな、と思い、葵を連れてきたのだ。
けれど、女性たちの噂は嫌だったのだろう。
葵の表情が曇ったので、丙は自分でもおかしなほど焦ってしまった。
——しまったな。
丙は慌てて葵の手を引き、時計店に飛び込む。
扉を押して時計店に入ると、外の喧騒がすっと遠のいた。




