19、僕はがんばるぞ
「お坊ちゃま、可愛かったなあ。蜂蜜みたいな髪と青空みたいな目で……」
「お母様が外国人の血を引いていらっしゃるのです」
「そうなんですか。すごい……」
茄子川と話しながら西屋敷に戻ると、入れ違いでフミが出ていく。
「お味噌を切らしてしまいまして、ちょっと本邸に行って分けてもらってきますわ」
そういえば夕食の支度をしないといけない。いろいろあって、書庫でのんびりしすぎてしまった。
「私、作れそうなものを作っておきますね」
「ええ、そうなさってください」
フミを待ちながら野菜を洗ったり切ったりしていると、茄子川が丙の帰宅を知らせてくれる。
「おかえりなさいませ、丙様」
「ただいま。書庫はどうだった?」
葵は丙が脱いだ上着を受け取り、衣紋掛けに掛けながら書庫で起きた出来事を教えた。
「茄子川さんがいなかったらキューピー人形に頭突きされていましたね。怜央坊ちゃまは可愛らしかったです」
「そうか。茄子川、葵さんを守ってくれてありがとう」
丙にお礼を言われて、茄子川はうれしそうに口元を緩めている。わかりやすい家令だ。
一方、丙は悔しそうな顔になっていた。
「僕が仕事でなければなぁ。茄子川より格好よく守ったし、兄さんの五倍ぐらい惚気たのにさ」
「お仕事は大切ですから。旦那様、おつかれさまでございます」
花嫁修業で習ったとおりに言葉をかけてみると、丙は笑った。
「使用人みたいにへりくだらずに、もっと気楽に接してくれていいよ」
「は?」
「え?」
上流階級の奥様っぽいと言ってほしかったのに。でも、この人は令嬢より使用人が好みな人だっけ。
ということは、「使用人みたい」は褒め言葉なのかも?
葵は複雑な気持ちになった。
「それはそうと、怜央坊ちゃまの異能乱用っぷりは注意したほうがいいね。僕も気を付けないといけないんだけど、普通の人にできないことができると、自分が特別に偉いんだぞと気が大きくなりすぎてしまったり、他人を見下しそうになってしまうんだ」
それって怖いよね、と呟く丙にうなずいていると、茄子川も言葉を添える。
「異能が暴走したり使いすぎて倒れてしまうこともありますし、利用しようとする他人が寄ってきたりと、丙様は苦労なさっておいでなのです。武政様にも利用されていますし」
「兄さんには僕が自主的に力を貸しているんだよ。それに、僕も兄さんに物心ついてからたくさん世話になっている」
「ただいま戻りましたわ」
フミが返ってくると全員がぴたりと異能の話をやめて静かになったので、フミは「わたくしの悪口で盛り上がっていたでしょう?」と少しだけ拗ねた顔になった。
「フミ、それは違うよ」
「誤解です」
フミは思い込むとなかなか誤解がとけないので、しばらく機嫌が悪かった。
◇
夕食後には、東屋敷から手紙が届いた。差出人は波美子だ。
『葵へ。生意気な坊ちゃんに襲われたんですって? 可哀想に! ところで、帝都観光は済ませた? まだ?』
帝都観光は、明日する予定だ。
葵は丙から贈られた黒軸の万年筆を手に取り、桜の透かし模様が入った白百合色の便箋へ返事を綴った。
『波美子へ。武政様が惚気ていたよ。帝都観光は明日する予定。お土産を買うね』
窓の外へ目を向けると、街路の灯りが、闇の中に星を落としたように瞬いていた。
新しい暮らしは賑やかで、刺激に満ちている。
そんな新しい生活を、葵は好きになり始めていた。
◇
「葵さん、今日は安心してぐっすり休んでおくれ。おやすみ」
帰りに買ってきた蚊取り線香を炊くと、特有の匂いが空気に混じる。丙は部屋を見渡し、布団に入った。
葵は隣に横になり、照明を消してくれる。
「おやすみなさい、丙様」
——明日は帝都観光だ。
診療所では患者や看護師が、家に帰ってからはフミや茄子川が助言してくれた。
彼らの意見を参考にして、僕は彼女を楽しませよう。がんばるぞ。




