11、はがしてほしいでございます
船は昼前、帝都の港へと滑り込んだ。
港は大きくて、一隻二隻の船ではなく、大型船が何隻も停泊している。
岸壁には荷車が行き交い、荷役夫たちの威勢のよい掛け声が響く。
人も荷も声も、潮風に押されて絶え間なく流れていく。
島では見たことのないような人や荷物の多さだ。世の中って、すごい。
行き交う人の多さに、葵は目をまわしそうになってしまった。
「こちらでございます」
フミに促されると、桟橋の近くには芦屋家から迎えに寄越された黒塗りの自動車が待っていた。
葵は初めて見る自動車を隈なく観察して触ってみたい衝動をこらえて、澄まし顔をした。
「西屋敷のご主人に仕えております、風切と申します」
運転手の風切は三十路ほどの男で、真っ白な長い髪が印象的だ。
「風切さんはお里で苦労なさって、髪が心労で色を失ってしまったのだそうですよ」
「それは、お気の毒に」
専属運転手付きの高級車は、島では見たことがない上流階級の乗り物だ。
「これでも中古なんですよ、芦屋家のご当主様が土御門家の前当主様から運転手ごと譲られて、丙様に贈られたのです」
「運転手ごと……」
葵の装いは琢朗が「似合う」と太鼓判を押してくれた白練りの地に薄水色の流水文様を染めた振袖で、裾には銀糸で波と松が刺繍されている。帯は淡い金地だ。車に乗るのにふさわしい格好ができていればいいな、と思いながら、葵はフミの手を借りて中へと乗り込んだ。
そして、自分がいる座席の右側のドアに奇妙なものがいることに気が付いた。
指先ほどの小ささの、焼きたての黒い饅頭みたいな丸いものだ。
それが、ドアにお札で貼り付けられている。
なんだろう、とみていると、真っ黒なそれは、子供みたいな声を発した。
「あうー。おふだ、ぺったんこ、いやでございます~、はがしてほしいでございます~」
気の抜ける喋り方で訴えかけるそれは、あやかしではないかと思われた。
お札が嫌だって? 葵はフミを見た。
「フミさん、このお札に貼り付いている子は何ですか? 嫌がっているみたい」
「あら、そこに何か見えますの? わたくしには見えませんが、おそらく座敷童の亜種でしょうか」
フミはお札をぽんぽんと叩く。
「叩くな、でございます。痛いでございます!」
「このお札は退魔護符。人ならざるものの働きを妨げて人間を守る効果がありますの」
「フ、フミさん。叩くの、やめてあげてください」
「ここには、車童と言って、車に宿る小さなあやかしがいるのだと思いますわ。車童は持ち主を侮ると、故障や道迷いを引き起こすので、油断はいけません」
もっともらしい言葉に、車童が文句を言っている。
「そんなことないでございます。おバカのニンゲンが勝手に事故るだけなのに、ぼくたちのせいにされてるでございます~」
「危ないので、お札を貼って封じるのですわ」
「ぼく、あぶなくないでございます~! フミは嘘つきでございます~!」
車童はあどけなく抗議しているが、フミの耳には届かないようだ。
「なんだか可愛い。フミさん、車童が『人間が勝手に事故るだけなのに、ぼくたちのせいにされてる』と言ってます」
「それは嘘です、葵様。嘘に惑わされてはいけません」
「フミは嘘つきでございます~!」
葵は頭が痛くなった。
「フミさん。お札をはがしてみてもいいですか?」
「葵様。この車の持ち主は丙様でございますの。そして、丙様は残念ながら異能の才がおありではないので、危険なのですわ」
「……?」
異能の才がない。その言葉を当たり前のように言うので、葵は首をかしげた。
「丙様は、式神の術や金烏の力が使えますよね?」
「あら。それは武政様ですわ、葵様」
あれ?
葵は疑問を胸に抱きつつ、車童に視線を落とした。すると、車童は残念そうに言った。
「フミのあんぽんたんは、しらないのでございます。ぼく、ひのえしゃまが好きでしよ」
あ、あんぽんたん。なに、それ。
葵はフミの顔色をうかがいながら探りを入れた。
「フミさん。車童くんは丙様がお好きだと言っています。私には車童くんは危険だと思えません」
「葵様はお心の清らかなお嬢様ですのね。心配になりますわ。ですが、葵様は才ある方ですから車童も懐くかもしれませんねえ」
フミは頬に手をあて、聞き分けのない子供を見るような微笑を浮かべた。
「では、フミさん。試しに剥がしてみるのはどうでしょうか? 車童くんが暴れ出したら、すぐに護符を貼り直しましょう」
「ご自分のなさりたいことを譲らない意思の強さは、芦屋家の一員にふさわしい素質です。よろしいでしょう、お好きになさいませ。わたくしも付いておりますからね」
護符をはがすと、車童は綿毛が風に踊るように車内を跳ね回る。
「きゃー! じゆうでございます~!」
見ようによっては暴れていると言えるが、自動車は何事もなく走り続けている。
——大丈夫なんだよね?
試しに指先で触れると、まるで極上の毛玉みたいに触り心地がいい。
「ありがとでございます! あおいしゃま! ありがとでございますー!」
「ふふっ。よかったね」
可愛いなあ。
葵は車童を視線で追いかけ、車窓の外を流れていく町並みに目を奪われた。
「葵様、このあたりから赤坂です。あの塀のあたりから芦屋家の敷地に入りますよ」
芦屋家の敷地は、島ひとつが塀に囲まれてしまったのではと思うほど広大だ。
車は豪邸が並ぶ広い道を堂々と進み、巨大な鉄門の前で停止した。
中に入ろうとして、葵は「あれ」と足を止めた。
門から屋敷へと向かう道のりに、ぽつりぽつりと黒い煙を渦巻かせる地点がある。
「フミさん、地面に何か仕掛けられているみたい」
「あらあら。大変。九歳になる芦屋家本家の怜央坊ちゃまの『落とし物』の異能によるイタズラですわ。上から物が降ってきますのよ。泥団子ですとか、お煎餅ですとか……」
虚空から物を落とす能力?
興味が湧いて、葵は思わず踏みにいってしまった。
「上から何か振ってくるんですね。どんな仕組みなんでしょう」
「葵様ーーっ⁉︎」
踏んだ瞬間、上からたらいが降ってくる。葵はサッと回避した。
カラン、という軽い音を立てて地面に転がるたらいは、どこから降ってきたのかわからない。
「すごい! 不思議……!」
地面にあった黒い煙は消えて、たらいだけが残っている。
葵はしゃがみ込み、しばらく地面に仕掛けられたいたずらの解析に夢中になって、フミを呆れさせた。
初めて見る異能の仕掛けは、結界とは全然違う仕組みで動いている。
これがたった九歳のお坊ちゃまによるイタズラだと言うのだから、芦屋家は恐ろしい——胸が高鳴ってしまう。




