第5話
ホームへ降り立った瞬間、弘毅は思わず立ち止まった。
空気が違う。
未来の世界より、ずっと重い。
少し湿った風。
人混みの熱気。
どこか油の混じった電車の匂い。
耳に飛び込んでくる無数の話し声。
その全部が、弘毅には妙に新鮮だった。
同時に、胸の奥が苦しくなる。
懐かしい。
けれど、何を懐かしいと思っているのかがわからない。
弘毅はゆっくりとホームを歩き始めた。
周囲では人々が慌ただしく行き交っている。
誰も弘毅を気に留めない。
だが弘毅だけが、この世界から少し浮いている気がした。
視線を上げる。
頭上には“2008”という年号表示が浮かんでいた。
時間移動者専用ゲート。
そこに表示された現在時刻は、
――2008年7月21日 午後6時12分。
「……2008年」
弘毅は小さく呟く。
その数字を見た瞬間、また胸の奥が疼いた。
夏。
夕暮れ。
蝉の声。
誰かの笑顔。
断片的な映像だけが頭の中に浮かび、すぐに消える。
思い出せない。
だが確かに、自分はこの時代を知っている。
その時だった。
「……ねぇ」
不意に、後ろから少女の声が聞こえた。
弘毅は振り返る。
だが、そこには誰もいなかった。
行き交う人々だけが、忙しなく横を通り過ぎていく。
「気のせい……か」
そう呟いた瞬間。
――カラン。
足元で小さな音が鳴った。
見ると、一枚の携帯ストラップが落ちていた。
星型の、小さな青いアクセサリー。
どこにでもありそうな安物だった。
だが、それを見た瞬間――。
弘毅の脳裏に激しいノイズが走る。
夕焼けの帰り道。
笑い声。
長い黒髪。
そして――。
『絶対、また会おうね!』
「っ……!」
弘毅は思わず頭を押さえた。
激しい頭痛。
息が乱れる。
だが今度は、はっきり聞こえた。
少女の声だった。
「……誰なんだ」
弘毅は震える指で、その青いストラップを拾い上げる。
胸の奥が痛い。
まるで、忘れてはいけないものを無理矢理忘れているみたいだった。
その時だった。
「すみませんっ!」
突然、誰かが人混みの向こうから駆け寄ってくる。
制服姿の少女だった。
肩まで伸びた黒髪。
息を切らしながら、真っ直ぐ弘毅を見ている。
「あっ……それ!」
少女は弘毅の手の中にある青いストラップを見ると、ホッとしたように表情を緩めた。
「よかったぁ……探してたんです!」
その笑顔を見た瞬間。
弘毅の心臓が、大きく脈打った。
――知っている。
なぜかわからない。
だが弘毅は、その少女の笑顔を知っていた。




