第44話
奈津は震える足で後ずさりながら、診療所の中を見回した。
床には狭間と加奈子、そして黒ずくめの男たちが倒れている。
あちこちに飛び散った血痕。
まるで悪夢のような光景だった。
「きゃあっ……!」
奈津は悲鳴を上げ、その場にへたり込んだ。
「な、何なの……これ……?」
顔は真っ青になり、全身が小刻みに震えている。
弘毅は咄嗟に手にしていた拳銃を服の中へ隠した。
今の奈津にこれ以上の衝撃を与えたくなかった。
そしてゆっくりと奈津のそばへ歩み寄る。
「奈津……何か覚えていないのか?」
奈津は涙をこぼしながら首を振った。
「わ、わからない……」
声も震えている。
「昨日、家に帰ったところまでは覚えているの……でも、その後のことが全然……」
奈津は混乱したまま周囲を見回した。
「どうして私がここにいるの……? どうして……?」
奈津の瞳から大粒の涙が溢れ落ちた。
弘毅はそっと肩に手を置く。
「落ち着いて。ゆっくりでいいから」
奈津は何度も深呼吸を繰り返した。
やがて少しだけ落ち着きを取り戻した奈津を見て、弘毅は静かに尋ねた。
「僕のことは分かる?」
奈津は涙で濡れた瞳を弘毅へ向けた。
そして小さく頷く。
「うん……覚えてる……」
その言葉を聞いて、弘毅は胸を撫で下ろした。
少なくとも奈津の記憶が完全に失われたわけではないらしい。
だが問題はそこではない。
狭間は死んだ。
加奈子もまた、もう助からないだろう。
そして何者かが奈津を操っていた。
弘毅は倒れている人々を見つめながら唇を噛んだ。
「さて……これからどうするか……」
呟いたその言葉は、自分自身へ向けた問いでもあった。
診療所には重苦しい沈黙だけが残されていた。




