第43話
弘毅は呆然と立ち尽くしたまま、とりあえず加奈子の後を追って診療所の中へ駆け戻った。
診察室に足を踏み入れた瞬間、弘毅は息を呑んだ。
そこには奈津と、床に倒れて血を流している加奈子の姿があった。
白い床に広がる赤い血。
あまりにも現実離れした光景に、弘毅の思考は一瞬停止した。
――何が起きたんだ?
理解が追いつかない。
弘毅は震える声で、
「な、何があったんだ……?」
と奈津に近づこうとした。
その時だった。
床に倒れていた加奈子が残された力を振り絞るように弘毅の足へしがみついた。
「早く……逃げなさい……駿一……」
掠れた声だった。
だが、その言葉には強い警告が込められていた。
「え……? どういうこと?」
弘毅が戸惑った次の瞬間――
奈津が突然、懐から果物ナイフを取り出した。
そして何の躊躇もなく弘毅へ襲いかかってきた。
「なっ――!?」
弘毅は咄嗟に身を引いた。
銀色の刃が目の前を掠める。
「奈津! 何をするんだ!」
しかし奈津は何も答えなかった。
その瞳は虚ろで、まるで別人のようだった。
奈津は再びナイフを構え、無言のまま弘毅へ突進する。
「やめろ!」
弘毅は必死に攻撃をかわした。
頭の中が混乱する。
ついさっきまで自分を助けてくれていた奈津が、なぜ自分を殺そうとしているのか。
まるで意味がわからない。
揉み合いになった拍子に、奈津の耳元で何かが光った。
パチン――
小さな音とともに、イヤリングが床へ落ちた。
その瞬間だった。
奈津の身体がぴたりと止まった。
虚ろだった瞳に、ゆっくりと光が戻っていく。
奈津は手に持っていたナイフを見つめた。
そして周囲を見回しながら、
「あれ……?」
と呟いた。
「私……何をしてたの?」
床に広がる血。
苦しそうに倒れている加奈子。
そして自分の手に握られたナイフ。
奈津の顔から一気に血の気が引いた。
「わっ……な、何これ……!?」
奈津は震える声を上げ、その場に立ち尽くした。




