第10話
「でも……」
奈津は困ったように視線を揺らした。
祐子の元へ行くべきなのか。
それとも、目の前で苦しそうにしている弘毅を放っておけないのか。
迷っているのが表情から伝わってくる。
「ねぇ、奈津ー?」
少し離れた場所から、祐子が急かすように声を上げた。
「どうしたの?」
奈津は一瞬だけ振り返る。
それから、しゃがみ込んだままの弘毅を見た。
苦しそうに呼吸を乱し、額には汗が浮かんでいる。
放っておけなかった。
「……ごめん。先、行ってて」
「えっ?」
祐子は驚いた顔をする。
だが奈津は、小さく頭を下げると再び弘毅へ向き直った。
「大丈夫だから」
そう言って、奈津は優しく微笑む。
その笑顔を見た瞬間、弘毅の胸がわずかに熱くなった。
どうしてだろう。
初めて会ったはずなのに、その表情が妙に懐かしかった。
◇
気が付けば弘毅は、さっき警察官と出会った公園へ戻っていた。
奈津に付き添われるまま歩き、再びベンチへ腰を下ろす。
夜風が冷たい。
公園の木々が、静かに揺れていた。
遠くで車の走る音が聞こえる。
だが弘毅には、その全てが遠く感じられた。
「っ……」
頭が痛い。
割れるようだった。
記憶を思い出そうとする度に、頭の奥を鋭い痛みが貫く。
弘毅は思わず頭を抱え、そのまま身体を丸めた。
奈津は隣に立ったまま、不安そうに弘毅を見つめている。
「ねぇ……本当に大丈夫?」
その声は、どこまでも優しかった。
「救急車、呼ぼうか?」
「だ、大丈夫だから……」
弘毅は無理に笑顔を作った。
奈津を心配させたくなかった。
だが実際には、とても“大丈夫”とは言えなかった。
視界が霞む。
耳鳴りがする。
頭の中で、何かが軋んでいた。
その時だった。
不意に、記憶の奥で銀色の光が揺れる。
タイムトンネル。
柑橘系の香り。
そして――。
『……私が付いてるから』
「……彩香」
弘毅は無意識にその名前を呟いていた。
「え?」
奈津が不思議そうに首を傾げる。
弘毅はハッとして顔を上げた。
「あ……いや……何でもない」
だが奈津は、どこか引っ掛かるような表情を見せる。
「彩香……?」
その名前を聞いた瞬間。
なぜか奈津の瞳が、ほんの少しだけ揺れた気がした。




