第六章(四)「出てこないんかーい!」
ゴオッと風がうなって、辺りを黒く細かい粒子が舞い散った。
風が一時で止むと、痕跡すら残らずに、何もかもがさっぱり消え失せていた。
──さて、ここからが本当の勝負だ。手持ちの切り札を一つ披露してしまったからには、もう油断してはくれない。
残った二つの敵影に目を注ぐと、彼らは高度を保ったまま、その場で凧のように停滞している。
そして。
「……ウィルトゥ! ファルハ!」
「……マイ……エ……ドゥメー!」
「……ウォ? ……ニァ……カ、モエドハイヌ……!」
魔物の羽音に混じり、何かの言葉を交わすような声がかすかに耳に届く。当然ダーン・ガロデ語ではなく、ミムン・ガロデ語とも語調を異にした言語。
どこがとはハッキリ言えないが、どこかあの青年の、あの歌を想起させる──
魔術式を描き、ぼく自身の右の耳に当てる。
遠くの声を集め、それを「魔界語」から理解できる言語に変換して受け取る魔術だ。
その術は目論見どおりの効果を発揮して、上空で交わされている二人の会話を、耳のすぐそばで再生させた。
「……聞こえなかったっスか? 戦闘中止っス!」
「……ですが……!」
「あたしらは偵察部隊っスよ。生きて情報を持ち帰るのが最優先、それを忘れちゃいけないっス──それに、あの魔術師……例の『六行』かもしれないっス」
「『六行』……! わ、分かりました。本陣に帰還します」
二つの影は素早く転回し、真逆の方向へと飛び去っていく。影が雲の彼方に霞んで見えなくなってから、ぼくは緊張した精神をほぐすように、深くため息をついた。
「魔術師殿……!」
「ああ、戦闘終了だ。みんな、よく頑張ってくれた。ありがとう──しかし、奴らは偵察部隊だったらしい。敵軍にこちらの存在を知られてしまった」
兵士たちの喜びもつかの間、不安げな空気が彼らを包む。ぼくは再び表情をこわばらせて、冷徹に語った。
「すまないが、休んでいる暇はない。すぐ難民たちの元に戻って、今まで以上に早く、ここから移動させなければならない。行こう!」
体力的にはともかく、精神的にはかなり疲弊しているはずだが、兵士らはハイと威勢よく返事をして駆け出した。
先を行く難民の一団に追いついたのは、すでに日も落ちて、すっかり藍色に染まり切った宵の内だった。
「そっか、まずいことになったね。でもイダラバを出てからまともなご飯も寝床もないし、ずっと歩き詰めでみんな疲れ切ってる。これ以上急がせるのは無理だよ」
たき火を挟んで座るズエンカが、首を横に振った。
周りを見渡すと、人々はみな、寝具とは言えないぼろ布にくるまってぐったりとしている。どこからか、小さい子どもの泣き声が聞こえてくる。
夜の闇よりなお重苦しい、陰鬱な空気に満たされていた。
「……みんなの顔が、だんだん沈んでいくのが分かるんだ。最初の頃は、おいらの曲芸とかで気分を盛り上げたりして雰囲気を保ってたんだけど……そのうち、疲労と絶望感に見世物を楽しむ気持ちが負けてしまった。戦争で、こんなにもおいらの商売あがったりになるなんて、想像もつかなかったよ」
ズエンカの隣で膝を抱えたザッバが、見るからにショボくれた様子でつぶやく。大道芸人のことをよく知っているわけではないが、人を笑顔にするのを生業としている彼が、笑顔をなくしていく民衆をただ手をこまねいて見ているのはさぞ辛かろう。
「ザッバ、あんたまで落ち込んでどーすんの。ねぇハイアート、能天気だけが取り柄のこいつがこんなんじゃ、こっちまで調子狂っちゃうよ。どうにかしてくれない?」
ズエンカさん。そう言われましても、ぼくもコミュ下手にかけては相当に自信があります故。
しかし、ここは年長者として頑張らねば、という責任感もある。
とは言え、まずどうするべきか。
ザッバとはお初にお目にかかったばかりで、未だ彼のことをよく知る立場にないわけで──
「……そうだな。ザッバ、よければぼくに、君の曲芸を見せてくれないか?」
「えっ?」
突然の要望に、ザッバは小さい驚きを返し、ズエンカはぼくの本意を察したのかわずかに口の端を緩ませた。
「ほら、ぼくは君と会って間もない間柄だからね。まず君を知るには、大道芸人としての業をご披露していただくのが一番なんじゃないかな、って。どうかな?」
「……そりゃあ、芸を見たいって言ってくれるのはありがたいけど──でも、おいらごときかけ出しの芸を、『六行の大魔術師』様に見てもらうってのは……」
困ったようにモジモジし始める青年に、ぼくは眉をハの字にして失笑した。
「あはは。ぼくは確かに『六行の大魔術師』なんて呼ばれてるけど、実際は見てのとおり、どこにでもいるような普通の人間でしかないよ。な、ズエンカ?」
「そうそう。ハイアートはね、お寝坊ばかりで、酔うと愚痴っぽくなって、羊肉が苦手な普通の人なんだから」
「い、いやいや、そんなみっともないことまで言わなくても……って、羊肉のコト、バレてたの?」
「結構、顔に出るタチなんだよねー。大方、好き嫌いしてたら子どもに示しがつかないとか考えてガマンしてるんだろーなって思って、何も言わなかったけど」
ぐぬぬ。そこまで見抜かれていたとは。
ズエンカとは一応親代わりというか、保護者というか、頼れる大人として接していたつもりだっただけに情けない。
「ほらまた、そんな気まずそうな顔しないでよ。あたしが言いたいのは、ハイアートがダメな人ってコトじゃなくて──世間様から『六行の大魔術師』なんてご大層な名前で呼ばれてたって、それ以前に『シラカー・ハイアート』っていう普通にダメな所もある人間ってことに変わりはない、ってコトなの」
「……まあ確かに、ぼくもそういう意味合いのことを言いたかったわけだが──実に不本意な表現をされたというか、初対面の人への紹介にダメ出しから入るってのはさぁ……」
「あら、それはゴメンなさい。ザッバ、もちろんハイアートは欠点ばっかりじゃなくて、すっごくイイ人なんだよ。例えば──」
にこやかにそう言って、ズエンカは、十秒ばかりフリーズした。
「出てこないんかーい!」
「違う違う、ありすぎて何から言おうか迷っただけ! ザッバ、誤解しないでね。ハイアートは本当にすっごく──」
ズエンカの言い訳は、ザッバの唐突な笑い声に遮られた。
「……悪い悪い! おまえさんたちのかけ合いがあんまり滑稽なんで、うっかり笑ってしまったよ! そっか、そうだな、じゃあ──曲芸師ザッバのお家芸、とくとご覧あれ!」
ザッバはあぐらに座り直すと、腰に下げた革袋に左手を突っ込んで、そこから球状のモノを取り出した。くすんだ赤色をしており、多分、塗料を塗った木製のボールだ。
そのボールを空中に放り出し、それが落ちてくる前にザッバはもう一つボールを袋から引っ張り出す。二つのボールを右手でポンポンと弾ませている間にボールが増え続け、最終的には四つのボールが彼の前で跳ね回った。
なるほど。ジャグリング、ってやつだな。
ザッバの手から宙へ、宙から手へくるくる回るボールを目で追っているだけで、幻惑されてめまいがしそうになる。
何も言わずボーっとして見ているぼくに気づいたのか、ザッバは白い歯を見せて笑うと、
「まだまだ! 本番はここからだよ!」
ジャグリングの手を止めずに、今度は右側の腰から素早く何かを手に取って、ひょいと放り上げた。たき火の赤い光が鋼の刃にキラリと反射して、それが刃渡り十センチメートル程度のナイフであることに気がついた。
ザッバは次々と腰のベルトに差したナイフを頭上に投げ、一つずつボールと交換していく。四つのボールは瞬く間に四つのナイフへと変わったが、ボールと同様に、巧みに操られている。
やがてナイフが鞘に戻り、ザッバがかしこまったように一礼するまで、ぼくはただ呆気に取られる他に何もできないでいた。
「ハイアート、どうだった?」
「……いや、すごい! すごいよ! ザッバ、君の曲芸は見事すぎて、声も出なかったよ」
ズエンカに声をかけられて、ぼくはようやく我に返ったように拍手を送った。ザッバは満足げに微笑む。
「そう? いやいや、それほどでも、あるかなぁ?」
「しかし、こんなザッバの曲芸でも楽しめなくなるぐらい消沈してしまっているとなると、事態は相当深刻だな……食糧と休息の問題はすぐに解決できないとしても、せめて気持ちの問題だけでも、どうにかできないものか……」
「──『ハナビ』を催すというのは、いかがですか?」




