第六章(五)「一番興奮を隠しきれていない」
不意に話しかけられて、ぼくは軽い驚きをもって振り返った。背後には、エンルバと縁のあるあの青年兵士が、笑顔で立っている。
「ああ、君は──何だっけ?」
「あっ、まだ名前を申し上げていませんでしたね。俺、タジィって言います。急にお話に割り込んで申し訳ありません」
ぺこりと頭を下げて、タジィは少し遠慮がちにぼくの隣にひざまずいた。
「──それで、難民のみなさんに活気を取り戻すなら、俺はハナビが一番だと思うんです。あの感動は、十年経っても忘れられません。……まあ本音を言っちゃうと、俺が観たいってだけなんですけど」
言葉尻をゴニョゴニョと濁らせつつ、タジィは苦笑いを浮かべる。ぼくはつられるようにふふっと鼻で笑った。
「ハナビって、前にオンデ・ボーの偉い人が観たがってたヤツでしょ? それって結局、どんなモノなの?」
「ああズエンカ、花火は──って、君は花火をやった時、ヘベニッフさんたちと一緒にイダラバに居たはずだよね。観てないの?」
ズエンカに訊ねられて、ぼくがそう答えると、彼女は顔をひそめて肩をすくめた。
「その時あたし、まだ八歳だよ? 夜になったら、すぐ寝ちゃってたもの」
「ああ、確かによい子は寝る時間だったね。花火ってのは──いや、言葉で説明するより実際に見てもらった方が早いか」
地面に魔力で図形を記し、火精霊力を込める。そこからポンとマッチの先ぐらいの小さな火の玉が上がり、上空三メートル程度の高さで花が開くように、八方に弾けた。
「ウォウ! これはビックリ摩訶不思議!」
「ああ、すごいだろう? 本物はこれが空高く、夜空いっぱいに広がって、イダラバの街中のどこからでも観られたんだ!」
「それはそれは、さぞかし壮観だろうね! おいらも観てみたいなあ!」
ザッバとタジィが異様な盛り上がりを見せる中、ズエンカは最初目を見開いて感心していたものの、ほどなくして訝しげに顔を曇らせた。
「……ズエンカ、どうした? 気に入らなかったか?」
「ううん、想像よりずっと、ハナビは綺麗だった。でも、本番はもっと大きなのをもっと高い所に上げるんだよね? それって──魔界軍からも見えるかもしれない、ってコトじゃない。大丈夫なの?」
「いや、こっちの存在はあちらさんにもう知られてるからね。そのコトがそこまでリスクになるとは思えない──それよりは、この花火がみんなの生きる希望をつなげられる可能性があるなら、利点の方がずっと大きい」
ズエンカはしばらくうつむき加減に神妙な表情をしていたが、やがて顔を上げて、わずかに微笑を見せた。
「……ハイアートがそこまで考えて結論を出したんなら、あたしは反対しないよ。やるの?」
「ああ、やろう。ズエンカ、ザッバ、タジィ。悪いけど、みんなに花火を催すと、触れ回ってくれないか」
ぼくは立ち上がって、外衣の尻の砂ぼこりを払いながら、三人の顔を交互に見回して言った。
「ハイアート、ハナビをやるってみんなに言って回ってきたよ。準備はできた?」
十分ほど経って、難民のキャンプ地からやや離れて待機していたぼくの元へ、ズエンカたちが戻ってきた。地面に描いた数個の魔術式を横目でチラ見して、ぼくはうなずきを返す。
「ああ、こちらは問題ない。みんなの反応はどうだった?」
「すごいですよ。当時ハナビを観た人も結構いて、興奮を隠しきれない様子でした」
鼻息を荒くして言うタジィが、一番興奮を隠しきれていない。
「じゃ、ぼくも精一杯やらせてもらわないとね。さーて、始めようか」
少しの魔力を込めるだけで魔術が発動する術式に、銀色に光らせた指先で触れる。音もなく直径三十センチメートルほどの赤い玉が垂直に飛び上がり──
「うおーっ! 見事見事、想像以上だ!」
最初に歓喜の声を上げたのはザッバだった。ドンという轟音とともに、大輪の炎の花がはるか上空で瞬時に開き、一秒と経たずにはかなく消えていく。
「まだまだ。本番はこれからだよ」
次は、立て続けに二発。それから、同時に二発。
折り重なって咲き誇る花火が夜を埋め尽くして、辺りを薄暮のように明るく照らした。
その後もどんどん花火を打ち上げて、用意していた術式をすべて使い切ってしまうと、ぼくはいつしか無言になっていた三人に振り返った。
三人とも、まだ真っ暗に戻った空を、ただ眺め続けていた。
「……終わったよ。みんなの所へ戻ろう」
そう言うと、三人は一斉に首だけをこちらに向けて、一様にため息をついた。
「もう終わり? そんな、もっと観たいよ!」
「まあまあ、そんなこと言ってたらキリがないよ。安全な場所まで避難できたら、またやってあげるから、今日はもう休もう」
なだめるようにザッバの肩をぽんと叩くと、彼は少し落ち込んだ顔をしてうなずく。すると隣のズエンカが困ったように微笑んで、肩をすくめた。
「あーらら、これは大変なことになるね。戻ったらきっと、みんなからザッバと同じことを言われるから」
朝日と共に、イダラバの難民たちは安住を求めて再び街道を歩き始めた。ぼくとズエンカ、ザッバはその集団の最後尾近くにいて彼らの行進を見ていたが、みんなの足取りは心なしか昨日より軽いように思えた。
首尾よく安全地帯までたどり着けたなら、また花火が観られることに希望を感じたからなのだろうか。そうだとしたら、これほど嬉しいこともない。
「──今さらだけど、ズエンカは何でイダラバにいたんだ? まだサン=サンリにいるとばかり思っていた」
ぼくはリヤカーの荷台に、ザッバと窮屈そうにして座るズエンカに話しかけた。ぼくは荷台の前側の縁に座り、リヤカーのハンドルを魔術で引っぱっている。ザッバは勝手に動くリヤカーに喜び、ズエンカはたぶん昔にヘベニッフさんの荷馬車で旅をしたことを思い出したのだろう、「懐かしいなぁ」と小さくつぶやいていた。
「うーん……どこから話したらいいかな。まず、あの時……あんたがサン=サンリからいなくなった時、あたしはしばらくの間、叔母さんの家でふさぎ込んでたの」
別れ際のズエンカの大号泣を思い出して、胸の奥がチクリと痛んだ。
「だって、そうでしょ? 故郷っていってもあたしにはまったく憶えのない町だし、叔母さんたちは優しくしてくれたけど、全然なじみのない他人同然の同居人でしかなかったんだもの。勝手に不安や孤独を感じてしまっていたの」
胸の痛みが三倍ぐらいになって襲いかかってくる。ぼくの浅慮が、まだ幼いズエンカを苦しめてしまったのだろうか──
「……でもある日、叔母さんがいきなり、あたしに読み書きと算術を学ばせてくれるって話を持ってきたの。将来商人を目指すなら必要になるはずだから、って。何でかな? あたし、叔母さんに将来の夢を話した憶えがないんだけどー」
「……そ、そうだね。何でかなぁ」
何となく、背中に誰かの視線が突き刺さるのを感じる。ぼくはしどろもどろになりながら、はっきりしない返事を返した。
「あっそ、ハイアートは知らないのね。そういうことにしとくわ──それで、二年ぐらい大きな町の商家に通ったんだけど、学べることが嬉しくて、とても充実した日々だった。叔父さん叔母さんとも、打ち解けて話せるようになったの。あたしが学んだことは、従弟にも教えてあげてたよ。あの子は勉強より、遊んでる方が好きだったけど」
肩をすくめて、ズエンカが声を上げて笑う。従弟くんの気持ちは分からなくもない。学べることの貴重さ、大切さは若いうちには理解できないものだ──少なくとも自分の経験上では。
「──それから、帳簿が書けるようになってきた頃だった。イダラバの商工ギルドが早急に働き手を求めているとかで、勉強でお世話になっている商家のご主人があたしを紹介してくれるって話になったの」
「なるほど、それでイダラバに……」
「そう。前にも来たことはあったけど、多くを学んでから来たイダラバは、まるで違って見えた。さすがは交易の中心地だなって。ここにダーン・ダイマ中から多くの商品とそれにまつわる文化が集まって、またここから発信していくの。そこにとてつもない活力を感じて、あたしもいつか商人としてこの街を賑わすのだとワクワクしていた」
そこまで言葉を弾ませていた彼女は、ふと話を途切れさせて、深い深いため息をついた。
「……そんな矢先に魔界の侵略、ってわけ。ハイアート、テピンって憶えてる?」




