第五章(六)「ぼくの「世界の救い方」」
「そうだね、賛成だ。いろいろ買ってきたからね──何から食べる?」
「では、早めにいただかないと傷んでしまうものからにしましょう。果物と野菜と──魚もあるのですか」
嬉々として食糧を詰め込んだ麻袋から中身を並べるぼくに、ボグーはにこにこしながら答える。彼はバイキングでも楽しむかのように食材をいくつか選び出し、その間にぼくは自分のカバンから少し古びて固くなったパンを取り出した。
「──ハイアートさん? せっかく新鮮な食べ物がこんなにあるのですから、今日はこちらにしませんか」
「……何で?」
ほんのり不思議そうな表情を向けながら、ボグーは大ぶりな川魚の尻尾を持って掲げる。ぼくはきょとんとしてそう言った。
「……なぜって、ええと──あの、言ってませんでしたか? わたくしは、二人分の食糧を買っていただこうと思って、金貨をお渡ししたのですが」
言ってない。
もしボグーが自分とぼくの分の食糧だと言っていたのなら、ぼくは自分の食べる分を君に恵んでもらうつもりはないと、金貨を突き返していただろう──うっかり言い忘れたというような口ぶりをしているが、彼はぼくよりずっと聡明な人間だ。ぼくが考えそうなことを先読みして、わざと言わなかったのかもしれない。
であれば、ぼくはまたボグーに一本取られてしまったことになる。やられたなとは思うが、憎らしく思う気持ちはみじんにも感じない。
「……仕方ないな。じゃあ、ごちそうになるよ。干していない魚なんて何年振りかなぁ」
どうせ、食べないと言っても「一人では食べきれません」と返されるのが見え見えなのだ。すでに彼の術中にはまってしまった以上は、あれこれ口答えせずに素直に彼の厚意に乗っかるのが正解だろう。
「わたくしなんて、魚自体何年も口にしていません。今から楽しみです」
ボグーは今まで以上に喜びを満面にたたえながら、焚きつけに集めた小枝からできるだけまっすぐに伸びたものを見つくろって、ナイフで削り始める。
ボグーという人間と接し、そして心を惹かれるたびに、魔族が忌諱されるこの世の風潮が恨めしいとすら思う。
きっと、誰が悪いということではない。
もっと、もっとボグーを、魔族を世界中の人々が知ってくれたなら──
かっと、暗闇の中で目を開く。
ぼくは身体を横たえて、毛布にくるまったままの格好で、大きく息をついた。
胸の鼓動が激しい。全身に冷たい汗がにじんでいる。
夕食後に、他愛もなく話をしたり、ボグーの奏でる音楽を楽しんだりしてから、寝床についたのは憶えている。
それから、たった今まで、夢を見ていた。たぶん。
恐ろしい悪夢だった。たぶん。
目を開けた瞬間に、なぜか、それをすべて忘れてしまっていた。
思い出そうとするが、まったくと言っていいほど、何の手がかりもない。
もしかしたら、ぼく自身の精神が、それを記憶することを拒んだのかもしれない。だったら、そんなものを無理に思い出す必要はないだろう。
もう一度、深く呼吸をする。
気分が落ち着くと、ぼくはふと、何かしらの違和感を覚えた。
いつもの夜と、何かが違う。
だが、その正体を探る間もなく、ぼくの意識は再び眠りの深淵へと誘われていった。
その次に目を開いたのは、すでに周囲に薄明りの差す早朝の頃だった。
自然に目が醒めたのではなかった。
ぼくを睡眠から現実へと引き戻したものは、寝転がるぼくのそばを離れ、ゆっくりと川のほとりへと歩みを進めている。目で追わなくても、魔術がその動きを余すところなく伝えていた。
ため息をつきながら上半身をもたげ、傍らのぼくの背負い袋を脇へずらす。その下から露わになった「防衛術式」のほのかな銀色の光が、今も効力を発揮していることを告げている。
「……ん?」
その術式を消そうとした時、ぼくはわずかに眉根をひそめた。
魔術式の「円状」を意味する記号が、微妙にぼくのクセ字と異なっている気がしたのだ。
まあ何回も描いていれば、クセが多少変わることもよくある話か。
術式を消滅させて立ち上がると、川辺へと足を向ける。ぼくの接近に気づいたボグーが振り返って、少し困ったような微笑みを向けた。
「ハイアートさん。申し訳ありません、起こしてしまいましたか。物音を立てないように気をつけたつもりだったのですが」
「いや、そんなことないよ。勝手に目が醒めただけだ」
首を横に振って答え、水面の前に二人で揃って屈み込む。
「顔を洗った後は、朝げに果物をいただきませんか。色々買ってきていただいた中に、見たことのない果物がありましたので、ぜひ食べてみたいと思いまして──」
言葉の端々にうきうきした様子を見せるボグーに、ぼくは、にっこりと笑ってうなずいた。
上流へと川をたどること一週間と二日。
その間三つの村落を経由したが、立ち寄ることはしなかった。少なくとも、食糧が続く限りはボグーを理不尽な迫害から回避させたかった。当のボグーは反対こそしなかったものの、「あの村に、歌になる良い手がかりがあったかもしれないですねえ」と、逆にぼくが過度に心配しているだけなのかもと悩むぐらいのほほんとしていたが……。
そうして行き着いた先がココロウゼバ王国の王城を中心に構えた首都であるところのタブロウゼバだ。
ボグーの旅の最後の目的地であり、ここで吟遊詩人としての活動を一通り終えた後は、故郷の魔界へと帰る予定だという。
「無事に仕事ができればいいんだけど──ここまでの状況を見るに、あまり期待はできないね」
「そもそもダメ元で始めた旅です。ここでもダメで元々なのは変わりないですよ」
街道を進むにつれ近づいてくる城壁を横目に、ぼくたちは互いに苦笑いを交わす。
もちろん彼の仕事に成果があることが望ましいが──ぼくの期待は、むしろこの都を後にする時に向けられていた。
その時こそ、ボグーに是が非でも頼み込むつもりだ。
彼の帰路にぼくも伴わせてほしい、と。
魔界を共に旅したい、と。
未知の世界に不安がないとは言わないが、彼と一緒ならばきっと楽しいものになるだろうと想像すると、早くも気分が高揚する。
だから、タブロウゼバの砦門を抜けるのに例によってボグーと共に執拗な取り調べを受けることにもイライラしないし、何軒もの酒場や食堂に歌うことを断られてもヘッチャラなのだ。街の中央広場で演奏を始めて、すっ飛んできた衛兵らにこってりとなじられた時は、さすがに少々へこんだけど。
結局この都市でも何の収穫もないまま、辺りは夜の闇にすっぽりと覆われてしまった。ぼくはこの日の活動をあきらめて、適当な安宿の部屋を借りた。
「──うまく行ったね。誰にも見られなかったか?」
「はい、大丈夫です」
窓枠を乗り越えて部屋へと侵入してきたボグーは、小声でささやいた。ぼくが二階の客室の窓から外へロープを垂らして、彼をこっそりと招き入れたのだ。
この街でも、当然のように、魔族が宿に泊まるのは絶望的だった。いつものように街の外で野宿をする気だったボグーを引き止めて、ぼくが案じた一計が、この「相部屋作戦」ってわけだ。
もちろん、見つかれば衛士に逮捕されるだろう、立派な犯罪行為だ。将来救世主になろうっていう者のすることじゃない、という批判は甘んじて受ける。でもそれ以上に、彼が魔族というフィルターだけで受ける仕打ちに我慢がならなかった。
「さて、今日は早く寝て、明日の早いうちに誰にも見つからないようにここを出なきゃね。──ボグー、君はこっちのベッドを使いなよ」
ぼくは部屋の隅のベッドを指差して、荷物から自前の毛布を取り出そうとしているボグーに言った。彼は苦笑いを浮かべて、かぶりを振った。
「いいえ。わたくしは屋根のある場所で夜露がしのげるだけで、これ以上にありがたいことはないです。それでは、おやすみなさい」
問答を許さず、ボグーはさっさと毛布に身体を包んで、木張りの床にごろりと横になってしまった。
ぼくはため息をついて、寝台へとすべり込み、目を閉じる。
すぐには眠りにつけず、頭の中で悩ましい思いがぐるぐると巡る。
今まで旅を続けても、ずっと結論が出ずにいた、ぼくの「世界の救い方」。
ここに来てようやく、答えを一つ見つけたような気がする──
「……やめろ……戦いたくないんだ……やめてくれ、ボグー!」
自分の叫び声で目が醒めた。
恐ろしい夢を見ていたことは分かる。しかし、目を開いた瞬間にどんな夢だったかを忘れてしまった。
大きくため息をついて、おもむろに上身を起こす。その時、以前にも感じたあの違和感が襲ってきた。前は半分寝ぼけていたのですぐに眠ってしまったが、今ははっきり覚醒している。
その正体を探して、ゆっくりと周囲を見渡すと──
大きな異変があった。
ベッドの脇の床で毛布に包まれて横になっているはずのボグーが、まるで始めからいなかったかのように消えていたのだ。




