第五章(四)「単なる偶然なのだろうか」
首をねじ曲げて、音の出どころを探る。
五人ほどの集団だが、みな一様に鋲のついた丸い木の盾を持ち、鎖かたびらをまとっている。得物が槍から腰にはいた小剣に変わっているが、城門の前にいた番兵と同じスタイルだ。
「いたぞ。魔族の男だ」
兵士が口にした言葉のただならぬ気配に、ボグーがウギーロルを肩にかけ直しながら立ち上がった。一拍遅れて、ぼくもボグーと兵士たちの間に立ちふさがるように躍り出る。
「何の用だ。ここで歌っていただけで、彼に一体何の問題がある?」
「貴様こそ何のつもりだ。魔族をかばい立てするなら、容赦はせんぞ」
「まず理由を聞かせろ。でなければ、彼に指一本触れることはぼくが許さない」
ぼくと相向かう兵士が、大きくため息をついた。
「……今朝、街外れで城の政務官が遺体で見つかった。市民の間では、都城の付近で魔族が歌を歌っている、あれは呪いの歌ではないかと騒がれている」
そんな馬鹿な言いがかりがあるか。
呪いなんて、迷信以外の何物でもない。仮に歌が詠唱式の魔術だったとしても、歌声に魔力がかかっているかどうか、このぼくが分からないはずがない。
それにボグーに限っては、そのような犯行を起こすことはできなかった。もし彼が殺人を犯すために現場に赴いたのなら、昨晩仕掛けた防衛魔術が、彼の出入りをも感知するからだ。
「歌で人を呪い殺したって言うのか? とんでもないデタラメだ! 彼は無実だ、絶対に犯人じゃない!」
「貴様の言い分など信用できるものか。奴をかくまうのであれば、貴様も逮捕する!」
ぼくを捕らえようとするように、兵士の右手が伸びてきた。
ほぼ反射的に、その手首を右手で左側からつかみ、右下へと引っぱる。同時に相手の肩を左手で押し込んで背中を向かせると、つかんだままの手首をひねり上げた。
「いだだだだだ!」
悲鳴を上げながら兵士は身を屈め、ぼくはねじ曲げた腕に体重をかけて完全に動きを封じる。残りの兵士たちはそれを見て、次々に抜剣した。
「ボグー、逃げろ!」
ぼくは叫んだが、ボグーは一瞬動くことを躊躇した。しかしその一瞬ですべきことを悟った彼は、弦から放たれた矢のごとく走り出すと、手近な雑木林の茂みに飛び込んであっという間に姿が見えなくなった。
「くっ、待て!」
ボグーを追って駆け出そうとした兵士たちに、押さえつけていた者の尻を蹴っ飛ばして、その足元に転がしてやる。二人が鎧のぶつかる派手な金属音を立てて転倒した。
折り重なる男たちをサイドステップで迂回して、残った兵が剣を振り上げて迫る。
さすがに武装した集団を、まともに相手にはできない。
鈍く光る刃を背後に跳び退いてかわしながら、手の中に術式を生み出し、地風の精霊力を練り込む。
煙のように化した微細な砂塵が、瞬時に周囲を包み込んだ。
「目が! 目があぁぁ!」
目をぎゅっと伏せ口と鼻を押さえたまま、即座に反転し、「煙幕魔術」の範囲の外へと飛び出す。眼球と気管支を苛まれた兵士たちの阿鼻叫喚を背後に覚えつつ、ぼくはボグーの後を追って木々の間へと踊り込んだ。
林を抜けて、草原を渡り、人の往来がありそうな道らしきものまでたどり着いた。
都城の兵士はもう追ってはこないように見えたが、先行したボグーに追いつくことはかなわなかった。おそらく林の中で、彼とは違う方向に逃げてきてしまったのだろう。
ため息をひとつついて、それから馬車か荷車のわだちらしき跡を踏みしめて歩き出す。ボグーに再び会える可能性があるとすれば、ココロウゼバに向かう旅路の途中だ。
日没まで進み、一晩野宿を挟んで、さらに日中のすべてを徒行に費やした。その道中でずっと考えていたことは、ボグーと合流してどうするのか、ということだった。
とにかく、頭を下げたいとは思っている。
でも、謝罪を受けるとかいう以前に、彼はもうぼくと関わり合いになりたくないと思ってはいないだろうか。であれば、このまま会わない方が彼のためなのかもしれない……。
いや、いや。それは犯した失敗の責任から逃げているだけだ。
迷惑なら迷惑だと、はっきり断じてもらうまでが、ぼくの責任だ。
日が傾きかけた頃、小径は小さな村落へとぼくを導いた。木製の柵が周囲を覆う、見た目には慎まやかな農村だ。
──ボグーがここに立ち寄ったかもしれない。
手がかりを求めて村の入口へと近づくと、木の板を重ねて作られた門はきっちりと閉じていて、その上から一人、物見が顔だけを出してこちらを監視しているのが見えた。
「すみません! 村に入りたいのですが──」
「旅のお方、申し訳ない。今は村への立ち入りはお断り申し上げる」
妙にキョドった見張り番の態度に、穏やかでない様子を感じる。
「何かあったんですか?」
「……村の警備団員が不審な死に方をしているのが見つかったのだ。調査のため、しばらく村外の者を入れぬようにしている。ご容赦いただきたい」
言い方は婉曲的だが、おそらく「殺された」ということなのだろう。
都城で政務官が死んだ事件のことが、脳裏をかすめる。二つの事件は、単なる偶然なのだろうか。
毎度のクセで、事件の解明を手伝えないだろうかと一瞬考えてしまうが、部外者にそんな提案をされても逆に怪しまれてしまいそうだ。
「……分かりました。一つだけ、訊かせてください。最近この村に、銀色の長髪に暗い肌色の、弦楽器を携えた男が立ち寄りませんでしたか」
「いや、見ておらぬ……そのような、まるで魔族のような者が訪れたなら、見覚えがないはずもない」
「そうですか。失礼します」
小さく一礼して、きびすを返すと、再び細い野道を歩き始めた。
少し村から離れたら、土の乾いた場所を探して、そこを今夜の宿にしよう──そう考えていたところだった。
びゅうびゅうと吹きすさぶ風の音に、微かに、不自然な音色が混じる。
耳を研ぎ澄ます。
バイオリンのようで、胡弓のようで、馬頭琴のようで──そのどれでもない、震える弦の響き。
無意識のうちに、ぼくの足は小径を外れ、すねを覆う長さの草原に踏み込んでいた。まっすぐに、ひたすらに、メロディの源を求めて、早足から駆け足へと変わっていく。やがて原野のただ中にぽつんと立つ、傘のように枝を広げた大木の根元へと、ぼくは導かれた。
その太い幹に背をもたれて、あぐらをかいたひざの上に「ウギーロル」を置いて、弓をやわらかくこすり音楽を奏でる青年の姿がある。彼はぼくが十分に近づくのを待ってから、演奏の手を止めて、こちらに笑いかけた。
「ハイアートさん、ご無事で何よりです。お礼を申し上げたくて、あなたを待っていました──危険を省みずわたくしを逃がしてくださり、誠にありがとうございます」
ボグーは直立し、それから深々と頭を垂れた。ぼくは戸惑いながら、声をかすらせて、言った。
「……お礼? 違う、これはぼくが浅はかなことをして、君を余計な問題に巻き込んでしまったせいなんだ。ぼくは、君に謝らなければいけないと思って──」
「謝る?」
理解できない、と顔に書いてあるような面持ちで、ボグーは首を傾いだ。
「何をおっしゃいますか。それこそ、お門違いな話です。あの兵士らが無理筋な難癖をつけてきたのが一番の問題なのですから」
「それは、そうだけど……それ以前に、ぼくは君たちの問題を甘く考えていたところがあったと思う。そのせいで、君に何度も迷惑をかけて──」
「迷惑などと思うお方を、果たして来るかどうかも分からないのに、こうして待つようなことがありますでしょうか?」
絶句したぼくを、ボグーが困ったように目を細めて見つめた。
「──それに、旅を連れ合う者同士が気まずい思いを抱えるのは御免こうむりたい。あなたもそうは思いませんか、ハイアートさん」
ボグーの言葉の意味が脳内に染み渡るまでに、数秒を要した。
「…………えっ、いいのか? その、ぼくと、一緒で──」
「おや、まさかわたくしの旅をお手伝いいただくお約束を、反故にされるおつもりですか? それならそれで、仕方のないことですが──」
わざとらしく顔を曇らせるボグーに、ぼくは何度も首を横に振った。
「いやいやいやいや、とんでもない! もちろん一緒に行こう──君の旅が終わるまで」
「はい。よろしくお願いします」
ようやくほころんだ彼の表情に、ぼくは笑顔でうなずきを返した。




