第五章(三)「いささか尚早かと」
「その者は通せぬ。去ね」
その答えを探すぼくとボグーの旅は、早々とつまづいてしまった。
城砦の堅牢な門を守る兵士は、ぼくの右隣に立つ男の顔を見るなり、そう冷たく言い放ったからだ。
「どういうことですか。ぼくたちに、何か問題でもあるんですか」
「魔族とミムン・ガロデの蛮族は立ち入れぬのが、都の決まりだ。保安上の理由であり、貴様らに問題があろうがなかろうが関係ない」
門番の返事は大方予想ができていたが、聞けばやはり落胆せざるを得ない。法と言われればうかつに抗うべきではないという考えに変わりはないが、さすがに限度というものがある。
「理不尽すぎる。ボグーはただの歌うたいで、決して悪者ではない。もうすぐ夜だというのに、宿にも泊めさせてくれないのか」
「宿にだと? ──仮に都に入れてやったとして、魔族を宿泊させてくれる宿屋などあるものか!」
「泊めてもらえるかどうかは、実際に宿屋の方と話してみなきゃ分からないだろう? 魔族は、世間で言われるような忌まわしい種族などでは──」
「やかましい! 貴様らにどんな事情があろうが、魔族はお断りだ。いい加減にせぬと、力ずくで追い払うぞ!」
槍の切っ先を下げて、兵士がぼくに威嚇をしてきた。そのことが逆に、ぼくの全身をカッと熱くさせた。
「上等だ。やれるものなら──」
「ハイアートさん、いけません! もういいです、行きましょう!」
途端、肩をぐいと引っぱられて、ぼくの頭に上った血が一気に下がった。ボグーへの偏見を拭いたいのに、ケンカ腰になっては意味がない。
「……すまない、ボグー。でも──」
「大丈夫です。野宿なら、慣れっこですから」
金貨のように輝くスマイルをぼくに向けて、ボグーは足早に門の前から離れていく。ぼくは兵士の方をじろりとにらみつけながら、彼の後を追った。
「──申し訳ない。余計ないざこざを起こす前に、君に止めてもらえて助かった」
街道から離れた荒れ野に腰を落ち着け、小さなたき火を挟んで、ぼくはボグーに頭を下げた。ボグーは微笑を絶やさぬまま、チラチラと揺れる赤い光の中に見え隠れしている。
「とんでもないです。確かにいさかいは良くありませんが──本心を申しますと、あなたが本気で怒っていただけたことが……嬉しかった」
尻の辺りがむずがゆくなるような思いを覚え、ぼくは苦笑した。
「……ありがたいけど、結局迷惑をかけてしまったことに変わりはない。今度はもっと上手くやるよ」
「そうですね。もっと上手くやれる方法があれば、いいのですが……そろそろお食事の支度をいたしましょうか」
ボグーは一口大に切り出した塩漬けの豚肉を、尖らせた木の枝に刺していく。四本の串がたき火の周りに並び、ぼくたちはただ無言で、あぶられた豚肉から脂と塩分がしたたり落ちていくのをじっと見守った。
「……ボグーは、肉はよく食べるのか? というか、魔族の普段の食事って、どんなものなんだ?」
沈黙に耐えきれなくて、ぼくは訊いた。その問いに、ボグーは少し考えるそぶりを見せて、
「さして他の民族と違いはありませんよ。肉、パン、野菜に果物。魔界では採れないもの、魔界でしか採れないものもいくらかはありますが──」
「そっか、なら安心だ」
「安心?」
「うん。いつか魔界を旅する時に、食事が合わなかったら大変だからね」
ボグーの切れ長の目が、小さな驚きに見開かれた。
「魔界を……旅したい、とおっしゃられるのですか? 失礼ですが、魔界のことをお聞きになられたことは……」
「調べたこともあるし、多少は噂を耳にしてる──ええと、魔物がうじゃうじゃ出るとか、まあ、かなり危険な所だという噂なら」
他にもっとひどい話を聞いてはいたが、あえて言う必要もない。
「それを聞いてなお魔界を訪れたいとは……魔族のわたくしが申し上げるのもおかしいですが、ハイアートさんは相当な度合いの変人ですね」
「……ほめ言葉だと思っておくよ」
「もちろんです。さて魔界ですが、言われているほど多くはありませんが、魔物が出没することは確かですし、決して安全だとは申せません。興味本位で訪れるのは、あまりお勧めできかねます」
「どこの国だって、盗賊も出れば猛獣も出る。無論魔物がそれ以上の脅威だってことも知ってるけど、どこを旅するのも危険ってのは同じさ。それと、ぼくは興味本位で魔界に行きたいと思ったわけじゃない」
ボグーの表情が、やや堅さを帯びた。
「……では、何が目的なのでしょうか」
「魔界を、もっと知りたい」
即答したその時、魔族の青年は、息を呑んで沈黙した。ぼくは少し間を置いて、ゆっくりと口の端に微笑をたたえる。
「いくら書を読み、人づてに話を聞いたところで、本当のことは見えてこない。魔界という地を目の当たりにして、肌で感じなきゃ、理解したなんてとても言えない。だから、魔界なる国を知ったと確信できるまで旅をして、それから──魔界は素晴らしい国だと、多くの人に伝えたいんだ」
「……いえあの、嬉しくは、思いますが──さすがに『素晴らしい国』と判断されるにはまだ、いささか尚早かと」
落ち着かなさげに、ボグーが目をキョロキョロとさせる。たぶん、褒められ慣れていないのだろう──ぼくはクスリと鼻で失笑した。
「そうだね。ぼくもまだ早いと思う──まだぼくには、君から受ける印象でしか判断できないから」
ついにボグーは顔をうつむかせてしまった。頭の周りの火精霊が具現化して火がついてしまいそうだ。
「……おしゃべりはこの辺にしておこうか。肉もいい感じに焼けてきてるし、ね」
ボグーは、ただ、黙って首を縦に振った。
明くる朝、厚い雲を通してくる薄日とともに、目を醒ました。
上体を少しもたげると、少し離れた場所に、人の形に盛り上がった毛布が目に入る。ボグーはまだ起きていないようだ。
ぼくは傍らの背負い袋をわずかに持ち上げて、その下で魔術式がほのかに光っているのを確認した。寝る時には必ずと言っていいほどこしらえている、防衛魔術の術式だ。
ボグーには、ぼくが魔術師であることを言っていない。
彼が魔術師のことを熟知していれば、ぼくが着ているコートを見るだけで分かることだが、彼がそのことに触れてくる様子は全くない。知らないのであれば、わざわざぼくから告げて変に警戒されたり、例によって放浪の理由を説明させられたりするようなことは避けたい。
防衛魔術に異状はなく、それは一晩中、ぼくたちの周辺に何者も近づかなかったことを示している。念のための備えは、使われないに越したことはない──ぼくは物音を立てぬように注意しながら、術式を消し去った。
「ボグー、朝だ。そろそろ起きよう」
毛布の上から軽くゆすってやると、ボグーは小さくうめきを上げながらごろりと仰向けなった。それから長いため息をついて、ゆっくりと身を起こす。
「……おはようございます。さて、すぐ出立の準備をいたしましょう。ココロウゼバまでは結構ありますから──」
「いや。君はまだ、都城での仕事を終えていない。そう簡単にあきらめちゃダメだ──そこで、ぼくにひとつ考えがあるんだが、やるかい」
ボグーは不安げに顔を曇らせ、ぼくは自信ありげな笑顔でそれに応えた。
街道から、ふらりと人影が近づいてきた。
横目でちらと見ると、人影は三人だった。旅装束というには軽装な男たちが、訝しげにしながら数十メートル先のぼくたちの元へとまっすぐに歩いてきている。
ぼくはニヤリとして、目線を目の前のボグーに戻した。彼は魔界の弦楽器──ウギーロルという名前らしい──を弾き、あの魔族に伝わる古い歌を響き渡らせている。
ぼくの考案した作戦は、とにかく彼の歌を聴いてもらう、というものだ。都に入れずとも、都を出入りする市民らがそれを耳にして、評判になってくれたなら道が開けるかもしれない。この歌には、それだけの影響を及ぼす力がある……と、ぼくは思う。
事実、三人は歌声に興味を惹かれて来たのだ。彼の歌の印象が先に来れば、魔族に対する印象も大きく変わってくるはずだ。
徐々に寄ってきて、歌い手の姿を見とめた男たちは、ぎょっとして目を丸くした。それから一時も置かず、逃げるように立ち去っていく。
「あっ……」
思わず嘆を漏らし、次いでボグーを見やる。彼はウギーロルを弾く手を休めず、「予想どおり」と言わんばかりの、困った笑顔を浮かべていた。
「……まあ、そう簡単にはいかないよね。でも多くの人に聴いてもらえば、きっと君の歌を正しく評価できる人も出てくるさ。がんばろう」
それから数時間、ボグーは「歌うのは好きですから」と、嫌な顔ひとつせずに何曲も歌い続けてくれた。その間六人ばかり街道を行き交う人が近づいてきたが、みな一様に、ボグーを一目見ると早々に立ち去ってしまった。
この地域が特にそうなのかもしれないが、人種ひとつでこうも敬遠されるものなのか。この世界が抱える問題は、ぼくの想像をはるかに超えて根深い。
これ以上は、いたずらに彼を苛むだけではないだろうか。
ぼくの考えが甘かった。もうやめよう──そう言おうと思った、まさにその時。
街道の方から、異質な足音が聞こえてきた。




